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インドネシアのソウルフード「マルタバック」ってご存じ? 沖縄ルーツの日系人が茨城・大洗で起業

米元文秋ジャーナリスト
熱々のマルタバックにラニさんがナイフを入れる=米元文秋写す

 パンケーキみたいな、お好み焼きみたいな、インドネシアの屋台系ソウルフード「マルタバック」のキッチンカーが、茨城県大洗町で開業した。経営するのは日系インドネシア人のステファン・レンコンさん(30)と妻のラニさん(31)。県内各地で働くインドネシア人たちでにぎわっている。夫妻の友人らは「マルタバック専門店は日本初では」と話している。

 店の名は「マルタバック エペン!(Martabak Epeng!)」。エペンはステファンさんの愛称だ。(マルタバックは「マルタバ」とも表記される)

 日本に働きに来たインドネシア人やその子供たちの中から、少数だが、自営業に乗り出す人が現れている。ステファンさんの曾祖父は、太平洋戦争前に沖縄県伊是名村からスラウェシ島北部マナド近郊の港町ビトゥンへ移住した漁民だ。日本からの移民の子孫が日本に移民。長い旅路の末に、また新たな船出をしようとしている。

開業の日。車内はステファンさん(左)とラニさん=米元文秋写す
開業の日。車内はステファンさん(左)とラニさん=米元文秋写す

古里の味、妻がユーチューブ見て再現

 マルタバックは中東から東南アジアにかけての広い地域で食されているという。インドネシア各地の街角では、屋台の大きな鉄板を使ってクレープ状の生地を焼いているのをよく見かける。卵や肉、チーズ、チョコレート、ピーナツなどを生地に挟み込む。一口大に切って手軽に食べられ、子どもから老人まで、年齢、職業、民族を問わず親しまれている。

 ステファンさんも「小さい頃から大好きだった」が、10歳のころビトゥンから両親の働く大洗町に移り住んで以降、食べる機会がなくなったという。それが「料理の名人」ラニさんと2021年に結婚したことで一変した。

 「実はマルタバックは作ったことがなかった」と話すラニさんは「ユーチューブで勉強」し、ステファンさん大満足のマルタバックを完成させた。「夫は本当にマルタバックが好き。顔もマルタバックみたいだし」と微笑む。ラニさんは提案した。「店をやろうよ」

 解体・外構工事業も営み、腕に覚えのあるステファンさんは、軽トラックを自力でキッチンカーに改造した。「業者に頼んだら70万円はかかるだろうけど、自作したので30万円で済んだ。保健所の許可も取れた」

「お待ちどおさま」とステファンさん=米元文秋写す
「お待ちどおさま」とステファンさん=米元文秋写す

大洗「マナド村」

 現在は大洗町の北隣のひたちなか市で暮らすステファンさんだが、開業の場所に選んだのは来日後に小中学校時代をすごした大洗町だ。マナド周辺出身日系人などのインドネシア人450人(2022年6月)が暮らし、地場産業の水産加工業などを担っている。このコミュニティーのことを「カンプン・マナド(マナド村)」と呼んでいる。

 町の高台にあるイベント会場の駐車場を借り、1月に営業を始めた。テーブルや席はなく、テイクアウト形式だ。ステファンさんは解体業の仕事もあるため、週2、3回ペースの営業となった。

 キッチンカーにはステファンさん夫婦の親族や友人たちが手伝いに来た。イモ農家で働く友人のマリオさん(32)は「すばらしい。本物の味だ。マルタバックのテイクアウトは日本では初めてでは。チョコレートとチーズのミックスが好きだ」と笑顔を見せる。

1月の夜、仕事帰りのインドネシア人たちが寒風を突いてやって来た=米元文秋写す
1月の夜、仕事帰りのインドネシア人たちが寒風を突いてやって来た=米元文秋写す

人だかり、大人も子どもも

 クチコミで聞きつけたインドネシア人の客が次々にやって来て、すぐに20人ほどの人だかりができた。調理が追いつかず、テイクアウトできるまでに2時間以上も待つことになったが、世間話に花が咲く。

 屈強な男たちが、昭和の日本で流行した「アメリカンクラッカー」をやり始めた。ひもで結ばれた二つの球をカチカチと当てる遊びだが、インドネシアでは「ラトラト」とか「トクトク」と呼ばれ最近はやっているそうだ。子どもたちも真似をして「カチカチ」と鳴らし始めた。

 家族帯同が許されない外国人実習生は単身で入国し、決められた受け入れ先で働き続ける。一方、条件を満たした日系外国人は配偶者や子どもとともに日本で暮らせる。自営業などの職業選択の自由もある。この駐車場の光景は、近未来日本の移民社会の日常を先取りしているのかも知れない。

 筆者は卵マルタバックを買った。ほかほかのミートパイのような食感、香ばしい卵の風味が口に広がる。添えられた青トウガラシの刺激とアチャール(酢漬け)の甘酸っぱさがアクセント。無性にインドネシアが懐かしくなった。1100円なり。

親がテイクアウトを待つ間、ラトラトで遊ぶ子ども=米元文秋写す
親がテイクアウトを待つ間、ラトラトで遊ぶ子ども=米元文秋写す

急展開、店舗オープンへ

 駐車場の周りは静かな住宅地。ステファンさんは駐車場の人だかりが気になる。「本当は、カフェやレストランのような店舗で営業したい」と話していた。

 この夢は予想以上のはやさで実現に向かっている。ステファンさんの父デッキーさん(57)と2月下旬にマルタバック談義をしていたところ、「息子たちは、使われていない建物を使って店をオープンすることになった」と教えてくれた。

 ステファンさんは「まずは建物を借りてレストランを営業したい。何年か後には購入することも考えている」と夢を語る。デッキーさんによると、一族は既に日本の永住権を取得している。ローンが組めるということだ。キッチンカーの売り上げは多い日で1日15万円ほどになっていたが、今は店舗開設準備の方に集中しているという。

 予定地に行ってみた。大洗町南部の海に臨む地上3階、一部地下1階。草木に覆われた「あんこう鍋」の看板が残っており、かなり前に和食レストランとして使われていたようだ。ステファンさんの友人や親族のボランティア、解体工事の同僚らインドネシア人約30人が駆け付け、敷地の廃材と雑草の除去や建物内の床の新装などの作業を始めていた。油圧ショベルやトラックも投入されている。

 ステファンさんは「キッチンカーの営業は当面休止し、店舗の準備を進めて4月か5月にオープンの予定。カラオケも楽しめる店にしたい」と話している。デッキーさんは「キッチンカーのお客さんはマナド人が主体だった。今度の店は、ジャワ人やバリ人がたくさん働いている鉾田市に近い。彼らも店に来てくれるだろう」と期待している。

店舗予定地で廃材や雑草の除去作業に駆け付けた女性たち=米元文秋写す
店舗予定地で廃材や雑草の除去作業に駆け付けた女性たち=米元文秋写す

ジャーナリスト

インドネシアや日本を徘徊する記者。共同通信のベオグラード、ジャカルタ、シンガポールの各特派員として、旧ユーゴスラビアやアルバニア、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどを担当。こだわってきたテーマは民族・宗教問題。コソボやアチェの独立紛争など、衝突の現場を歩いてきた。アジア取材に集中すべく独立。あと20数年でGDPが日本を抜き去るとも予想される近未来大国インドネシアを軸に、東南アジア島嶼部の国々をウォッチする。日本人の視野から外れがちな「もう一つのアジア」のざわめきを伝えたい。

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