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オールスター・ファン投票トップの山川穂高を覚醒させた指導者が語る「7年前の大抜擢」

横尾弘一野球ジャーナリスト
2012年のアジア野球選手権大会で優勝した時の山川穂高(左から2人目)。

 7月12日に東京ドーム、13日には甲子園球場で開催されるオールスターゲーム2019は、監督選抜の選手も発表され、残すはプラスワン投票だ。69回目を迎えるプロ野球の祭典では、ウェブと投票用紙を合わせて193万4801枚のファン投票が集まり、パ・リーグ一塁手でノミネートされた埼玉西武の山川穂高が、53万1187票で全選手中最多の得票だった。山川は3日の北海道日本ハム戦までに27本塁打をマークする活躍を見せ、742名による選手間投票でも64%にあたる475票を得ており、名実ともにプロ野球を代表するスラッガーに成熟したと言っていい。

 2014年にドラフト2位で埼玉西武へ入団した際は、中村剛也のように100kgを超える巨漢だったことで、「おかわり二世」と期待された。しかし、2年目までは大半がファーム暮らし。大器は開花しないのかという声も聞かれたが、「あいつは必ず大成する」と言い続けていた人がいる。山川が富士大3年の時、アジア選手権に出場する日本代表に抜擢した小島啓民監督(現・北海道ガス監督)だ。

 山川は2年時に日米大学野球に出場。第1戦で五番・指名打者に起用されると、5回表一死満塁で逆転満塁本塁打を放つ。ところが、次の打席からは凡退が続き、5試合で18打数1安打。最後は代打を送られる。小島が山川を見たのは、翌(2012)年の大学日本代表候補の強化合宿だった。

「この年は予定されていた世界大学選手権が中止となり、ならばアジア選手権に大学生も選ぼうと、選手たちを視察しました。山川のバッティングは、すでに学生のレベルではなく、社会人でもトップクラスという印象。社会人で中軸を任される選手たちの刺激にもなると思い、選考合宿に招集したんです」

 大瀬良大地(現・広島)、梅野隆太郎、高山 俊(ともに現・阪神)ら大学球界を代表する選手とともに社会人に交じってプレーした山川は、連係プレーで送球やカバーリングのタイミングが遅れたり、トレーニングでは体力の弱さを見せる。バットを握ればケタ違いの飛距離で目を引くのだが、総合力という点では日本代表の水準には達していないという印象だった。それでも、小島は24名の日本代表に山川を選出する。

知らないことは、根気強く教えればいい

「厳しい上下関係もない中で、好きな野球にのびのびと取り組んでいたのでしょう。チームプレーのスキルは低いし、練習する体力もない。大学では雑用も免除されるようになっていたと思いますが、日本代表に入れば年齢的にも下から何番目か。守備練習は基礎から、連係も徹底して教え、用具運びなども当たり前のようにやる。でも、山川は嫌な顔ひとつせず、言われたことは丁寧にこなしていくんです。いわゆる名門、強豪と言われる高校、大学に在籍する選手と比較すれば、年齢の割に知らないことは多かった。けれど、教えればしっかりやる。山川のその人間性に、大きな可能性を感じました」

 小島の指導者としての経験では、大学からプロや社会人に進んで伸び悩む選手には、知識や経験があるにもかかわらず、それをフルに生かそうとしない横着な姿勢があるという。一方で、山川のように知識や経験が乏しい選手は、「そんなことも知らないのか」と突き放さず、辛抱強く教えれば大きく伸びる可能性を秘める。小島の見立ては的を射ており、山川は六番打者として持ち前のパンチ力を発揮。アジア選手権で優勝に貢献すると、2013年の東アジア競技大会では堂々と日本代表の四番に座り、25打数9安打の打率.360、2本塁打11打点でアジア連覇の原動力になった。

2013年の東アジア競技大会で日本代表の四番に座った山川は、韓国戦でバックスクリーンに特大の本塁打を叩き込む。
2013年の東アジア競技大会で日本代表の四番に座った山川は、韓国戦でバックスクリーンに特大の本塁打を叩き込む。

 宿舎のホテルでピアノを見つけると、柔らかな手つきで鍵盤を弾く。どこかで習っていたのか尋ねれば、「見様見真似やってみたら弾けました」と、人懐こい笑顔で言ってみせる。そんなセンスのよさにも驚かされたが、ボールを遠くへ飛ばすハンドリングやタイミングの取り方など眠っていた潜在能力が、それを本気で引き出そうとする指導者の下で開花した。だからこそ、プロで苦労していた時期も、小島は「水に慣れれば本領を発揮する」と確信できたのだろう。

 知らないことは、根気強く教えればいい――そんな小島の指導で覚醒したスラッガーには、後半戦も、その先もずっと、ファンや子供たちが夢を抱けるバッティングを続けてもらいたい。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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