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もうすぐドラフト・その9[大学生編]……谷田成吾

楊順行スポーツライター
慶応高校時代からスラッガーの風格があった

「この夏は、もうこれ以上やることがないというくらい練習しました」

谷田成吾は、そういう。慶応高から入学すると、慶応大の2年春からレギュラー。3年秋までに打率・275、9ホーマー、39打点を記録している。だが、勝負のこの春。打率・146、1ホーマー、7打点と急制動がかかった。一から、作り直した。投手方向に突っ込みがちなフォーム。タイミングの取り方。対戦相手の全投手を想定してのスイングも、無数に積み上げた。それがラストシーズン、開幕からの3試合連続ホーマーにつながっている。

それを含み、この秋は5ホーマーを上積み。通算15本は、歴代12位タイとなった。ことに10月4日、東大戦で左中間にライナーで打ち込んだ満塁本塁打には、

「びっくりした。あの打球がスタンドに入るのは、アマチュアではなかなか見られない」

と、近鉄でのプレー経験もある大久保秀昭監督を脱帽させている。

そういえば僕も、心底驚いたことがある。

5打席連続ホームラン? しかも、まだ小学5年生? リトルリーグの機関誌制作をお手伝いしていた04年秋のことだ。川口リトルの一番打者が、関東大会の準々決勝・準決勝の2試合で、なんと5本もホームランを放ったというのだ。しかも、中学1年がリトルの最高学年なのに、まだ小学5年生だという。

中学1年になると、松本剛(日本ハム)らとともに、リトルの世界大会で準優勝。伊藤拓郎(元DeNA)とチームメイトになった東練馬シニアでは、公式戦5試合連続本塁打を記録したこともある。それが、谷田成吾だ。

慶応高では、入学直後から「1年でネットを越えるヤツなんて見たことない」(上田誠監督、当時)という飛距離を見せつけた天性のアーチストは、すぐに四番に抜擢された。宮崎サンマリンスタジアムでの招待試合では、阿部慎之介(巨人)以来といわれる右中間最上部にぶち込んだ。高校3年時には、甲子園出場のキャリアはなくても全日本メンバーに選抜され、アジアAAA選手権では16打数8安打のチーム最高打率と、6打点の勝負強さを見せている。

尋常じゃない運動能力

通算76ホーマーを記録した高校時代の谷田に、量産の理由を聞いてみたことがある。

「う〜ん、練習の積み重ね。それしかないと思います」

川口リトル時代は、週末しかチームの練習がなかった。そのため、消防署勤務の父が非番の日、つまり1日おきにティー打撃、フリー打撃、ノックを繰り返した。川口北中では陸上部に属し、部活終了後には、ジムとバッティングセンターをハシゴした。

もともと、運動能力は尋常じゃない。幼稚園時代、サッカーで県大会に優勝したのは参考程度としても、小学生になると川口市の水泳大会で上位に入り、趣味で始めたアルペンスキーも、長野・白馬の地元の子を尻目に大会で上位入賞。中学時代の陸上部では4種競技に取り組み、これも県大会で入賞しているのだ。となると、どの種目でも無限の可能性がありそうだが、

「いや、すべては野球のためでした」

多種目を経験することで、身体はたぐいまれなバランスとしなやかな剛性を獲得し、その土台に蓄積した反復がフォームを洗練し、技術を研磨し、高校きってのアーチストに成長したわけだ。だがその時点では、リトルのチームメイトである松本、伊藤、AAAでスイングスピードの速さを目の当たりにした高橋周平(中日)らが相次いでプロを志望するなか、

「うらやましいが、自分はまだ結果を出していませんから」

と、進路を東京六大学に定めた。そして……東練馬シニア時代の07年・日本選手権の準決勝、バックスクリーンに打ち込んだ神宮を舞台に、現在通算15ホーマー。ラストシーズン前の思い切った打撃改造にも、「技術面では、やってきたことは間違っていないという確信があります」。すでに、プロ志望届は提出した。谷田はいう。

「ここまできたら、心して待つだけです」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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