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第90回都市対抗野球・出場チームのちょっといい話5/JR東海

楊順行スポーツライター
第90回都市対抗野球大会は7月13日開幕(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 ありがたいお話である。

「見てますよ〜」

 第90回都市対抗野球大会の組み合わせ抽選会に出向くと、顔を合わせたJR東海の高廣英輝マネージャーがそう、声をかけてきてくれた。ここに掲載している拙稿を読んでくださっているとか。ほかにも王子・稲場勇樹監督、JFE東日本・落合成紀監督、明治安田生命・成島広男監督……。重ね重ね、ありがとうございます。で、今回はJR東海の話を。

 記念大会で代表枠が1増えた東海地区にあり、JR東海が2年連続29回目の出場を決めたのは6月8日、最後の第7代表決定戦だった。5年目の左腕・喜久川大輔が、日本製鐵東海REXを4安打完封の7対0。第1代表決定トーナメント(T)は初戦で敗退し、第2代表TではHonda鈴鹿に決勝で敗れた。第5代表決定戦も、トヨタ自動車に敗退。あとのない大一番で、ようやく最後の切符を勝ち取ったわけだ。率いるのは、久保恭久監督である。

「昨年東海予選を戦ってみて、たとえば近畿なら、ある程度間隔が空くのでエース級が2人いれば戦えました。ただ東海は長丁場。勝ち星を落とすほど連戦になり、次の対戦相手も絞りにくい厳しい地区です」

 東海の第5代表として出場した昨年、東海2次予選での実感だった。

 1984年、貴重な左腕として日産自動車の都市対抗優勝に貢献し、2001年からは監督として10年。日産が休部すると(ゴーンさんの50億があれば、問題なく存続していたのでは……)、近畿の名門・パナソニックに移り、13年まで指揮を執った。その後は近畿圏を中心に大学生、高校生、ときには中学生の指導に携わり、JR東海の監督に招かれたのは昨年のことだった。

社会人野球とのブランクもプラスに

「社会人野球とはブランクがありましたが、その間に学生たちを指導し、若い人の考えがわかったのはプラスになりました」

 とは、春季キャンプでたずねたときの久保監督だ。JR東海の監督になると、チームの現状を把握するとともに、まずは選手たちの考え方を知ろうとした。自分の子どもにあたる世代の気質を知るためには、昭和の言葉でいえばノミュニケーション。

「去年は選手個々に対する予備知識が少なく、探り探りでした。ただ1年間彼らの得意なプレー、表現力を見せてもらったので、今季は自分自身の決断に曖昧さがなくなると思います。選手たちがどういうカラーにしていくのか、楽しみ」

 と久保監督はいう。主将の長曽我部竜也によると、

「監督には、自主性をすごく尊重するイメージがあります。"試合で打席に立つ、マウンドに上がると一人としての戦い。だからこそ、結果よりもそこまでのプロセスが大切"という話もよくされます」

 明治大ではベストナインの経験もある吉田有輝ら、「個性的なルーキーが入ってチームが活性化するでしょう」と語っていた久保監督。2次予選ではその吉田有がスタメンに名を連ねるなどして、最後の最後に代表枠を勝ち取った。就任初年度の昨年は、戸田公星、川本祐輔の二本柱が安定しており、都市対抗はベスト8。日本選手権でもタイブレークを制して初戦を突破するなど、しぶとさを見せつけている。今季の東海2次予選では、喜久川が19回3分の1を投げてわずか1失点、先発で2勝と、「頭数を増やしたいところ」と久保監督が語っていた投手陣に、強力な1枚が加わった。

 初戦は、開幕の7月13日に決まった。相手は17年の都市対抗で準優勝し、今季も静岡・長野両大会でベスト4、ベーブルース杯優勝と好調の日本通運。

「第7代表ですが、強いところを見せたいですね」

 代表決定時の久保監督の言葉が頼もしい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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