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渡辺元智監督勇退。そこで「厳選・横浜名勝負」 その5

楊順行スポーツライター

1998年8月20日 第80回全国高校野球選手権大会 準々決勝

横  浜 000 220 010 010 000 12=9

PL学園 030 100 100 010 000 10=7

東西両横綱のセンバツに続く再戦はPLが2回、松坂大輔から早くも甲子園最多の3点を奪い主導権を握るが、横浜は小山良男の2ランなど効果的な長打で9回を終わって5対5。延長でも死闘が続き11回、16回と横浜が勝ち越すたびにPLが追いつく。勝負を決めたのは17回、横浜が二死から失策で得たチャンスに飛び出した、常盤良太の2ランだった。

「この試合は、松坂の立ち上がりが悪かったですね。もともといいほうではありませんが、2回に3点でしょう。異変に気づいたのは、ベンチにいる選手たちでした。どうも、三塁コーチャーがキャッチャー小山の構えから球種を判断し、打者に声で伝えていたらしい。どこにクセがあるのか、結局小山はわからなかったようですが、試合中に疑わしいところは修正していた。小山は、頭のいい子ですからね」

点の取り合いで、4対5と横浜が1点を追う8回だ。加藤重之がヒットで出たが後藤武敏、松坂が簡単に外野フライで二死一塁となる。打席には小山。この試合では2ランを打つなど、当たっていた。ここでなぜか、PL学園のエース・上重聡が1球目を投げる前に、ファーストの三垣勝巳がベースを離れた。

渡辺は一瞬、目を疑った。一、二塁ならともかく、走者は一塁だけだ。一塁手は、離塁を小さくするためにベースにつくのが当然である。しかも、加藤は俊足。二塁盗塁がひじょうに楽になる。

「最初はなにかのワナだと思いました。PLクラスになると、どんな高度なことを仕掛けてくるのかわかりません。たとえばわざと走らせてウエストし、二塁で刺すつもりじゃないか、と。ところがPLベンチを見ると、あわてているんですよ。おそらく、ライトの守備位置を下げるつもりの指示を、三垣君が誤解したのか……すかさず加藤にサインを送りました。"走れ!"。ただ加藤も、ワナかもしれないと警戒し、なかなか走りません。2球目、3球目……。

カウントが1ボール2ストライクになっても、三垣君はまだベースを離れたままです。加藤もようやく腹をくくって、4球目に走りました。むろん、ゆうゆうセーフです。そして小山が上重君のストレートをセンター前にはじき返し、同点に追いつくのはこの直後です。

延長に入ると松坂が立ち直って11回に初めて1点リードし、ここは追いつかれましたが16回にまた勝ち越し。本当は、ここで勝っていなければいけません」

16回、いったんは勝ち越すもその裏……

だがその裏、横浜の守りだ。一死三塁から、本橋伸一郎がショートゴロ。ショートの佐藤勉は、三塁走者を目でけん制して一塁に投げる。その瞬間、三走の田中一徳が思い切ってスタートを切った。送球を受けた一塁の後藤が、あわてて本塁に投げるが、高く抜けてセーフ……。小山が本橋の守備妨害をアピールするが、生還が認められた。同点。

「あれは、送球を受けた後藤が、横にステップして投げたらアウトのタイミングでした。実際そういう練習も、日常的にやっているんです。ところが後藤は、そのままホームに投げて頭から滑った走者に足をすくわれ、腰砕けで悪送球です。ちょっと足を外せば間に合うのに……もうはらわたが煮えくりかえって、ベンチに帰ってきた後藤をめちゃくちゃ怒りました。

伏線もあったんです。この試合の後藤は打ってもことごとくブレーキで、チャンスにはフライを打ち上げ、それならとバントを命じれば最悪のゲッツー。ですから"もうオマエの顔なんか見たくない! 引っ込めるから、堀(雄太)、次はオマエがファーストを守れ"と。後藤は涙を流していましたね。ただ、ファーストに行けと命じた堀がくすくす笑っているんですよ。"もう僕、出ています"。先発で使って、途中から代えたことさえ忘れていたんです。

ただ、そこでふとわれに返りました。冷静になったというか……そうするとあらためて、勝ちたいという執念がわいてきて、初めて"勝て!"といったんです。ピッチャーがかわいそうだろう、ともいいました。ふだんチームワークチームワークと口を酸っぱくしていますから、個人がかわいそう、ということを口にするのは初めてでした。そして17回の表に、常盤(良太)の決勝2ランが出るわけです」

もっとも渡辺にしても、後藤の無念さはわかっていた。本人は隠していたが、神奈川大会の終盤から腰を痛めていたのだ。この試合のあと、腰が痛いと訴えた後藤を医者に連れて行くと、「疲労骨折。明日の試合も無理」。驚いた渡辺が「ここで無理をすると将来がダメになるぞ」と後藤をさとしても、本人は出る、という。そして翌日、明徳義塾との準決勝は、その後藤がカギを握ることになるから不思議だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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