[甲子園交流試合]左打者7人の広島新庄が、左投手の名伯楽・迫田監督に恩返し
「(迫田守昭前監督からは)アッという間に終わるよ、と聞いていましたが、本当にアッという間に終わったというのが正直なところでした。こういう世の中、甲子園に立てるだけで選手は幸せ者だと思います。焦ることもなく、ふだんやっていることをやってくれました」
広島新庄・宇多村聡監督は感慨深げだった。チームは6年ぶり2回目のセンバツ出場を決めながら大会が中止。巨人の田口麗斗、日本ハムの堀瑞輝ら好左腕を育てた迫田監督は、3月末に退任したが、その迫田監督の指導を受けたいと入学した先発左腕・秋田駿樹が天理(奈良)の強力打線を6回2失点。継投した2年生左腕・秋山恭平も3回無失点で、強豪相手に4対2と快勝した。
「ふだんから、つないで点を取る打線」と宇多村監督が評する打線は、二塁打3本のほかこつこつと単打8本。そして11安打のうち10本が左打者によるものだが、スタメン9人中7人が左打ちだから不思議じゃない。
右投げ左打ちが増えた理由は?
ここでウンチク。地球上の人口約76億のうち、右利きが約70億人といわれる。ヒトが、狩猟のときのアドバンテージとして言葉を発達させていく過程で、発達したのが言語野のある左脳。その左脳は右半身に指令を伝達するため、右利きが増えたのだという。そして野球というゲームでは、右打席よりも一塁に近いために出塁しやすいとか、圧倒的に多い右投手の球を見やすいとか、左打ちに有利な点が多々ある。ほかにも90年代中盤からのイチロー(元マリナーズほか)や松井秀喜(元レイズほか)の活躍もあり、高校野球ではことに21世紀に入ってから、右投げ左打ちが増えた。
たとえば1年生のKKでPL学園(大阪)が優勝した1983年夏、49代表のベンチ入りメンバー735人のうち右投げ左打ちは80人で全体の11%、左投げ左打ちは88人で12%だった。左左がやや多いわけだ。これが15年後の98年夏になると、右投げ左打ちの数が左左を逆転。21世紀に入ると、その差はさらに顕著になっていく。
年 総数 右左 左左
98 880 153 17% 88 10%
01 784 173 22% 91 12%
03 882 171 19% 102 12%
04 882 229 26% 95 11%
という具合。左投げはおおむね10パーセント前後だが、ことに04年は右投げ左打ちが突出して多い。足は速いがパワー不足という選手が、少年時代の指導者のアドバイスで転向するケースは、もろにイチローの影響だろう。その傾向はいまも続き、広島新庄はスタメン9人中、右投げ左打ちが4人、左左が3人の計7人。ただ7人が左打ちだと、左投手に苦労しないのだろうか。この試合で2安打した二番の濱岡琉斗は、サードを守る右投げ左打ち。こう、説明してくれた。
「確かにウチには歴代左打ちは多いですけど、スタメン7人はさすがに多いですよね。ただ、対左投手でも、いい左ピッチャーとふだんから練習していますし、それほど苦手じゃありません。僕自身は、小学校4年から左打ち。高校では、パワーがないので逆方向に打てと迫田監督にいわれていましたが、左打ちだと長くボールを引きつけられる利点があると思います。シート打撃で秋田と対戦したら、ほとんど打てませんが(笑)」
なるほど。伝統的に左の好投手が育つ広島新庄だからこそ、左打線の泣きどころもカバーできるわけか。そういえば……4対2と降した相手・天理の指揮官・中村良二監督の現役時代は、右投げ左打ちの多い広島新庄とは対照的に、珍しい左投げ右打ちだった。