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大津祐樹が引退を決めた“自分基準”とは? ビジネスパートナーの酒井宏樹とは「お互いをリスペクト」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
イベントでの大津祐樹(左)と酒井宏樹(写真提供:FootballAssist)

■引退後の最初の仕事は“社長としてサッカークリニックを開催”

12月25日に今季限りでの現役引退を発表した元日本代表FW大津祐樹(ジュビロ磐田)が12月26日、酒井宏樹(浦和レッズ)とともに小学生を対象にしたサッカークリニックを行った。

大津が代表取締役社長、酒井が取締役を務める「株式会社ASSIST」によるイベントで、普段は2人からオンラインで支援を受けているクラブチームなどの小学生約450人が、会場である埼玉スタジアム第2グラウンドに集結。大津と酒井も子どもたちと一緒にボールを蹴って楽しんだ。

コロナ禍が完全に明けた今年はASSISTが提供する小学生支援サービスへの加入者が増えており、今回のサッカークリニックも埼玉と大阪の2開催を合わせると参加者は千人以上だった。

サッカークリニックでは、普段オンラインで画面越しにせっしている小学生と実際にミニゲームを楽しんだ(写真提供:FootballAssist)
サッカークリニックでは、普段オンラインで画面越しにせっしている小学生と実際にミニゲームを楽しんだ(写真提供:FootballAssist)

イベント終了後は、「子どもからパワーをもらえるし、逆に子どもにはプレーの面を学んでもらえて良かった」と充実感を見せた大津と酒井が同席してのインタビューが実現。引退についての思いなどを語った。

■大津「「僕は毎回100%でやっている。100%でやらないものは絶対やらない方がいい」

大津は磐田が引退についてのリリースを出した後、自身のSNSで引退の最大の要因は2023年4月の右大腿直筋腱断裂であることについて触れた。そして、「経験もあるので、騙し騙し60%70%でプレーすることはできます」としたうえで、「僕はクラブのために、チームのために100%プレーできない選手に価値はないと思っています。プロである以上自分に対しても厳しく判断した上で引退を決断しました」と述べた。

――磐田との契約はまだ残っていました。相当大きな決断だったのではないですか?

大津「大きな決断ではあるのですが、僕の中では自分の基準に達するか、達しないか、というところだけで、なるようになったと考えています。僕は基本的に人生をひとつのキャリアという形で考えていて、その中でサッカー選手という時期があり、今度はビジネスをやる。セカンドキャリアという考えはないんです」

横浜F・マリノス時代の大津祐樹。100%のプレーでいつも大きな熱量を放っていた
横浜F・マリノス時代の大津祐樹。100%のプレーでいつも大きな熱量を放っていた写真:長田洋平/アフロスポーツ

――大津さんの基準というのはどのようなものですか?

大津「僕は毎回頑張って100%でやっています。100%でやらないものに対しては絶対やらない方がいいと思っていますし、なおかつ自分の年齢からすると周りに影響力があることも分かっています。その中での判断です。妻にはよく『どうしてそんなに動きがハッキリしているの?』と言われるんですけど、もう次を見ていますし、長い間近くにいる(酒井)宏樹も、若干の驚きはあったかもしれませんが、『この人らしいな』なと思ったんじゃないでしょうか」

――酒井さんは、引退と聞いてどう感じましたか?

酒井「そろそろだろうなという感じでしたね。大津くんに限らず、現役選手でありながら違うビジネスをやっている人たちは、そこ(引退)に対しての恐怖心がないというか、すがっていないというか、だからスイッチが早いんですよね。次のビジョンがある人は、次へ移行するのをむしろワクワクしているというか、そういう感覚があるように見えます。だから、決めるのが速いのでしょう。周りから見て『まだ出来る』などではなく、自分でここまでだと決める時の切り替えが速いと感じます」

2023年3月8日のルヴァンカップで古巣の横浜F・マリノス戦に先発出場した大津祐樹。自身にとって今季公式戦14試合目だった4月23日のJ2ツェーゲン金沢戦で負傷し、それが現役ラストマッチとなった
2023年3月8日のルヴァンカップで古巣の横浜F・マリノス戦に先発出場した大津祐樹。自身にとって今季公式戦14試合目だった4月23日のJ2ツェーゲン金沢戦で負傷し、それが現役ラストマッチとなった写真:森田直樹/アフロスポーツ

■大津「年齢とともに自分でルールを設けていった」

大津は成立学園高校(東京)から2008年に柏に加入。ドイツ、オランダを含め、3カ国5クラブで16年間にわたってプロ生活を歩み、2019年には横浜F・マリノスでリーグ優勝を果たした。2012年にはロンドン五輪で3得点して日本のベスト4入りに大きく貢献したほか、日本代表として2013年の国際親善試合2試合に出場した。

一方で、ビジネス分野でも20代半ばから精力的に活動してきた。2016年には柏時代の盟友である酒井と組んでサッカースクールを立ち上げ、2019年には株式会社ASSISTを設立。また、2022年にはスペインのスポーツブランドであるKELMEを運営するトータス株式会社の取締役に就任している。

――サッカー選手としての区切りを含めて、人生のキャリアを自分基準で決めていこうと思ったのは何歳頃からですか?

大津「18歳の時からこういうルールを設けていたわけではありません。年齢とともに自分の立場が変わったり経験がついたり、そういったところを含めて自分のルールを引いていった感じです」

ビジネスパートナーの酒井宏樹(左)は柏レイソル時代の盟友。2016年から2人でサッカークリニックを開いている(写真提供:FootballAssist)
ビジネスパートナーの酒井宏樹(左)は柏レイソル時代の盟友。2016年から2人でサッカークリニックを開いている(写真提供:FootballAssist)

――酒井選手とは2021年の明治安田生命J1リーグ浦和vs磐田で2度対戦しています。ファン目線では2024年に再び対戦するのが楽しみだった中での引退発表でした。2人は今後もビジネスでタッグを組んでいくのですか?

大津「 彼とは生涯のビジネスパートナーだと思っています。お互いがそれぞれ持っているところと持っていないところがすごく噛み合っていて、やりたいことをサポートし合うという形が完成されています。だからお互いリスペクトしていますね。これからはビジネスでも今まで以上の結果を出せるように頑張りたいです」

酒井「大津くんは僕が引退したときのための道を作ってくれています。これからも頼らざるを得ない存在だと思いますし、新たな分野、見たことのない世界に自分を引っ張って行ってくれる存在なので、自分はそれに見合うよう、頑張っていきたいですし、やれることをやっていきたいと思っています」

(後編【酒井宏樹が語った「僕の新たなモチベーション」は意外?なあの大会 #浦和レッズ】に続く)

12月26日、埼玉スタジアム第2グラウンドで開催したサッカークリニックには450人の小学生が参加。高学年の部の子どもたちと記念撮影(写真提供:FootballAssist)
12月26日、埼玉スタジアム第2グラウンドで開催したサッカークリニックには450人の小学生が参加。高学年の部の子どもたちと記念撮影(写真提供:FootballAssist)

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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