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落合博満が認めた現代野球の最強二番打者は誰か【落合博満の視点vol.66】

横尾弘一野球ジャーナリスト
今季の大谷翔平も、主に二番を任されて本塁打王に輝いた。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 スケールの大きなスラッガーが居並ぶメジャー・リーグで本塁打王に輝いた大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)は、3月31日のオークランド・アスレチックス戦に三番ピッチャーで開幕を迎えたが、6月あたりから二番に入ることが多くなった。振り返れば、ニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジーターが攻守に活躍した2000年代に入ってから、メジャー・リーグでは『二番打者最強論』が語られるようになり、その考え方は次第に日本でも活用されるようになる。最近では、高校野球でも長打力を備えた打者が二番を任され、無死一塁でも犠打ではなく、強攻策で勝機を見出す戦術も見られるようになった。

 かつては、「犠打やランエンドヒットなど小技に長けた選手」と野球教本でも定義されていた役割が変化してきた現代において、二番打者に求められるスキルとは何か。そして、その役割に適した選手は誰なのか。中日監督を退任したばかりの2012年、落合博満から興味深い話を聞いた。

 その2012年シーズンは、巨人の小笠原道大の長引く不振に関心が集まっていた。小笠原と言えば、日本ハムへ入団した1997年から2年間は落合とともにプレー。落合が引退した1999年にファーストで定位置を確保し、「バントをしない二番打者」として打率.285、25本塁打83打点をマークする。その後も打線のキーマンとして実績を積み重ね、首位打者2回、2006年には本塁打と打点の二冠を手にし、フリー・エージェント権を行使して巨人と契約する。その巨人でも2007年からセ・リーグ3連覇に貢献すると、2011年5月5日の阪神戦で通算2000安打を達成した。

 だが、落合が中日で監督を務めていた2011年、小笠原は左脹脛の負傷や左手首の剥離骨折で戦列を離れ、13年ぶりに規定打席に到達できなかった。また、本塁打も前年の34本から5本に激減し、この頃から導入された“飛ばないボール”の影響も囁かれる。さらに、巻き返しが期待された翌2012年も不振は続き、結果的には本塁打ゼロに終わってしまう。そうして苦しむ小笠原を見ながら、落合はこう言った。

「小笠原は二番を打たせれば、いい仕事をしてくれるのに」

 その理由を尋ねると、「一塁ランナーの背中にゴロを打てる技術だよ」と落合は即答した。犠打やランエンドヒットなど小技から強打に変わっても、二番打者の役割は走者を先の塁に進めてチャンスを広げること。そう考えている落合にとって、どんなタイプの投手のどういう球種でも、あるいはカウントが追い込まれていても、一、二塁間に強いゴロを打ち返せる技術は打線の得点力向上に必要だという。

「左打者が一、二塁間にゴロを打つ技術は、ただ引っ張ればいいというものではない。実際、バットに当てるのが上手い打者ほど、走者一塁でショートゴロを打たされて併殺というケースは少なくないんだ。一塁ランナーの背中に確実にゴロを打てるのも、プロで飯を食える高い技術なんだよ」

 もちろん、小笠原ならば甘いボールは長打にしてしまうだろう。だからこそ、落合は2012年の小笠原を「私が監督なら二番で使ってみたい」と推していた。もっと言えば、不振にもかかわらず長打を期待されたり、代打に回って1打席で勝負するより、小笠原を二番でスタメン起用し、仕事をさせることで本来の野球勘を取り戻させるというのも、落合ならではの考え方だと感じた。では、現代で一、二塁間に確実にゴロを打つ技術を持った選手は誰なのか、また落合に聞いてみたい。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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