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ネット甲子園 第13日 中京学院大中京・森昌彦コーチが説く投手に大切な球種とは

楊順行スポーツライター
夏の甲子園、履正社(大阪)と星稜(石川)の決勝は22日(写真:岡沢克郎/アフロ)

 ややこしいことおびただしい。なにがって、7回目の出場で初めてベスト4まで進んだ中京学院大中京(岐阜)の校名が、だ。

 愛知には、高校野球の超ブランド校として中京大中京がある。そちらは、中京大の付属高校だ。中京学院大中京の開校は1963年で、当時の呼び名は中京高等学校だった。67年、現在の中京大中京が中京商から中京に改称するにあたり、岐阜の中京は中京商に。ややこしい。ゲシュタルト崩壊が起きそうだ。わからない人は調べてみてね。

 中京大中京は、学校法人梅村学園の私立校だ。対して中京学院大中京は、学校法人安達学園の運営。両者は別法人だが、安達学園の創設者・安達壽雄は、梅村学園の創設者・梅村清光の次男にあたる。だからなのか、兄貴分の梅村中京が改称すると、安達中京もそれに追随してきた。愛知の中京が95年、中京大中京となると、岐阜の中京商は開校当時の中京に戻す。中京学院大中京となったのが17年だ。

 そういう紛らわしさからネット上では、中京学院大中京を中京大中京と混同するという、目も当てられない誤植が散見された。だが20年からは、みたび中京になる予定だから、混乱も落ち着くかもしれない。それはともかく、だ。書きたいのは中京学院大中京の投手陣を支えた森昌彦コーチのことである。

"攻める"という球種

「カーブ、スライダー、チェンジアップ、フォーク……ピッチャーにはさまざまな球種がありますが、最も大切なのは"攻める"という球種だと思っています」

 攻めるという球種。なかなか含蓄のある言葉じゃないか。森コーチのキャリアがはぐくんだ投手観だと思う。

 中京(現中京大中京)時代は野中徹博(元オリックスなど)、紀藤真琴(元広島など)に次ぐ3番手投手。だから公式戦の登板はほとんどなく、亜細亜大でも同期には与田剛(現中日監督)ら好投手が多く、4年間で1勝のみだった。社会人野球のNTT東海でも、なかなか日が当たらない。ようやくチームの二本柱の一角になった93年も、左ヒザ半月板を損傷して手術の憂き目に遭った。だが順調に回復し、94年の都市対抗では本田技研鈴鹿(現Honda鈴鹿)に補強され、橋戸賞(最優秀選手賞)を獲得。その年には日本代表となり、広島で行われたアジア大会での金メダルに貢献している。96年、銀メダルを獲得したアトランタ五輪でも、最年長投手としてチームをまとめた。

 その後、NTTの組織改編で廃部となると、NTT西日本などで2002年まで現役を続け、08年には豊川の監督として高校野球の指導者に転身。14年センバツでは、コーチとしてベスト4に導いている。16年からは大学、社会人の先輩・橋本哲也監督が率いる中京学院大中京に移っていた。技術指導のほかに、森コーチが担当するのは社会人仕込みのデータ分析。たとえば、神奈川大会で11本塁打という強打の東海大相模打線に対しては、

「近江(滋賀)の左のエース、林(優樹)君をまったく打てていなかった。踏み込んでくる打者が多く、同じ左の不後(祐将)には、内側の変化球が有効だぞ、という対策はしました」

 さらに森によると、大学でばりばりだった選手が集まる社会人野球に比べて、高校生は打者の特徴がわかりやすいという。どのカウントで打ってくるか、打球の方向は。投手ならば、カウントによる球種の傾向、そうした指摘を理解し、蓄積した選手が3年生になると、データの有効性が高まるという。

「ただ社会人ならば、一度口で説明すればわかるところを、高校生は何度も繰り返して説明することが必要です。バッテリーに対しては毎試合、相手打者の傾向を紙に書いて渡し、確認していますね」

データが導いたラッキーセブン

 データ分析は当然、攻撃にも生きる。たとえば作新学院(栃木)との準々決勝では、7回に2点を返して1点差に迫り、8回に元謙太のグランドスラムで試合をひっくり返した。ほかの試合でも、7回に複数得点を挙げて逆転に結びつけているのだが、7回といえば打者が4巡目あたりに入るイニング。頭に入っていたデータが、パフォーマンスにもつながりやすくなる頃合いだ。橋本監督によると、

「たとえ劣勢でも6、7回にはベンチの雰囲気が変わるんですよね。むしろ冷静になって、いままでやってきたことをやればいい、と声かけができるんです」

 星稜(石川)との準決勝は、「速球、変化球、ともにすばらしい投手」(橋本監督)という奥川恭伸を攻略できずに敗退。それでも、2年生の元、1年生の小田康一郎らがチームに残る。校名が中京になる来年は、チーム名を混同されることもないだろう。森コーチに、「選手たちは、森さんがかつて獲得した橋戸賞というのを理解していますか?」と聞くと、「それはわかりませんが、私の現役時代のDVDを見たい、とはいってきます」。それこそ、"攻める"という球種が森投手の投球スタイルだった。ちなみに……高校時代にしのぎを削った野中はいま出雲西(島根)の、紀藤は水戸啓明(茨城)の監督。高校野球指導の実績としては、森コーチが一歩も二歩もリードだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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