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5月2日は野茂英雄のメジャー・デビュー日。当時のチームメイトは今……

横尾弘一野球ジャーナリスト
野茂英雄のメジャー・リーグ・デビューは、大きな衝撃だった。(写真:ロイター/アフロ)

 28年前の1995年5月2日――。メジャー・リーグに挑戦し、約1,000万円でロサンゼルス・ドジャースと契約した野茂英雄が、マイナーでの活躍を経てメジャー・リーグにデビューを果たした日である。サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地キャンドルスティック・パークのマウンドに立ち、バリー・ボンズらと対戦する姿に、大きな興奮を覚えたのを今でもはっきりと覚えている。

 この年にオールスター・ゲーム出場、地区シリーズ進出、新人王獲得と、野茂が着実にステップアップしたことで、日本人選手が次々と海を渡る。そうして今や、投打にトップクラスのパフォーマンスを見せる大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)を筆頭に、多くの日本人メジャー・リーガーの活躍がファンを楽しませてくれる。

 では、野茂がデビューした当時、ともにプレーしていたドジャースのチームメイトたちは、どんな人生を歩んでいるのだろう。

 日本のファンに最も身近なのは、野茂の女房役だったマイク・ピアッツァだろう。1996年には野茂のノーヒットノーランもサポートするなど、1998年のニューヨーク・メッツでもバッテリーを組んだ名捕手は、父親がトミー・ラソーダ監督と親友だったという縁で、1988年にドラフト62位でドジャースと契約。1992年にメジャーへ昇格すると翌1993年には新人王に輝き、2007年限りで現役を退くまでに通算427本塁打をマークした。

 また、父方の曾祖父がイタリアからの移民であったことから、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではイタリア代表入りし、引退後の2009、2013年のWBCではコーチを務める。そして、今春に開催された第5回WBCでは監督としてイタリアをベスト8まで導き、東京ドームの準々決勝では日本と対戦した。

マイク・ピアッツァは、イタリア代表監督として、今春のワールド・ベースボール・クラシック準々決勝で日本と対戦した。
マイク・ピアッツァは、イタリア代表監督として、今春のワールド・ベースボール・クラシック準々決勝で日本と対戦した。写真:CTK Photo/アフロ

 ピアッツァとともに打線の中軸を担ったのは、一塁手のエリック・キャロスと右翼手のラウル・モンデシーだった。キャロスは、名門のUCLAから1988年にドラフト6位でドジャースへ入団。1992年に新人王、野茂が入団した1995年にはシルバー・スラッガー賞に選出されており、現在はテレビ解説者を務めている。

 ドミニカ共和国生まれのモンデシーは、17歳だった1988年にドジャースと契約。1994年に打率.306、16本塁打56打点に強肩の外野守備で新人王を手にすると、この年はオールスター・ゲームに出場し、ゴールドグラブ賞にも選ばれる。2005年限りでユニフォームを脱ぐと母国へ帰り、下院議員を振り出しに故郷サン・クリストバル市長を務める。だが、在職中に公金を着服した容疑で有罪判決を受け、現在は公職には就けなくなっているという。

2003年に移籍したアリゾナ・ダイヤモンドバックス時代のラウル・モンデシー(右)。
2003年に移籍したアリゾナ・ダイヤモンドバックス時代のラウル・モンデシー(右)。写真:ロイター/アフロ

代表監督、解説者、市長、父子ドライチとバラエティ豊か

 野茂のバックで二遊間を組んでいたのは、デライノ・デシールズホセ・オファーマンだ。二塁手のデシールズは、1987年のドラフト1位でモントリオール・エクスポス(現ワシントン・ナショナルズ)へ入団。1994年にペドロ・マルティネスとのトレードでドジャースへ移籍する。2002年まで現役でプレーしたあとは指導者に転じ、1992年に生まれた息子のデライノ・ジュニアも、2010年のドラフト1位でヒューストン・アストロズ入り。2019年にシンシナティ・レッズでコーチに就き、2021年シーズン途中には息子がレッズへ移籍したため、約2か月間は父子で同じユニフォームを着ていた。

デライノ・デシールズ(右)は、シンシナティ・レッズのコーチ時代に息子のデライノ・ジュニア(左)にも指導した。
デライノ・デシールズ(右)は、シンシナティ・レッズのコーチ時代に息子のデライノ・ジュニア(左)にも指導した。写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 遊撃手のホセ・オファーマンは、1995年はオールスター・ゲームに出場するなど絶頂期。両打ちの勝負強い打撃で勝利に貢献したが、それ以上に35失策の守備でラソーダ監督を怒らせた。シーズン後にはカンザスシティ・ロイヤルズへトレードされたが、2005年まで現役を続け、引退後は母国のドミニカ共和国やメキシコのチームで監督を歴任している。

 そして、三塁手で100試合に出場したデーブ・ハンセンは、1997年にシカゴ・カブスへ移籍したあと、1998年には阪神と契約。121試合に出場して11本塁打55打点をマークするも、甲子園のグラウンドで度々エラーを犯し、一年でドジャースへ復帰した。

 この年に先発ローテーションの筆頭で17勝を挙げたラモン・マルティネスをはじめ、ピアッツァ、オファーマン、ハンセンは野茂と同い年。また、投手陣の若手にはメキシコ出身のイシュメール・バルデス、韓国出身の朴贊浩もいて「国連ローテーション」と呼ばれたりした。当時は、メジャー独特の雰囲気が日本のファンにとっては新鮮であり、野茂の活躍によって現地観戦する人も急増した。ドジャースタジアム場内に『吉野家』が出店したのも懐かしい。

 あれから28年、2023年5月2日のメジャー・リーグは、大谷のエンゼルスがラーズ・ヌートバーのカージナルスとセントルイスで対戦。鈴木誠也のカブスはナショナルズ、ボストンでは吉田正尚のレッドソックスを相手に、トロント・ブルージェイズの菊池雄星が先発する。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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