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スポーツ界で覇権を争うシューズのあれこれ……アシックス編

楊順行スポーツライター
左の桐生祥秀はアシックス、右のケンブリッジ飛鳥はナイキ(写真:松尾/アフロスポーツ)

「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかし、と祈るべきだ」

 これ、古代ローマの風刺詩人・ユウェナリスが残した言葉。日本では「健全な精神は、健全な肉体に宿る」という格言で広まっているが、もともとは「宿る(べきである)」と続くのだ。そりゃそうだ、健全な精神と肉体が確実に対になるなら、アスリートの不祥事は起こりえないはずだから。

 それはそうと……総合スポーツメーカーであるアシックスの社名が、実はその格言に由来していること、ご存じだろうか。ユウェナリスの言葉をラテン語にすると「Mens Sana in Corpore Sano」となるのだが、このMens(才知、精神)をAnima(生命)に置き換えると、その頭文字がASICSとなるということらしい。

 49年、鬼塚喜八郎が興した鬼塚商会の理念も、その格言どおりだった。戦争で荒廃した若者の心を耕すには、スポーツが最良の方法。そしてどんなスポーツにも必要なのがシューズというわけで、まず地元の小・中学校や警察にズック靴などを納めるところからスタートした。やがて、バスケットボールシューズの製造に取り組む。ただ、なんのノウハウもない素人同然の挑戦だから、最初にできあがった試作品は「まるでわらじ」と専門家に酷評されたとか。

タコの吸盤をヒントにソールを開発

 そこから鬼塚はコートに通いつめ、バスケットの運動生理を徹底的に研究し、試行錯誤を数え切れないほど通過して、51年に第1号シューズを発売。タコの吸盤をヒントにしたという、当時としては画期的なソールの形状は、急スタートや急ストップに耐える機能を持ち、これがトップ選手に徐々に受け入れられた。さらに、マラソンシューズの開発などにも手を広げていく。そのブランド・オニツカタイガーは、56年のメルボルン五輪で日本選手団のトレーニングシューズに正式採用されると、60年のローマ五輪ではオニツカタイガーを履いたレスリング、体操の選手がメダルを獲得し、知名度が爆発的に高まった。

 ローマ五輪のマラソンを裸足で走り、金メダルを獲得したのがアベベ・ビキラである。裸足で優勝されては、シューズメーカーはたまらない。そこで鬼塚の担当者は、「裸足感覚で走れる、軽くてタフなシューズをつくるから、使ってみてくれ」と直談判。こうしてアベベは、オニツカタイガーのシューズを試し、納得し、61年の毎日マラソンで使用して優勝を飾ることになる。当時の長距離界では、レースではマメが避けられないという常識があったが、オニツカのシューズを履くとそれができにくい。陸上界での評価は、大いに高まった。残念ながら64年の東京五輪・アベベの金メダルは、別ブランドのシューズによるが……。ただその東京オリンピックではオニツカ着用の体操、レスリング、バレーボール、マラソンなどの選手が獲得したメダルが金20、銀16、銅10と合計46にも及んだといわれている。

 いま、スポーツシューズ界の一大勢力であるナイキが、もともとはオニツカタイガーのアメリカ販売代理店から始まっていることからも、品質の評価は自ずとわかる。聞くところによるとイチローは、MLBでの全盛時代、他社からいくら高額な契約のオファーがあっても、ここだけは譲れないと、アシックスのシューズをはき続けたというし、取材の現場では、「自分の足には、アシックスのシューズしか合いません」というアスリートの声もよく聞く。

「代表が3人。足が6本だからアシックス(脚six)か」。オニツカ株式会社など、3社の合併によりアシックスとしてスタートした77年当時、そんなことがささやかれたのも、いまでは笑い話である。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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