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ドラフト候補カタログ【4】小久保気(西濃運輸)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 西濃運輸に入社した2018年、小久保気(きよし)の話を聞いていて思わず笑った。

「高校3年の夏が終わり、まだ大学で野球を続けたかったんですが、学校に相談しても"好きにしなさい"(笑)。結局、自分で進学先を探しました」

 説明がいる。出身は、鹿児島玉龍高校。OBには京セラ創業者の稲盛和夫らがいる、屈指の進学校だ。1970年代まではつごう7回の甲子園出場があるが、近年は県のベスト8に進めば大健闘。そのため、野球の実績によっての進学は想定になく、進路担当者にはノウハウもツテもなかったということだろう。だからこその、"好きにしなさい"だった。

 玉龍中時代の小久保には、大した実績はない。それどころか、ストライクが入らずに一度は投手をクビになった。だが高校2年春から投手に復帰すると、その夏には22回を2失点という好投を見せて5年ぶりの8強進出に導いている。ただ3年夏は、2回戦で敗退。もっと野球をしたかった小久保は、自力で進学先を探し、結局は鹿児島大野球部でプレーした兄・壮さんの知人をたどり、自ら四国学院大進学への道を切り開いた。

 すると、1年の秋から公式戦に登板し、2年には52回54三振で奪三振王、さらに防御率の1.90はリーグ5位だ。以後は3年春秋、4年春秋の最多勝などタイトルを多数獲得し、4年通算で27勝をあげている。18完投のうち、完封が9というのがすごい。通算の防御率も1.65と出色だ。リーグ戦5勝で進出した4年の大学選手権では、東北福祉大を5安打完封。九州産業大には自らのサヨナラボークで敗れたものの、9回を自責1で、一躍中央に知られる存在となった。

橋戸賞投手の番号を背に

 プロ志望だったが指名がなく、西濃運輸入り。背番号は、14年の橋戸賞投手・佐伯尚治(現コーチ)がつけていた14を受け継いだ。佐伯の引退後は空いていた番号で、それだけ期待の大きさを物語る。「すごい番号をいただき、意識せざるを得ないです。『西郷どん』ブームに乗りたい」と意気込んだ本人だが最初は、「社会人になって、自分は体の動かし方がどんくさいことに気がつきました。お手本どおりにやっているつもりのトレーニングでも、"動きが違う"といわれるんです」と悪戦苦闘だった。だが次第に順応し、都市対抗2次予選でも先発・救援で登板。東京ドームでも、JR東日本戦で救援デビューした。

 1年目の公式戦は、トータルで9試合40回を投げ、防御率3.38とまずまず。今季も春先から投手の軸に期待され、ヤマハに補強された都市対抗では、再度JR東日本戦に救援登板。1年目には1失点した相手を、3人でぴしゃりと抑えている。最速148キロのまっすぐを主体にフォーク、スライダー、ときにシュートを投げ込むスタイル。ドラフトで指名されるかどうかはなんともいえないが、自分で進学先を探した「気」で、未来を切り開いていく。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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