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雑司が谷の街角で半世紀近く愛され続けたラーメン店が閉店を決めた理由

山路力也フードジャーナリスト
45年の歴史に幕を閉じた『中華そば ターキー』(雑司が谷)

45年愛された店が突然の閉店

ノスタルジックな佇まいが味わい深い『ターキー』
ノスタルジックな佇まいが味わい深い『ターキー』

 2020年9月19日、一軒のラーメン店が静かに暖簾を畳んだ。店の名前は『中華そば ターキー』。創業は昭和50(1975)年と、今年で45周年を迎える老舗ラーメン店。地元雑司が谷の人々はもちろん、観光客などにも愛され続けた名店だ。

 場所は昭和の面影が随所に残る町「雑司が谷」。都電荒川線の走る音が聞こえて来るこの場所は、鬼子母神や古い街並みを目当てに、時折観光客なども訪れる。まるで時が止まったかのような細い路地を歩いていると、その風景にすっと馴染むかのように『ターキー』は佇んでいた。

『ターキー』のラーメン。凛として美しい。
『ターキー』のラーメン。凛として美しい。

 自慢のラーメンは醤油の色が濃い目のスープにしなやかな中細麺が横たわり、程よい厚みのモモ肉のチャーシューと青菜、ネギ、メンマといたってシンプル。これぞ「ノスタルジックラーメン」という昔ながらの東京ラーメン。しかしながら、ひと口食べればその奥深い味わいと丁寧な仕事が感じ取れる一杯だった。

 「たかがラーメン、されどラーメン」とは使い古された言い回しだが『ターキー』のラーメンはまさにそれを地でいくものだった。最先端のラーメンのようにブランドの鶏や豚を使うわけではないが、寸胴からあふれんばかりに大量の鶏ガラを惜しげもなく使う。チャーシューは切り置きをせず、ラーメンを作るたびに一枚ずつ包丁で切る。人気の餃子も注文を受けてから餡を皮で包んで焼く。『ターキー』のラーメンは一杯600円。たかがラーメンにひと手間もふた手間もかけているのだ。

 テレビや雑誌などのメディアが気付くこともなく、淡々と営業を続けて来た『ターキー』。今から十数年前に私が『トーキョーノスタルジックラーメン』(幹書房)という本を書いた時に紹介させて頂いたのが初出ではないかと思う。その後、テレビ番組『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)でも紹介させて頂いた。

閉店を惜しむ客が後を絶たなかった

店主の甲立一雄さん。74歳とは思えないほど、動きは機敏で仕事が早い。
店主の甲立一雄さん。74歳とは思えないほど、動きは機敏で仕事が早い。

 そんな『ターキー』が突然の閉店。店主の甲立一雄さんは今年74歳と、確かに高齢ではあるがまだまだ元気だったはずだ。新型コロナウイルスの影響があったのだろうか、それとも身体を壊されてしまったのだろうか。悶々とした思いでいたら、ご丁寧に甲立さんから直接お電話を頂戴した。

 「自分はまだまだやるつもりでいたんですよ。毎日仕込みも営業も出来ていたし、お陰様でコロナの時でも来てくださるお客様はたくさんいらっしゃって。でも続けるのが難しくなっちゃったんです」(ターキー店主 甲立一雄さん)

 甲立さんは店の開業以来、店から歩いて数分のアパートに住まわれていた。しかしそのアパートが老朽化によって取り壊しが決まり、引っ越さなければならなくなった。日々の営業を考えると店から徒歩圏内のところに住みたい。しかしどこも家賃は高く『ターキー』の営業を維持するには難しい。逆に今と同等の家賃の場所に引っ越すとなると、毎日通うのが難しい。悩んだ結果、店を畳むことを決めた。

 「店に閉店の知らせの貼り紙をしたんですよ。そうしたらSNSで拡散されたみたいで、毎日たくさんのお客様に来ていただけて。あまりに来過ぎて材料もなくなっちゃったから、閉店日まで営業ができなかったんです。でもね、もう何十年もご無沙汰だった昔の常連さんとかが懐かしんで来てくれたりして。最近はコロナもあって夜になると客足が減っていたけれど、閉店すると知られてからは夜までいっぱいで。SNSの力ってすごいねぇ」(甲立さん)

「旨い」と言ってもらえたのが一番嬉しかった

もうこの光景を見ることもラーメンを食べることも出来ない。
もうこの光景を見ることもラーメンを食べることも出来ない。

 雑司が谷の町に暮らし、店を営み約半世紀。甲立さんはターキーでの人生をこう振り返る。

 「45年間楽しかったし、面白かったですよ。常連さんもたくさんいたし、学校も近かったので若いお客さんも来てくれたし、観光の外国人のお客さんも来たし、山路さんの本やテレビに出てからは他の取材も来てくれて、さらに新しいお客さんも増えたしね。何より『旨い』ってお客さんに言ってもらえるのが一番嬉しいことですよね」(甲立さん)

 店の解体工事も終わり、甲立さんも来月には雑司が谷を離れ、新しい街で新しい暮らしが始まる。移り住む街でまたラーメン屋さんをやることはないのだろうか。

 「何言ってるの、無理だよ無理無理。もう74歳で年金貰って病院通いですよ。しばらくは何もせずにのんびり過ごしますよ。そして、来年くらいから畑仕事がしたいなと。コロナの影響もあって外国からの農業実習生が帰っちゃったので、農家は今人手不足なんですよ。なので、近所の農家さんのお手伝いでもしようかなと思っています」(甲立さん)

※写真は筆者の撮影によるものです。

フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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