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高校野球で中止になった九州大会。実は、地区大会のルーツである

楊順行スポーツライター
10年前の春季九州大会は、エース・島袋洋奨でセンバツを制した興南(沖縄)が優勝(写真:岡沢克郎/アフロ)

 春季九州地区大会の予選となる各県大会は、新型コロナウイルス感染拡大のため、準々決勝までを終えていた沖縄では打ち切り、佐賀、鹿児島、福岡は中止に。これらを受け、九州地区大会も中止を決めた九州高野連の野口敦弘理事長は「選手は、冬の練習の成果を出す発表の場を奪われてしまう。コロナウイルスの前に何もしてやれず、無力感を感じている」と史上初めての中止に無念さをにじませた。

 ウンチクをいえば九州はそもそも、地区大会のルーツであること、ご存じですか。1947年、夏の甲子園で小倉中(現小倉・福岡)が優勝。深紅の優勝旗が初めて関門海峡を越え、大会後、小倉(現北九州)市内で行われた優勝パレードには、車が動けないほどの市民が殺到した。この盛り上がりを見逃すテはないと、九州大会開催の構想が持ち上がる。すると早くも10月には、鹿児島で第1回の九州大会開催にこぎ着けたから、そのスピード感たるやすごい。沖縄を除く7県から8校(鹿児島中・長崎工・小倉中・宮崎中・大分中・鹿島中・中学修猷館・熊本商)が集結し、優勝は全国Vの小倉中。1、2年生のみの新チームでも、やはり強かった。これが、いまにつながる高校野球の「地区大会初めて物語」である。

九州から始まった大会に各地区が追随

 九州で始まった新しい大会に、各地区も追随する。翌48年春には九州に加えて近畿、四国で春季地区大会が、48年秋からは北海道、関東、中部、近畿、中国、四国、九州と7つの秋季地区大会が開かれるようになった。さらに49年秋には東北が加わり、また中部は東海と北信越に分かれ、9地区に。56年秋からは、東京が関東から独立して10地区と、現在と同じ地区割りになっている。この秋季地区大会の結果が、翌年センバツ出場校選考の重要な資料になるわけだ。となるとむしろ、秋季地区大会創設前には、どんな基準で出場校を選んでいたかが興味深いですね。

 62年には、春の短い北海道でも春季大会が始まった。ただ春季大会は、秋季大会とは違って上位大会にはつながらない。多くは、春季大会の結果が夏の都道府県大会のシード決めに関わる程度だ。夏の大会では唯一、ノーシード制を導入していた大阪も、この夏からついにシード制の導入に踏み切っていた。2015年には、高校球界の2強といえる大阪桐蔭と履正社の実力校がなんと初戦で激突するなど、ノーシードならではのドラマもあるが、弊害もあったためだ。今年からは、春季大阪府大会の16強に夏のシードを与え、シード校同士は3回戦まで対戦しない……はずだった。

 ところが、このコロナ禍である。大阪府では、試合会場でもある府立高校が5月まで休校となるなど、大会運営が困難として春季府大会が中止に。必然的に、シード制の導入も来年に持ち越しとなったわけだ。それにしても……47年秋から春秋通じて145回、72年続けて行われてきた歴史ある九州大会も、146回目は無念の中止。近年では確か09年、インフルエンザの流行で近畿大会が中止になったことはあるが、むろんセンバツや、ほかの地区大会は行われていた。私事ながら、これだけ長く試合の取材から離れたのは記憶にない。スコアブックの記入法を忘れてしまいそうだ。ウソだけど。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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