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[甲子園交流試合]あの負けがあったからいまがある。日本航空石川

楊順行スポーツライター
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 鶴岡東(山形)を相手に序盤はペースを握りかけたが、中盤、終盤に突き放されて3対5で敗れた日本航空石川。だが、昨秋は右ヒジ痛から本調子を欠いた大器・嘉手苅浩太が5回を自責1の好投を見せた。「ラグビーをやっても花園クラス」(中村隆監督)と、いかにも馬力のありそうな190センチの角度から最速145キロをマーク。休校期間中は姫路に帰省すると、ヒジへの負担が少ないフォームに修正し、「コントロールも良くなりました」と手応えを感じていた。また嘉手苅との切磋琢磨で二枚看板に成長した田中颯希も4回1失点。

「コイツら、ホントに成長したと思います」

 と中村監督、しみじみと語る。

 昨年8月下旬のことだ。関西遠征で天理(奈良)、大阪桐蔭などと好勝負を演じ、指揮官に「力はないけど勝負強い。なかなかやるな……」と思わせたチームだが、下旬の練習試合で敦賀気比(福井)に1対8と完敗。敦賀気比は、夏の甲子園に出場したバッテリーが残る強敵で、お互いが北信越大会に出れば強力なライバルになる。だが投手は打たれ守備はミスを連発し、打線も沈黙して7回1対8のコールド負けだ。

 悔しさを胸にナインは、日のあるうちにグラウンドに戻ると、日付が変わるまで練習。「今日の負けが、チームを強くしたといえるようにしよう」と誓った。そして、秋の北信越大会2回戦で、その敦賀気比と再戦すると好投手・笠島尚樹から7得点し、連投のきかなかった田中が雨の順延で中1日もらったのも味方して好投と、借りを返した。その勝利はセンバツ出場を大きくたぐり寄せ、この甲子園交流大会出場にもつながったわけだ。

星稜との決勝連敗を4で止めた!

 そして、この夏。石川の独自大会では県内公式戦39連勝中で、この交流大会にもアベック出場する星稜と決勝で対戦すると、嘉手苅から田中のリレーで2対1の接戦をモノにした。星稜の連勝を止めるとともに、航空石川にとっても18年春、19年春、秋の県大会、北信越と、星稜との決勝で喫していた4連敗をようやく止める結果となった。「石川は星稜、とずっといわれてきたけど、やっと勝てました」嘉手苅は、勝利の味をそうかみしめる。

「冬からずっと、星稜を倒すためにやってきました」とは中村監督だ。昨秋、県大会と北信越で星稜に喫した連敗では、なんと35失点もしていた投手陣が、1失点に抑えたのだからこれは大成長だ。さらに、中村監督。

「もともと、前チームに比べると力は落ちるチームでした。それが、新チームのスタートで強豪とそこそこ戦えたので勘違いしかけたんですが、敦賀気比に大敗したことで力のなさを再認識したと思います。そこからは"個々の力ではかなわない。それならまとまることで勝とう"と全員の思いが一致し、負けない集団になってくれたと思います。今回のコロナ禍では、下を向かない心のたくましさというのも見せてくれました」

 日本航空石川と星稜。秋の勢力図がどうなるか、楽しみだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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