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【落合博満の視点vol.62】技術事は「チェンジ」ではなく「アップデート」を意識せよ

横尾弘一野球ジャーナリスト
球界を代表する山本由伸(オリックス)は、数字以外の部分でも成長を続けている。(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

「現状維持は後退したのと同じ」

 多くのアスリートがそう口にする。いや、スポーツ界のみならず、一般社会でもこの考え方は正論と受け止められている印象だ。例えば、プロ野球選手が長いシーズンを戦いながら、前年の成績に並んだ時、安心感や満足感を抱いてしまったら……。あるいは、前年Bクラスのチームが「昨年もダメだったのだから」とAクラス入りを諦めたら、残した結果が前年と同じでも、そこから飛躍できる可能性は少ないだろう。この意味では、現状維持は後退したのと同じことかもしれない。

 ただ、「現状維持を、成長していないと受け取るのは少し違うと思う」と言うのは落合博満だ。打率.280をマークした選手は、翌年の目標を3割クリアにするだろうし、先発で5勝を挙げた投手は、ローテーションに定着して10勝を目指すはずだ。

「それ自体はいい。ただし、5勝から10勝にステップアップするためには、今の自分、今の練習ではダメだと考え、何かを変えようとすると落とし穴にはまる。5勝できたら、その時のピッチングをさらに磨き上げようと考えるべきだろう」

 投球や打撃のフォームで、ある一部を意識して変えることはできる。それでも、野球を始めた子供の頃に身につけた動きは簡単に身体が忘れるものではない。落合はそう考えており、さらに「ボールを投げる、打つという動作には流れがある。その中にはいい部分もあれば、そうでない部分もあるんだけど、よくない部分だけを変えようとすると、全体の動きがおかしくなってしまうこともある」と指摘する。

「バットを振り出す際に、捕手寄りの腕のヒジが身体の脇に落ちてしまうのは致命的な悪癖だ。また、左打者には当て逃げとか走り打ちと言われるような、身体を開きながらちょこんと当てるクセを持った選手も少なくない。けれど、この両方のクセを持っていると、身体の脇に落ちたヒジの抜け道が作られるので、足があれば内野安打も増えてプロでも何とか生きていける。だから、この打者に『身体を開くな』と指導すると、ひとつの悪癖は直せても、まったく打てなくなってしまう可能性がある。技術において何かを変えることには、そうした難しさが伴うものだ」

現状をどう生かして進化させるかが大きなポイント

 そうして、技術の進化が現状の形を土台に考えなければいけないように、シーズンごとの数字も前年をベースにイメージするのがいい。例えば、5勝を挙げた投手なら、翌年も5勝を合格ラインと考えるのだ。数字の上だけで10勝を目指すと、出足で躓いたり、前年より勝ち運に恵まれなかった際に、焦りも手伝って自分のピッチングを見失う危険性がある。だからこそ5勝を目指し、もし前年より早く5勝に到達できたら、その先でプラスアルファを蓄える。その結果が7勝なら、翌年はその7勝を目指す。仮に8勝目を挙げられなくても、数字以外の部分で自分が着実に進化していることは感じられるはずだ。

 FIFAワールドカップで、日本代表はドイツやスペインといった優勝経験国を倒したものの、残念ながら初のベスト8入りは逃した。各選手が今後の展望を語る中で、ゴールキーパーの権田修一は「これからの日本に必要なのは、チェンジではなくアップデート」と語った。この表現に、落合の考え方と共通点があると感じた。

 ワンランク上を目指す時に持つべき感覚は「変化」ではなく「進化」、違った自分になろうとするのでなく、これまでの自分にいいものを上書きしていくという意識なのではないか。そして、あくまで前年に残した数字をターゲットに据え、そこに到達するスピードを上げていくことが、一流への近道になるのだろう。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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