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2019年高校野球10大ニュース【9】11月/500球ルール導入で高校野球は変わる?

楊順行スポーツライター
吉田輝星は、もし500球ルールがあったら抵触していた(写真:岡沢克郎/アフロ)

 11月29日。日本高野連の理事会で、来春のセンバツから「1人の投手の1週間での総投球数を500球以内とする」ことなどが決まった。「投手の障害予防に関する有識者会議」が、高野連に20日に行った答申を承認したもの。きっかけは、18年12月にさかのぼる。新潟県高野連が、高校生の肩・ひじへの障害を防ぐため、「1試合100球」という投球数制限を提言。もともと、投手への過度な負担が深刻な故障を招くと問題視されており、にわかに議論が活発化した。そこで高野連が設置した有識者会議が会合を重ね、答申案がまとめられたわけだ。長くなるが、答申の一部を引用しておく。

(1)日本高野連並びに都道府県高野連(以下高野連)が主催する大会などにおいて、投手の障害を予防するため3連戦を回避する日程を設定すること。ただし、雨天などによる日程変更の場合は3連戦になることはやむを得ない

(2)高野連が主催する大会において、大会期間中の1週間で1人の投手が投球できる総数を500球以内とする。当初日程から雨天などにより試合数が増えた場合でも、1週間内の投球数500球を超えることはできない。この投球数制限は、2020年度の第92回センバツ大会を含む春季大会から3年間を試行期間とし、その間は罰則のないガイドラインとする

(3)高野連は、選手、部員のスポーツ障害の有無に関する情報を指導者と選手、部員さらには保護者と共有するために健康調査票が活用されるよう、加盟校に指導されたい

(以下略)

 つまり来年のセンバツから、1人の投手が1週間に投げられるのは500球まで、となったわけだ。併せて、プロ野球などがすでに導入している申告敬遠も適用されることが決まっている。

3連戦回避で7日間では最大4試合

 で、いわゆる500球ルールだが、球数は各試合の公式記録が頼り。試合前、両チームに、「○○投手は現在380球」などと伝えることになるらしい。ただ実は、制限がなかったいままででも、1週間に500球を投げるのはけっこう例外的なケースだった。

 従来の甲子園の日程だと、1人の投手が投げる場合、もっとも球数がかさむのはセンバツで、次のような場合だ(曜日は仮、雨天順延は想定しない)。

月曜日 1回戦の最後に登場して○

水曜日 2回戦○

木曜日 準々決勝○

土曜日 準決勝○

日曜日 決勝

 これだと1週間に5試合、かりに1人で投げきれば500球はゆうに超えるだろう。ただ、1回戦の「最後」、通常なら16試合目の登場チームが勝ち進んだ場合に限るし、来年からはセンバツでも準決勝のあとに休養日が設けられるから、1週間では最大4試合になる。以下はhttps://news.yahoo.co.jp/byline/yonobuyuki/20191112-00150457/で詳しく触れているが、ここ2年の春夏の甲子園で投球数が500を超えたのは、

2018年夏 

吉田輝星(金足農・当時、以下同) 881球

山口直哉(済美) 607球

柿木蓮(大阪桐蔭) 512球

2019年春

石川昂弥(東邦) 593球

2019年夏

清水大成(履正社) 594球

奥川恭伸(星稜) 512球

 の6人がいる。山口のベスト4以外は全員決勝進出チームで、残念ながら2回戦や3回戦で姿を消した場合は、ほとんど500球ルールに神経を遣う必要はない。また日程の関係で、1週間以内に500球を超えたのは吉田だけ。複数の投手を起用すれば、決勝まで勝ち進んだとしても、やはり500球ルールには抵触しないですむ可能性が大だ。過去20年ほどをざっと振り返っても、1週間で500球をオーバーしたのは1998年夏の松坂大輔(横浜)、史上最長イニングを投げた06年夏の斎藤佑樹(早稲田実)、13年センバツの安楽智大(済美)くらいじゃないだろうか。優勝の条件として投手複数制が定着し、基本的には3連戦が避けられる日程となった今後は、1週間ではなかなか500球をオーバーしないと考えていい。タイブレークが果てしなく続きでもしたら別だけど、ね。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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