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[甲子園交流試合]両横綱の甲子園初対決は……大阪桐蔭に軍配

楊順行スポーツライター
大阪桐蔭・西谷浩一監督(写真は2018年夏)(写真:岡沢克郎/アフロ)

 交流試合きっての好カードだ。

「センバツがあれば、(東海大相模は)間違いなく優勝候補でした」

 と、大阪桐蔭・西谷浩一監督がいえば、

「甲子園にかわる場所はなく、しかも(大阪)桐蔭という相手とやることになにかを感じてほしい」

 と東海大相模(神奈川)・門馬敬治監督も特別な思いを口にする。甲子園交流試合の最終日。例年、夏の大会前に仕上げの練習試合を行う桐蔭と相模が、なんの因果かこの特別な大会で激突することになったのだ。

 試みに、2010年代の甲子園成績を見てみると、大阪桐蔭は春夏合計12回の出場で42勝6敗、春夏ともに優勝3回。相模は合計7回の出場で18勝5敗、春夏優勝1回。数字こそ桐蔭が上回るが、10年代に2回以上優勝しているのはほかに興南(沖縄)があるだけで、その興南は14勝3敗だから、相模と桐蔭は近年の高校野球における東西の横綱といっていい。しかも両監督は同学年という両校が、甲子園で初めて相まみえる。

頂上決戦寸前だった18年春

 初対戦というのは意外な気がするが、どちらにもちょっと元気のない時期があり、両校ともに出場した大会は、そもそも春夏計4回にすぎない。その貴重な4回で対戦寸前まで行ったのは、18年センバツだ。準決勝で智弁和歌山と対戦した相模は、6回終了時点で10対7とリードしていたが、終盤智弁の打線にひっくり返された。相模にとっては、これが甲子園の準決勝では初めての敗退(つまりそこまで7回、準決勝まで行けば必ず決勝に進んでいた)。もしここを突破していれば、決勝で桐蔭との頂上決戦という、ファンにとってはたまらない対戦が実現していたわけだ。

 その、激突。初回に先制した桐蔭は、エース・藤江星河が相模打線を6回まで1安打無得点と好投する。だが相模は7回、ライト前に落ちる神里陸の2点適時打で逆転。その裏すかさず加藤巧也の犠飛で追いついた桐蔭は8回、ふだんは縁の下の力持ちに徹し、この日途中出場した主将・藪井駿之裕がこれも中前に渋く落ちる決勝2点打。大阪桐蔭が4対2と東海大相模を寄り切った。桐蔭・西谷監督はいう。

「ふだん出ていないキャプテンのところに打順が回り、決勝点……。甲子園という目標を見失うなか、悩んで、苦労してチームをつくってきたことに対して、野球の神様がごほうびをくれたのかもしれません」

 大阪桐蔭は10日、大阪の独自大会準決勝で履正社に敗れたあととあり、切り換えがむずかしかったはず。だがそこで、「最後の試合を勝ちで終わるか、負けで終わるか。いままでやってきたことがどれだけ宿っているかが問われる。まず粘り抜くこと、そして勝つこと」という西谷監督の思いに、白星で応えたわけだ。対して、神奈川独自大会で勝ち残っている東海大相模。2日前の15日には、相模原弥栄と5回戦を戦ったばかりだ。気持ちの比重をどう置くのか、むずかしくはないか。門馬監督はいう。

「甲子園にも、神奈川を制するのにも、どちらにも思い入れがあります。ですから調整などなく、すべて全力でやるだけですね」。19日午前10時からは、平塚学園との準々決勝が控えている。

 ともあれ……両横綱の初対決は大阪桐蔭に軍配が上がった。いつか、ガチンコの千秋楽対決が実現する日を楽しみにしたい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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