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ドラフト2018 逸材発掘! その6 小島和哉

楊順行スポーツライター
2013年、センバツで優勝した小島和哉。決勝・済美の先発は安楽智大だったっけ(写真:岡沢克郎/アフロ)

 早稲田大の左腕・小島和哉が、いい。

 15日には、東京六大学・明大戦で6安打9三振の完封勝利。これで9月22日の立大1回戦から5試合連続完投で、45回を投げて失点がわずか2には驚く。その5試合に限れば防御率は0.40、うち完封が3で、シーズン3完封勝利は12年ぶりというから、歴史的な好投を続けているわけだ。チームもこれで勝ち点を3とし、最終週の早慶戦に優勝の可能性を残している。

 思い出すのは、チームが全国制覇を果たした浦和学院高時代の2013年センバツだ。2年生ながらエースだった小島は、初戦の高知高戦で6安打完封すると、すべて先発で5試合中3試合を完投。42回を投げ、自責点3で防御率は0.64である。当時の球速は130キロ中盤だったが、カーブ、スライダー、スクリューを巧みに投げ分け、ボールの見えにくいテイクバックで内角にズバッとストレートを投じるから、打者の体感ではかなり速く感じただろう。

肩の柔軟さはバタフライから?

 その、出どころの見えにくいフォームはどこからくるのか。小島は、はきはきと答えてくれたものだ。

「僕、肩甲骨周りなどがけっこうやわらかいんですよ。小学生時代は、並行して水泳もやっていました。野球のほうがおもしろくなって5年生でやめたんですが……ただ中学では、水泳部に頼まれて試合に出たら、100メートルバタフライで関東大会まで行ったんです。そういう経験で、肩の可動域が広くなったのかもしれません。水泳をやっていたのは、スタミナにも大きなプラスだと思いますよ」

 小島は球速が140キロ台に達したその夏も、埼玉大会の準々決勝で、大会23年ぶりの完全試合を達成。ただ甲子園では、熱中症気味の体調がわざわいして初戦敗退している。3年時の甲子園出場はなかったが、日本代表に選ばれ、U18アジア選手権準優勝に貢献した。

 早稲田大でも、1年春からロングリリーフも含む6試合に登板し、防御率1.25で3勝を記録。2年秋にはエースとして39回3分の1を10失点の防御率1.60で、最優秀防御率を獲得した。以後も順調に白星を重ね、先述の明大戦の完封が通算23勝目である。最速147キロの速球に、切れのいいスライダー、カット、さらにチェンジアップとカーブ。打者に的を絞らせずに打たせて取り、なにより高校時代からピンチでも動じないのが安定感の土台にある。明大戦の完封後は、

「体的にはきついですが、4年生の最後の意地を見せられた。走り込みで、長いシーズンを戦う体力にも自信がつきました」

 主将を任された今年、気持ちの面で成長したといい、自身1年秋以来の優勝がかかる。最終週の早慶戦に、「一番いい投球をしたい。そして優勝の瞬間を、後輩にも味わってほしいんです」。

 ソフトバンクに育成で入団し、昇格した一軍でも活躍した大竹耕太郎は早稲田の、そして同じ左腕の先輩だ。

「お世話になったし、活躍は刺激になります」

おじま・かずや●1996年7月7日生まれ●投手●177センチ81キロ●左投左打●鴻巣市立赤見台中(行田シニア)→浦和学院高→早稲田大

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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