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元日本代表監督が率いる北海道ガスが華々しく社会人野球に参入

横尾弘一野球ジャーナリスト
創部発表会でチームの運営方針を説明する小島啓民監督。左は北海道ガスの大槻 博社長

 北海道民から「北ガス」と呼ばれている北海道ガスが硬式野球部を設立。4月1日に社会人野球を統括する日本野球連盟に加盟し、18日に札幌市内で創部発表会と創部式を行なった。

 同社の大槻 博社長の中に硬式野球部の設立が浮かんだのは、数年前の株主総会で、ある株主から「北ガスは企業スポーツに取り組まないのか」と質問された時だったという。その後、2016年に電力が自由化され、一般ガス事業者から総合エネルギー企業へ転換する中で、グループ会社も含めた社員の一体化を図る必要性が生まれたこともあり、17年の年頭訓示で硬式野球部の設立を表明。社内で準備が始まった。

 折りしも、17年からJR北海道がクラブチーム化。日本野球連盟北海道地区連盟からも道内社会人野球の牽引役となれるチームの設立を打診されていたことで、準備もスピードアップする。日本野球連盟に監督に相応しい人材の紹介を求めたところ、小島啓民に白羽の矢が立つ。

 諫早高で甲子園に出場し、早大を経て三菱重工長崎へ入社した小島は、1992年のバルセロナ五輪に日本代表として出場し、銅メダル獲得に貢献する。96年には三菱重工長崎で選手兼任監督となり、99年の都市対抗で準優勝。杉内俊哉(現・巨人)をはじめプロにも選手を輩出した手腕が認められ、00年には日本オリンピック委員会在外研修員としてアメリカに渡り、マイナー・リーグや大学でコーチングを学ぶ。

 帰国後は日本野球連盟の競技力向上委員として、社会人のレベルアップに尽力。日本代表コーチを経て、10年から5年間は日本代表監督を務める。その後も競技力向上委員会副委員長としてアマチュア野球の発展に尽くしてきただけに、スピード感を持ってチーム力の向上を目指す北海道ガスにとっては最適な指揮官だと言える。

これからの社会人野球のモデルとなれるチームを作る

 単身で北海道に渡り、「ここに骨を埋めるつもり」と厳しい表情で語った小島。ただ、11月から4月は降雪や低気温で、グラウンドでは練習できない環境でいかにチームを作るのかは、北海道を知る指導者が不可欠だと、バルセロナ五輪でともに戦った渡部勝美(大昭和製紙北海道-サンワード貿易監督)をヘッドコーチに招聘。自身のネットワークを駆使して11名の新人を採用し、同社の軟式野球部から転向する5名と合わせて16名の選手でスタートを切る。

 当初は19年度からの公式戦出場を目指していたが、小島の意向で今秋の日本選手権北海道最終予選から参戦する予定に。

「企業チームには、勝利で社員の一体感を醸成する役割に加え、道内の子供たちが憧れる存在にならなければいけないという使命もある。大きなことは言えないが、現役時代は野球に打ち込むことも業務だというスタンスで強化を図り、チーム運営の面も含め、これから参入を考える企業がモデルにできるチームに成熟させるつもりだ」

 創部発表会に続いて行なわれた創部式には、日本野球連盟の市野紀生会長、全日本野球協会の山中正竹副会長らとともに、侍ジャパンの稲葉篤紀監督も駆けつけ、応援ソングを地元で人気のシンガーソングライターRuneが自ら歌唱するなど、大いに盛り上がった。北海道で企業チームが創部されるのは実に20年ぶり。北海道日本ハムや駒大苫小牧高に続き、74年の大昭和製紙北海道以来となる黒獅子旗(都市対抗の優勝旗)を手に、日本一の凱旋をする日を楽しみにしたい。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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