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【落合博満の視点vol.55】指揮官の基本——マイナス思考とプラス思考

横尾弘一野球ジャーナリスト
常に明るい表情が印象的な長嶋茂雄監督(左)も、マイナス思考の塊だったという。(写真:ロイター/アフロ)

 2004年に中日の監督に就任した落合博満は、春季キャンプ初日に紅白戦を実施するなど、ファンやメディアを驚かせながらチーム作りを進めていった。山本昌や立浪和義(現・中日監督)といったベテランにはマイペースの調整を認め、3月下旬にはサバイバル・レースから組織力の仕上げに移行する。ただ、その中で“そこにいるべき選手”、あるいは“いてほしい選手”の何人かが“そこにいなかった”。

 攻撃の核である福留孝介は、キャンプ前半に右ふくらはぎを故障。新背番号18を背負い、オープン戦の開幕投手を務めた朝倉健太は右肩の違和感で調整中。新守護神と期待された岩瀬仁紀も、左足中指骨折で出遅れる。さらに、リリーフ陣の柱である落合英二もコンディションに不安があると伝えられた。

 だが、落合監督は顔色ひとつ変えずにチームの舵取りを続け、メディアに対しては前向きな言葉しか口にしない。そうした姿勢は、落合監督自身が思い描く“指揮官の基本”を見事なまでに表現していた。

 就任の際、「どんなタイプの監督を目指すのか」と問われ、「私独自のものになるとしか言いようがない」と答えた。その理由は、「何がいい監督なのかと言えば、やはり日本一になった回数で考えるしかない。ならば、V9巨人の川上哲治さんや、西武黄金時代の森 祇晶さんが理想の姿ということになる。だから、私が川上さんや森さんを真似してやっていても、当の川上さんや森さんにしてみれば、『落合のやり方は私とは違う』ということになるんじゃないのかな」というものだ。しかし、独自の取り組みばかりがクローズアップされる陰で、実は野球の基本に忠実であった現役時代と同様、「少なくとも指揮官はこうあらねばならない」という基本は守り通していた。

 落合監督が考える“指揮官の基本”は次の2つだ。ひとつは、徹底したマイナス思考であること。どんなに高い目標を立てて努力を重ねても、思い通りの成果がそう簡単に挙げられるものではない。これは野球のような勝負事に限らず、一般社会においても同じことが言えるだろう。だからこそ、指揮官はマイナス思考で最悪の結果を想定しておき、そうならないような計画を立ててから組織を動かす。そして、全体の流れが軌道に乗ってきたと見るや、プラス思考に転じて攻めていくのだ。

「名将と言われた人、例えば森さんや野村克也さんの言葉や行動を思い出してみれば、マイナス思考の強さが理解できるでしょう。では、長嶋茂雄さんはどうかと言えば、ほとんどの人は典型的なプラス思考だと思っているんじゃないかな。そんなことはない。長嶋さんだって、強烈なマイナス思考の人なんだ。巨人の監督時代、トレード、ドラフト、フリー・エージェントと、選手獲得のあらゆる場面に全力投球して、能力の高い選手を集めまくったでしょう。その方針が批判されることもあったが、長嶋さんは次から次へと戦力補強をしても心配だったんだよ。これは、マイナス思考の典型。でも、指揮官たる者の本音の部分でもある。プロ球団の監督なら誰だって、圧倒的な戦力を抱えて戦いたいものだから」

球史に名を刻む指揮官はマイナス思考だ

 だが、指揮官が寝ていても勝てるような戦力を備えることは、現実的には難しい。そこで、マイナス思考から出発し、どこでプラス思考になって攻めていくかという“自分自身に対する采配”が重要になってくる。落合監督は、いきなり紅白戦を行なった春季キャンプの初日から、選手たちが順調に成長し、万全の調整をするための環境を整えようとした。だが、その一方では“そこにいるべき選手”、“いてほしい選手”が不測の事態に見舞われた際の対策も常に考えてきた。キャンプで選手、コーチとも一、二軍の振り分けをせず、すべての選手をすべての指導者で見るという環境を作った理由のひとつも、こうした危機管理のためだと言える。だから、何が起きても慌てなかった。

 いや、実はさすがの落合監督も心中では相当に慌てている。そう仮定し、「開幕は大丈夫ですか?」と何度も問いかけたとする。しかし、落合監督は絶対に「実は不安だ」とは言わないだろう。これが“指揮官の基本”の2つ目、自らはマイナス思考の塊となりながら、組織の前面にはプラス思考だけを出していくというものだ。

「戦力面で他球団より明らかに劣っている球団を任されたとして、それで『うちはAクラス入りを目指す』などと言うようなら、監督としてユニフォームを着る資格はない。ファンやメディアから『あの監督は大ボラ吹きだ』と言われようと、自分自身が優勝するのは無理だと感じたとしても、外部に対しては『うちは優勝を狙う。それだけの戦力はある』と言わなければならないでしょう」

 確かに、ファンやメディアに対しては「何とかAクラスに入って、選手にも自信をつけてもらいたい」などと謙虚な発言をしながら、その裏で選手の尻を叩いていたのでは、指揮官としての信頼を失うだけでなく、チームそのものを崩壊させてしまう危険性もある。そうした理由で、落合監督に開幕前の抱負、またシーズン中に先々の展望を尋ねても、「うちは優勝を目指す」という答えしか返ってこない。そうやって、メディアの前では必要とあらば虚勢も張りながら、コーチや選手、つまり内部に対しては本音で接していったのだ。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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