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ネット甲子園 第4日 全国にたった2校。習志野と沖縄尚学が直接対決

楊順行スポーツライター
センバツでは惜しくも準優勝の習志野が、夏制覇に向けて好発進(写真:アフロ)

 三者三振。

 沖縄尚学が4対3と1点リードの、習志野(千葉)8回裏の守りだ。小林徹監督は、エース・飯塚脩人に「攻撃に流れをもたらしてくれる投球を」と託してマウンドに送り出した。小林監督は、投手出身。投手の気迫、アウトの取り方、リズムといったものが、ときとしてチームに流れを引き寄せてくれることをよく知っている。飯塚も、同じ感性を持っていた。すると、三番から始まる沖縄尚学の打線を、わずか13球で三者三振。3人目の奥原海斗への最後の1球は146キロを記録した。1点を追う9回の攻撃につなげるための、渾身の1球だった。

 すると、本当に流れがきたのだ。9回の習志野は、1死後から山内翔太がヒットで出ると、飯塚のショートゴロを遊撃手が低投して一、二塁。ここで、一番・角田勇斗が左前に運んで山内が生還し、粘る習志野が土壇場で追いついた。4対4。力のこもった好試合だ。

優勝エースにして優勝監督

 実はこの両校、全国でたった2校という共通項がある。習志野は1967年夏に全国優勝しているが、そのときのエース・石井好博がのちに監督となり、75年夏にも優勝。99年のセンバツで沖縄尚学が県勢初優勝を果たしたときのエースが比嘉公也。やはりのちに母校の監督となり、08年春に優勝している。甲子園で優勝したエースが、母校で優勝監督となるのは、全国でこの2校だけだ(本当は「優勝投手にして優勝監督」と書きたいところだけど、比嘉は99年優勝時のエースではあっても、厳密には優勝決定のマウンドは別の投手だった)。その両校の対戦だから、力のこもった展開にもなろうというものだ。

 試合はまず習志野が先制するが、沖縄尚学は4回、中軸の2点二塁打と奥原が決めたスクイズの3点で逆転。習志野が5回、根本翔吾の適時打で追いつくと、尚学は6回、またも奥原が3バントスクイズを決めて勝ち越した。そして9回には、習志野が追いつくのである。小林監督はいう。

「千葉大会の木更津総合戦は、9回2死から追いつき延長でサヨナラ勝ちですし、終盤まで苦しい試合の連続でした。センバツでも1回戦以外は追いかける展開ばかりで、彼らには"こういう試合は何度も経験しているよね"と話しましたね」

 だからこそ9回1点差でも、ベンチはだれ1人あきらめていなかったのだ。沖縄尚学の比嘉監督もいう。

「千葉大会のビデオを見て、習志野さんの終盤の強さはわかっていました。だからこそ、気持ちで負けるなといったんですが……」

 同点に追いついた習志野は、9回にも飯塚が下位打線を13球でまたも三者三振。となると、流れはやはり習志野なのか。延長10回、ヒットで出た櫻井亨佑がバントで二進し、和田泰征の中堅二塁打で逆転のホームイン……。

 実はこの試合、千葉大会では先発完投もしている飯塚の先発も予想された。だが本人は「個人的には、あとからのほうが投げやすい」と話し、小林監督も「試合をつくるという点では、山内が先発かな、と。投球のスタイル、スピードも考え合わせ、飯塚から山内という継投の選択肢は考えませんでした」と、先発は山内だった。そして6回途中から飯塚が救援し、エースが踏ん張る間に逆転するのは、準優勝したセンバツと同じパターンである。その飯塚、センバツからの成長をこう表現した。

「内野手はみんな2年生。彼らからは僕に声をかけにくいでしょうから、春以降は自分からコミュニケーションをとるようになりましたね。いまは、2年生から声をかけてきますよ」

 10回裏の守り。サードの和田、ファーストの櫻井から「低めに集めていきましょう!」と声をかけられた飯塚が、三者凡退で締める。「全国でたった2つしかないチーム」の初めての直接対決は、習志野の勝利で終わった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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