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濃厚なのに繊細 北九州で生まれた唯一無二の豚骨ラーメンとは

山路力也フードジャーナリスト
創業して十年。『石田一龍』の勢いはさらに加速していきそうだ。

九州豚骨最後の切り札「北九州」

 九州最北端の都市にして、九州の玄関口としても四大工業地帯の一つである北九州工業地帯を擁する場所としても知られる「北九州市」。そんな北九州の豚骨ラーメンが人気を集めている。一般的に九州の豚骨ラーメンと言えば、博多ラーメンや久留米ラーメン、あるいは熊本ラーメンなどの認知度が高いだろう。

 しかしながら、ラーメン通が注目しているエリアはズバリ「北九州」。早くからラーメンイベントなども精力的に行い、老舗と新進店が混在する北九州は、同じ福岡でも博多や久留米とは違う、独特なラーメン文化圏を形成しているエリアだ。

北九州のラーメンシーンで注目を集め続けている『石田一龍 本店』(小倉)
北九州のラーメンシーンで注目を集め続けている『石田一龍 本店』(小倉)

 そんな北九州で絶大なる人気を集めている一軒のラーメン店がある。北九州市の中核を担う小倉の郊外にある『石田一龍 本店』(福岡県北九州市小倉南区下石田1-4-1)は、創業して十年が経ち、今では北九州を中心に福岡県内に5店舗、大阪にも2店舗を展開するなど、その勢いは止まることを知らない。

「ラーメン屋になりたいわけではなかった」

『石田一龍 本店』店主の新森龍二さん。グループ7店舗のリーダーとして信頼も厚い。
『石田一龍 本店』店主の新森龍二さん。グループ7店舗のリーダーとして信頼も厚い。

 『石田一龍』グループのリーダーとして今も厨房に立ち続ける店主の新森龍二さんは、元々ラーメン屋になりたかったわけではなかった。何がやりたいという夢があるわけでもなく、なんとなく20代の大半を過ごしてきた。

 「中学時代から結構ヤンチャに過ごしていまして。大人になっても我慢が出来なくて、正直何をやっても続かなかったんですよ。仕事に就いても一年も経たずにやめてばかりで。そんな時に父親がラーメン屋を始めて自分も一緒にやるようになるのですが、それでもあまり身が入らず適当にやっていましたね」(株式会社石田一龍 代表取締役 新森龍二さん)

 父親を手伝う形でラーメンの世界に入った新森さん。しかしその店では一杯500円のラーメンが一日10杯程度しか売れない日も多かった。一日5,000円程度の売り上げでは自分も父も生活していくことは出来ない。

あるお客さんの一言で本気になれた

 「そんなタイミングで今この店がある場所で営業されていたラーメン屋さんが、売り上げが厳しいので辞めるという話を製麺屋さんづてで聞いたんです。そこで親戚中に頭を下げてお金を借りてこの場所でラーメン屋さんを自分で始めることにしました」

 28歳の時に『久留米ラーメン一龍』として創業。最初は地元の友人などが開店祝いで駆けつけてくれて賑わった。しかし二週間もしないうちに、やはり一日10杯や20杯しか売れない日が続くようになった。

 「正直そこまで本気になってラーメンと向き合ってはいなかったんだと思います。真剣にラーメンを作ったことがそれまでなかったんです。そんな時にカウンターに座られていたお客さんに呼ばれて『なんだこのラーメンは。俺はこんな不味いラーメン初めて喰ったぞ』って言われたんですよね。当然悔しい思いもありましたし、今までどれも中途半端だった自分にも歯痒さだったり、色んな想いが一気にやってきて。それでそのまま食材屋さんに行って豚骨買ってきて、その日の夜から7ヶ月間店に寝泊まりして本気で旨いラーメンを作ろうと研究を始めたんです」(新森さん)

他では味わえない唯一無二の豚骨スープ

豚頭とゲンコツを16時間炊き上げたスープは、目の細かな網で何度も何度も丁寧に濾す。
豚頭とゲンコツを16時間炊き上げたスープは、目の細かな網で何度も何度も丁寧に濾す。

