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もうすぐドラフト・その5[社会人編]……西川龍馬

楊順行スポーツライター
敦賀気比高校時代。懐かしいなぁ

「わかりません。あんまり、興味がないんで」 

敦賀気比高校時代、"龍馬"という命名の理由をたずねると、そっけなかった。おそらく、父・善博さんが坂本龍馬を好きだったのだろうが……。その敦賀気比から王子に入社して3年目。プロ解禁の年に、

「今季、プロに行ってもらわないと困る」

と逆説的に絶賛するのは、王子・稲場勇樹監督だ。凡庸な打者なら、金属から木のバットに対応するだけで精一杯の1年目から公式戦に出場し、都市対抗予選では4試合で5打数3安打の成績を残している。残念ながら故障で本大会の出番はなかったが、2年目にはさらにパワーアップし、成長は順調だった。

高校時代から、抜群のセンスが光っていた。名だたる強豪で、入学直後から、上級生に交じって紅白戦で快打を連発。中学時代は、大正シニアのほかに部活でウエート部に属していたから、体幹をはじめ体の強さもあった。肩を痛めたため、本来のショートではなかったが、1年の夏から一塁手として県大会に出場している。キャプテンになった2年秋には、積極的な打撃で北信越大会の優勝に導き、翌年のセンバツ出場に貢献した。

ね? なにか、持っているんです

社会人3年目の今季は、三番に定着した都市対抗2次予選で打率.389、2HR、6打点と絶好調。高校時代の12年センバツ以来となる全国大会・都市対抗出場を果たした。セガサミーとの、その初戦。0対0の息詰まる投手戦の8回、一死二塁から左前に渋く落とすと、これが値千金の決勝タイムリーとなった。

「初めての東京ドーム、やはり緊張しましたね。ただ決勝打の場面は、(前の打者のバントで)走者が二塁になり、"引っ張らんでいいから"といわれて楽になりました」

と西川はいう。今春から、トップの位置でヘッドが投手側に入りすぎないようにフォームを改造した。好投手の多い社会人では、ストレートに差し込まれることがあるためだ。これによって、「打ち損じや、差し込まれることが減りました」。決勝タイムリーも、手元まで引きつけて逆方向に落としたもの。ただし、当たりそのものはよくない。逆に、よくなかったからこそ、

「ね? なにか、持っているんですって」(稲場監督)

ということになる。

結局、好投手との対戦が続いた都市対抗では、4試合でヒット4本に終わったが、遊撃の守備と足でもしっかり見せた。大谷・藤浪世代。

「春先からプロに行くつもりで取り組んできたので、都市対抗ではなんとかアピールできたと思います。もちろん、プロは意識していますよ」

もし指名されたら、命名の由来を突っ込まれることは確実だ。おせっかいながら、ちょっと調べておいたほうがいいと思います。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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