Yahoo!ニュース

たった1打席でバッティングは大きく変わる――落合博満のホームラン論その5

横尾弘一野球ジャーナリスト
数々の記録を残してきた落合博満だが、セ・リーグでは本来の打撃を取り戻せなかった。

なぜ落合博満はセ・リーグで三冠王を獲れなかったのか――落合博満のホームラン論その4

 1986年に開催された日米野球に初めて出場した落合博満は、全日本の四番打者として第1戦で3打数2安打1打点、第2戦では4打数2安打1打点をマークする。第3戦では、この年に21勝を挙げたジャック・モリス(デトロイト・タイガース)と対戦。1回表二死三塁で打席に立った落合は、モリスのストレートを完璧にとらえ、打球はバックスクリーンに向かって一直線に飛ぶ。ところが、フェンスの手前で急激に失速してセンターフライに。バットの真芯でとらえながら力負けしたのは、落合にとって初めての経験だった。

 そして、その結果にショックを受けた落合は、遠心力も生かした独特の柔らかいスイングを捨て、10の力でボールをとらえにいく。三冠王3度のスラッガーが、自分本来の打撃とはかけ離れたスイングをしてしまったのである。

たった一度の力勝負によって消えた自分のスイング

 日米野球第4戦は、舞台を福岡の平和台球場に移して行なわれた。その移動日だった1986年11月4日、福岡市内で『落合博満を励ます会』が開かれたのだが、その席で落合博満は、恩師と言っていい稲尾和久が突然、ロッテ監督を辞任したことに触れ、「稲尾さんがいないのなら、自分もロッテにいる理由がない」と発言。世紀のトレード劇の幕が開かれる。

 落合にしては、珍しく感情的な発言だと感じたが、落合自身ものちに「モリスとの対戦のモヤモヤもあって、ああいう言葉が出てしまったのかもしれない」と振り返る。実際、この時の落合は混乱しており、日米野球ではメジャー流の力勝負の打撃を続けたのである。

 それはつまり、落合らしさを捨てたことであり、結果は芳しくなかった。第4戦こそ1安打を放ったが、二塁走者の時に捕手からの牽制で刺されたし、第5戦からは3試合続けて無安打に終わる。結局、日米野球は23打数6安打の打率.261、3打点で、長打は二塁打1本だけだった。

 このあと、落合は中日へトレードされ、1987年のシーズンは初めてセ・リーグで迎えることになる。落合と同じく2年連続で三冠王に輝いているランディ・バース(阪神)と競い合い、両リーグで三冠王を獲得することを楽しみにしていた。モリスとの対戦は、「若気の至り」として記憶から消えかかっていた。だが、年が明けて自主トレを始めると、モリスとの対戦を思い出させられることになる。

「バットを手にして構える。ここまではいつも通りの感触だったけど、スイングをすると喩えようのない違和感が身体に染みついていることに気づかされた。疲れなどでスイングを修正する際のポイントを何度確認しても、私のスイングは別人のもののように変わっていた」

本来の打撃を取り戻そうとする内なる闘いに

 落合は焦った。バースとの三冠争いを制するには、セ・リーグの投手の特徴をいかに早く覚えられるかがカギだという考えも吹き飛ぶ。とにかく、一日も早く自分のスイングを取り戻さなければいけない。それができなければ、三冠王から一転して並み以下の打者になってしまうかもしれない。新たなシーズンは、そんな恐怖感の中で迎えることになる。

 落合にとって初出場の日米野球は、メジャー・リーガーの心意気やパワーの凄さを体験させてくれたが、落合の野球人生をも変えてしまったのである。

 巨人との開幕戦では、西本 聖の徹底したシュート攻めに4打数1安打。そうしてスタートした1987年シーズンの落合は、三冠王を目指して打席に立つというよりは、本来の自分の打撃を取り戻すという内なる闘いに明け暮れる。

「結局は、現役を引退するまで自分の打撃を取り戻すことはできず、何とか誤魔化しながら12年もプレーしたというのが事実。長い時間をかけて築き上げてきたものが、たった1週間余り、もっと言えば1打席で崩れてしまう。この自分の体験から、技術の奥深さと人間の脆さを痛感させられた」

 シーズン前に削り出してもらったバットを握り、「グリップの部分が0.1mm太いと思うけれど……」とバットを削った職人に連絡。「そんなバカな」と測り直した職人が、本当に0.1mm太かったことに驚かされたというエピソードがあるように、誰よりも繊細な感覚だった落合の打撃は、だった1打席で変わってしまった。また、三冠王を獲得することで得たタイトルに関する考え方も、落合の野球人生に大きく影響したと言っていい。

(写真=K.D. Archive)

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

横尾弘一の最近の記事