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【落合博満の視点vol.30】指導者は言葉の矛盾や朝令暮改を恐れるな――落合のコミュニケーション術

横尾弘一野球ジャーナリスト
戦術面に優れた落合博満監督は、選手とのコミュニケーションでも高い手腕を発揮した。(写真:ロイター/アフロ)

「常に実戦を想定して練習せよ。練習のための練習はするな」

 現役時代から、落合博満の持論である。中日で監督を務めていた時、春季キャンプで力をつけてきた若手選手を一軍が練習する球場に呼び寄せたことがあった。緊張で表情が強張る選手に歩み寄り、笑いながら言葉をかけて雰囲気を和ませたが、その選手がケージに入って1球目を打つと、落合監督は表情を一変させ、その選手にケージから出るよう命じた。

 その選手は、打撃マシンとの間合いを計るように、やや軽めにスイングして外野フライを打ち上げたのだが……。打撃コーチも呼んで3人で何かを話すと、その選手はバットを置いてサブグラウンドに消えてしまった。のちに、この時の理由を尋ねると、落合はこう言った。

「初めて一軍に呼ばれて代打起用されたら、それこそ初球から最大限に集中して結果を残さなければならないでしょう。その選手にとっては、まだチームの勝敗は関係ない。とにかく、自分の結果を残さなければ明日はないんだから。それは、練習でも同じ。1球目から集中しろという精神論ではなく、初球でもしっかり振れるように準備をする必要があるんじゃないかという話をした。ケージから出したのは、監督にそう言われれば余計な力が入ってフォームを崩しかねないから、言われたことをひと晩、自分なりに考えて理解し、明日はしっかり打ち込めるようにさせただけだ」

 そして、その選手が翌日に快音を連発すると、「やればできるんだ。プロは凄いよな」と笑顔を見せていた。絶対的なレギュラーだった井端弘和や荒木雅博にサブグラウンドでノックをする時も、本数や時間を決めるのではなく、「5つエラーしたら終わり」という方式が多かった。実戦ではミスをしても「もう一丁」がない。打撃練習なら自分が納得する当たりを打って終わるのではなく、最後の1球をしっかり仕留められる技術を磨くべきだと考えていたのだ。

選手の立場、年齢によってかける言葉は変わる

 だが、アマチュアを指導した時に、こんなシーンがあった。プロを目指す社会人投手のブルペンを落合が視察していると、その投手は「ラストいきます」と言って力いっぱいにストレートを投げ込んだ。そのボールは大きく高目に外れ、捕手も捕り損ねてしまったのだが、投球練習はそこで終わる。落合はその投手に、「もう1球、しっかりストライクを投げて終わったら?」と問いかける。その投手は、こう答えた。

「学生時代まではそうしていましたけど、試合では投げ直すことはできません。だから、普段からラストのもう一丁はやめて、集中力を高められるようにしています。今日はダメでしたが……」

 すると、頷きながら「いい考え方だ」と言いつつも、落合は「でも、最後はいいものを体で表現して終われよ」と語りかけ、その理由を説明した。

「常に実戦を意識し、やり直しはできないと集中するのは大切だ。でも、プロを目指す君の場合は、理に適ったフォームを身につけ、打たれてカッカしても、疲れてもそのフォームが崩れないように体に染み込ませなければならない。その段階だからこそ、いい形で投げて終わったほうがいいだろう。ラストの集中力は、プロに入ってからやればいい」

 そして、指導者の姿勢をこう説いた。

「ラストの打ち直しはないと言うのも、ラストはいい形で終われと言うのも私の本音。選手の置かれている立場、年齢などによって、指導者がかける言葉は変わる。よく考えてみると、指導や教育では矛盾する言葉や表現はいくらでもある。ただ、それを恐れちゃいけない。もう一丁はなしだと言っているからって、もう1球投げたほうがいい投手には投げさせなくちゃ。技術事を指導する現場は生き物だ。極端に言えば、監督が伝えた方針が1日で変わることもあるかもしれない。でも、変える必要があるなら言うべき。矛盾や朝令暮改を恐れてはいけない」

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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