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春夏連覇より難易度は高い。センバツ連覇に挑む原田監督は「平安ファン」〜その2

楊順行スポーツライター

もう時効だからいいだろう。

93年秋に母校・平安(現龍谷大平安)の監督となった原田英彦が、愕然としたことがある。見るからに野球部員という風貌の高校生が、市内のバス停で待ちながらタバコを吸っている。どこの学校や……と胸くそ悪く感じたが、よく見るとはめている軍手に"HEIAN"。開いた口がふさがらなかった。

高校卒業後は、社会人の日本新薬でプレーした。13年間の現役生活で、都市対抗には10回出場した。営業に専念して1年、仕事がおもしろくなり、これから会社に恩返し……という矢先。低迷する母校の建て直しに、OB会から監督就任の要請があった。結局、迷った末に要請を受けるのだが、

「こりゃ大変やな、と思いましたよ。西本願寺の周囲を走らせれば、目を盗んで神聖な境内をショートカットし、苦情が殺到する。ユニフォームの着方、道具への愛着、バス停の事件のような日常生活、どれひとつとっても、平安野球部というプライドがないんです。当たり前のことから改善すべき点を挙げていったら、60以上もありました」

4回戦負けに「ようやった!」

寂しかったのは94年、初めての夏の大会だ。4回戦負けなのに、「ようやった!」と観客に拍手されたのである。これが自分の少年時代だったら、監督がどれだけつるし上げられたか。落ちるところまで落ちたか……だが、あとは上がっていくしかないと気を取り直した。60いくつの改善点を根気よく、ひとつずつつぶして1年がたち、2年が過ぎ、3年目になるころ、ようやく原田監督の考え方が浸透した。部室は整然と整頓され、グラウンドはきれいに整備され、グラブやスパイクはつねに磨かれ、ユニフォームの着こなしにも、それらしい格が宿ってきた。

平安がセンバツで23年ぶりの白星を記録してベスト8に入り、夏も準優勝を飾ったのは97年。1年時からエース候補として鍛えられた川口知哉(のちオリックス)が、3年のときである。"土下座せぇ!"の初戦負けから、2年がたっていた。以後……原田が監督になってからの平安は、春夏つごう14回の甲子園に出場して23勝13敗1分けである。

たとえばユニフォームの着こなしやきびきび度は、野球の技術に直接の影響はない。日常の生活態度も、勝敗と因果関係があるかというとちょっと疑問だ。ただ、ユニフォームをだらしなく着て、空気に統率のないチームが甲子園で優勝したためしがないのも、また事実だ。かつて原田監督と強豪、古豪と呼ばれるための必要条件とはなにか、と話したことがある。

「う〜ん……僕も真剣に考えてみたことがあるんです。平安はおかげさまで“名門”“古豪”“強豪”といった冠をつけていただきます。それは積み重ねてきた伝統、甲子園での戦いぶりを、ファンが認めてくださっているからではないでしょうか。監督就任直後のことです。松山商さんと試合をやらせてもらったとき、朝7時半に学校に着いたら、もうおじいちゃんやおばあさんが、ネット裏の客席で待っているんですよ。そして僕らが入っていったら、自然に拍手がわいた。試合が終わって一礼するとまた“甲子園で、会おうな!”。ムチャクチャうれしかったですね。そしてまたグラウンドが、なんとゆうかすごくいいニオイがするんです。けっして新しくはなくても、神社のように厳粛に掃き清められ、用具すべてがきちんと整頓されていて。これが伝統や、名門の香りや……思いました」

伝統への敬意は、それだけ深い。平安のセンバツの最高成績は、74年などのベスト4だった。74年といえば、中学時代の原田が練習を見学し、「さすが平安のエースや」と感激した山根一成の在籍時だ。昨センバツの優勝は、偉大な伝統を超えるものだったわけだ。だから「平安ファンとして、ホント、うれしく思います」と目を潤ませたのだ。

好左腕の系譜に連なる高橋奎二

そして、3年連続出場の今回。旧チームからのレギュラー野手はいないが、昨年の優勝に貢献した高橋奎二、元氏玲仁の両左腕が残る。ことに高橋は、秋の公式戦をすべて完投し、防御率1・59。やや頼りなく、原田監督から「まだ赤ちゃん」と呼ばれていた昨年に比べ、ぐっとたくましさを増している。

「平安といえば川口さん、服部さん(大輔。03年夏、ダルビッシュ有と延長11回の投手戦を演じ0対1敗戦も17奪三振)と、すばらしい左投手の歴史があります。僕もそこに入りたい」

と高橋は言う。今年で87回を迎えるセンバツだが、連覇は過去に2回しかない。戦前29〜30年の第一神港商と、81〜82年のPL学園だ。このセンバツでは、大阪桐蔭も昨夏に続く夏春連覇がかかるが、こちらは過去に4校が達成している。どちらも大偉業には変わりないが、難易度で言えば春連覇のほうが高い……? 古豪・平安に対し、大阪桐蔭は甲子園初出場が90年だから、位置づけとしては新興の強豪か。

ほかに、昨夏の準決勝で桐蔭に敗れた敦賀気比、東北勢初優勝という野望に燃える昨秋神宮の覇者・仙台育英、大会ナンバーワンと言われる好投手・高橋純平を擁する県岐阜商などなど。有力どころが顔をそろえたセンバツは、3月21日開幕である。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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