2018 高校野球10大ニュース その4 100回を迎えた夏の"甲子園"

決勝のレジェンド始球式は、1969年夏、三沢で準優勝した太田幸司氏ら(写真:岡沢克郎/アフロ)

 全国高等学校野球選手権大会は、1915年の第1回以来、100回を迎えた。それを記念して、史上最多の56校が出場したほか、毎日のレジェンド始球式など、節目を彩るイベントが華やかだった。優勝は、史上初めて2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭。これで夏は5回目のVとなり、松山商(愛媛)に並ぶ史上3位タイとなった。優勝回数ランキング上位は、

1 7回 中京大中京(愛知)

2 6回 広島商

3 5回 松山商 大阪桐蔭

5 4回 PL学園(大阪)

6 3回 龍谷大平安(京都)

7 2回 桐蔭・智弁和歌山・向陽(和歌山) 東海大相模・横浜(神奈川) 帝京・日大三((東京) 駒大苫小牧(北海道) 天理(奈良) 作新学院(栃木) 高松商(香川) 大体大浪商(大阪) 小倉(福岡) 習志野(千葉)

 また道府県別では、

1 13回 大阪

2 8回   愛知

3 7回  和歌山 広島 東京 兵庫 神奈川

8 6回  愛媛

9 4回  京都 福岡

 がトップ10だ。ただ、100回行われた大会で、優勝校はのべにして98のみ。計算が合わないのは実は、100回のうち、いわゆる夏の甲子園が行われなかったことが2回あるためだ。

100年前は米騒動で中止

 まずちょうど100年前、18年の第4回大会だ。このときは全国の14代表が決まり、それぞれが試合に備えて関西入りしていたが、全国的に広がった米騒動のために中止になっている(当時は鳴尾球場)。それと、41年の第27回大会。日中戦争のさなか、年末には太平洋戦争が開戦するように軍事一色の世相にあり、学徒を居住地にとどめるためにスポーツの全国的な催しが中止されたのだ。すでにほとんどの道府県大会で優勝が決まっていたが、代表決定までは至らない地区も多く(当時は1県1代表ではない)、甲子園大会は中止になった。この2回、全国優勝校こそ存在しないものの、地方大会は行われたため、回数自体はカウントするというわけ。なにやら、戦争のために中止になった大会も、戒めのためにカウントするオリンピックのようである。

 それにしても、高校ラグビーは今年が98回目、高校サッカーは97回目、箱根駅伝は来年が95回目と、100回を数えるスポーツの大会はほかにないんじゃないだろうか。

 この100年を超える歴史、そもそも学生の発案で始まったというのが通説だ。その学生が、京都二中(現鳥羽高)でバッテリーを組んでいた高山義三と小西作太郎だという。

学生の発案から始まった巨大イベント

 野球が爆発的人気を博していた大正初期、各地で大会が開かれていたが、そのなかでももっとも権威ある大会といわれていたのが、近畿中等学校連合野球大会だ。大会を主催するのは、旧制三高(京都大などの前身)。小西はその三高野球部の主将として、朝日新聞京都支局に優勝旗の授与を相談したという。またこれに並行し、京都帝大に在籍していた高山も、「京津地区の大会を開きたい、またできれば他県優勝チームとも手合わせをしたい」と全国大会開催の企画を朝日新聞に持ち込んだ。一説によると、母校・京都二中の練習を見た2人が実力の高さを確信し、全国規模の大会に出ても優勝間違いなしと見て、創設に奔走したのだという。

 これとは別ルートで、朝日新聞社長・村山龍平にも全国大会の企画が持ち込まれ、さらに豊中グラウンドの有効活用法を探っていた箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)からも、同じような話があった。これらが急ピッチでまとまり、15年7月1日付の大阪朝日新聞1面に「来る八月中旬豊中に於て挙行」という第1回全国中等学校優勝野球大会開催の社告が発表されたわけだ。

 この大会は47年まで29回開催され、翌48年には、学制改革によって全国高等学校野球選手権大会となった。これが、いわゆる"夏の甲子園"である。いわゆる、というのは、草創期はまだ甲子園ができていないし、戦後も西宮球場の使用など、一部甲子園以外でも行われていたためだ。ちなみに、「栄冠は君に輝く」が新大会歌に制定されたのが48年、初の"高校野球"選手権大会だ。つまり100回大会は、高校野球70周年にもあたったわけだ。