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平成の高校野球10大ニュース その3 1998年/横浜の春夏連覇

楊順行スポーツライター
松坂大輔がいた横浜は、高校野球の歴代最強チームのひとつに数えられる(写真:岡沢克郎/アフロ)

 2010年、興南(沖縄)。12年と、夏の100回大会だった18年は大阪桐蔭。選抜高校野球大会と全国高校野球選手権を同一年に優勝すること、つまり春夏連覇は、10年代だけで3度も達成された。それまでの春夏連覇といえば、1962年の作新学院(栃木)、66年の中京商(現中京大中京・愛知)、79年の箕島(和歌山)、87年のPL学園(大阪)と、昭和時代には4回あった。PLのとき、センバツは第59回だったから、この偉業の達成頻度は平均しておよそ15年に1回である。それが10年代だけで3回というのは、ちょっと特異だといえる。そして10年の興南の前、平成に入って初めて春夏連覇を達成したのは、98年の横浜(神奈川)だった。

 第80回全国高校野球選手権決勝、98年8月20日。横浜の相手は、京都成章である。

「やっちゃえよ、ノーヒット・ノーラン」

 という声に、松坂大輔(現中日)が返す。

「あ〜あ、いっちゃった。大記録って、だれかが口にしたらできないもんだよ」

 なにしろ松坂、京都成章打線を7回まで無安打に抑えているのだ。もしノーヒット・ノーランで優勝となると、決勝としては39年の海草中(現向陽・和歌山)の嶋清一以来59年ぶり、そして春夏連覇というダブル大快挙である。だが、8回。松坂が、先頭の橋本重之をフォアボールで歩かせた。その時点での横浜のリードは、2点である。すかさず横浜ベンチから、鳥海健次郎が伝令に走る。内野陣がマウンドに集まり、その輪が解けるときのことだ。ショートを守る佐藤勉が、“禁句”を口にした。

平成の怪物、3試合を自責0。しかし……

 この大会の焦点は、エース松坂の横浜の春夏連覇なるか、に尽きた。センバツでは5試合すべてを完投し、45回を投げて43三振、防御率0・80で優勝。夏は柳ヶ浦(大分)、鹿児島実、星稜(石川)と3試合を1失点(自責0)と、ますますスケールアップしていた。準々決勝の相手はPL学園(大阪)。この両者、センバツでも準決勝で対戦し、PLが2点リードの終盤8回、横浜が敵失にも乗じて追いつくと、9回にはスクイズで勝ち越し。そのまま頂点に立っている。そして、夏。PLが先行し、横浜が追いつき、延長に入って横浜が勝ち越すたびにPLが追いつくという激闘は延長17回、横浜が9対7でようやくPLを突き放している。

 ドラマは、まだ続いた。翌日、明徳義塾(高知)との準決勝は、前日250球で完投した松坂が先発を回避し、レフトの守備位置に。だが明徳打線は、横浜の2年生投手をこともなく打ち崩す。8回裏、横浜の攻撃を迎えるところで、明徳のリードは大量6点である。野球は筋書きのないドラマとはいうが、8回6点差ではほとんど結末は見えている。それでも、だ。かつて話を聞いた松坂は、負ける気はしなかったという。現に点差が広がっても、守備につくときにはセンターの加藤重之と「まだ、いけるだろ」と話していたのだ。

 8回の、横浜。その加藤がショートのエラーで生きると、3連打でまず2点。寺本四郎(元ロッテ)から高橋一正(元ヤクルト)にスイッチしても、暴投などでさらに2点を追加、2点差とした。そして9回表、松坂がリリーフでマウンドに立つと、スタンドから「松坂コール」が自然発生し、銀傘を揺るがす。さすがは千両役者、松坂が15球で無失点に抑えた9回裏。横浜は2本のヒット、犠打野選と、たった3球で無死満塁のチャンスを得た。ここで、前日は攻守で精彩を欠いた後藤武敏(元横浜DeNAなど)が意地の同点タイムリー。さらに松坂のバントなどで2死満塁のあと、柴武志のハーフライナーが二塁手の頭を越えた。0対6から、8回に4点、9回に3点で7対6のサヨナラ劇……。

 明徳・馬淵史郎監督は「勝てる試合に負ける、負ける試合に勝つのが野球やな」とうめき、横浜・渡辺元智監督は「PLとの17回といい、野球人生で考えられないような試合が、2日続けて起きるなんて……」と、神がかりの大逆転劇に目をうるませた。

いきなりのいい当たりで目が覚めた

 だが、“考えられないこと”は2日連続では終わらないのだ。翌日、京都成章との決勝戦である。

 さしもの松坂も、さすがに疲れを感じていた。なにしろ、250球を投げたPL戦から中1日である。球が走らず、先頭打者の沢井芳信は、サードへ痛烈な当たりだ。三塁の斉藤清憲が体を張って止め、落ち着いた一塁送球でアウトに取ったが、松坂はこれで、スイッチを切り替えたという。

「立ち上がり、いきなりいい当たりをされて目が覚めました。ふつうは三振を狙って取りにいったりするんですが、決勝でもあるし、疲れているし、そんな甘いものじゃないな、と感じて……。初めてじゃないですかね、今日は打たせていこうと思ったのは」

 打たせていっても松坂は、ただ者じゃない。140キロ台のストレートと切れ味鋭いスライダーで、7回終了時点の三振は10。内野の好守にも助けられながら、ノーヒット・ノーランを続けるのだ。そうして8回。先頭打者を四球で出し、佐藤が思わず“禁句”を口にしても横浜の野手陣は好守備を続け、松坂をもり立てる。8回も、無安打。そして9回も、四球の走者を出したが、ノーノーと春夏連覇まであと一人だ。

 最後は三振で締めたい、と松坂が田中勇吾に投じた5球目は外に逃げるスライダー。田中のバットは大きく空を切り、横浜は史上5校目の春夏連覇、松坂は59年ぶり2人目の決勝でのノーヒッターとなった。それにしても……3日続けてのミラクルとは。延長17回、大逆転サヨナラ、そして大記録。

「ホンマ、松坂君のためにあった大会でしたね。持って生まれたもんもあり、努力もしているんでしょうが、どんだけの星の下に生まれたら、あれだけのことが起きるのか……」

 京都成章・奥本保昭監督(当時)の言葉である。

 ちなみに97〜98年の横浜は、97年秋の県大会から関東大会、明治神宮大会、98年のセンバツ、春季県大会、関東大会、選手権神奈川大会、夏の甲子園、国体と公式戦44試合を無敗。神宮を含めれば、同一年度に3大会を制覇しているのはこの横浜だけだ。公式戦無敗と併せ、今後もちょっと破られそうにない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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