 その日から毎日スープを炊いては捨てての繰り返しを続けた。新森さんが目指したのは豚骨のコク、旨味、そして深みを極めた、濃厚でありながらも臭みやしつこさがないクリーミーなスープ。壁にぶつかった時は先輩のラーメン店主さんたちに頭を下げて教えを乞うた。

 7ヶ月経ってやっと自分の味に自信を持てた頃、地元で開かれた『北九州ラーメンフェスティバル』に出場し3位を獲得。翌年には2位、そして次の年には優勝を果たす。

 「今まで何の仕事をやっても続かなかった自分ですが、ラーメンによって初めて認めて貰えたんです。たくさんのお客様に美味しいと言って貰えたことで、もっとその期待に応えていきたいと思うようになりました。それが自分が頑張れる糧になっていったように感じています」(新森さん)

 『石田一龍 本店』のスープは他の豚骨ラーメン店のスープとは一味違う。厳選した豚の頭骨や大腿骨(ゲンコツ)を16時間以上丁寧に炊き上げたスープは、最後に細かな網を使ってしっかりと濾す。時間も手間もかかる作業だが、この工程によって驚くほど滑らかな口あたりになる。驚くほどに濃厚でありながらも繊細な味わいに仕上がっているのだ。

 「オープン当初は『久留米ラーメン』と名乗ってはいたんです。久留米で修業したわけではないのですが、自分の作るラーメンのイメージが久留米に近いのかなと思って。豚骨の臭いも出しつつ作っていたんですが、臭いを抑えつつもクリーミーなスープが作りたいと思うようになって、下処理を徹底するようにして自分なりのスープを作れるようになりました。そうなるともう久留米ラーメンではないので、この場所が『石田』という地域なので、その名前を付けさせてもらって『石田一龍』という屋号にしました」(新森さん)

博多や久留米に負けない「北九州ラーメン」を

『石田一龍 本店』(小倉)の看板メニュー「濃厚ラーメン」
『石田一龍 本店』(小倉)の看板メニュー「濃厚ラーメン」

 『石田一龍』のグループには店舗はいくつもあるが、新森さんが営むのは本店のみ。あとの店は全て独立した弟子たちが各自で営む「暖簾分け」になっている。同一資本で展開するチェーン店が多い中で、『石田一龍』のスタイルは独特だ。

 

「僕はこの店とスタッフを全力で守っていきたいと思っているんですね。そしてスープもかなり手がかかっていて、営業も気合いを入れて毎日やっているんです。そうなると僕がしっかりと店を見られるのはこの一店舗が限界だと思ったんです。支店をいくつも作ってそこも同じように守っていくことは難しい。それならば、他の店舗はそれぞれにボスがいて、僕と同じように自分で自分の店とスタッフを守っていく方が良いのではないかと思い、こういうスタイルで展開していくようになりました」(新森さん)

 創業して10年が経ち、若いスタッフも増えてきた。常に現場で先頭に立ってきた新森さんだが、最近では敢えて若いスタッフに任せる機会も増やしているという。

 「これからの10年は『人を育てていく』10年なのかなと思っているんです。任せることでお客さんからのお叱りやクレームも出たりするのですが、それがまた若い子たちにとって勉強や成長につながっていくのかなと思っています」(新森さん)

次は北九州に「つけ麺」の文化を根付かせていきたいと抱負を語る新森さん
次は北九州に「つけ麺」の文化を根付かせていきたいと抱負を語る新森さん

 がむしゃらに駆け抜けた10年。これからの10年はこれまでとは違った戦い方になっていくだろうと新森さんは語る。

 「どこに出しても負けないという思いで僕は毎日ラーメンを作っています。博多ラーメンや久留米ラーメンはもちろん大好きで、個人的にも良く食べに行ったりはします。しかし、僕は生まれも育ちも北九州なので、やはり博多や久留米には負けたくないんです。これからは『北九州ラーメン』として『石田一龍』を広めていきたい。そんな風に考えています」

※写真は筆者の撮影によるものです。

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フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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