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【アジア大会 競泳】鈴木聡美 武器は世界選手権で14年ぶりに自己ベストを更新したマインドセット

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
杭州アジア大会の女子50m平泳ぎと同100m平泳ぎに出場予定の鈴木聡美(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

7月に福岡で開催された水泳の世界選手権から、ちょうど2カ月が過ぎた。世界選手権では男女合わせて銅メダル2個(瀬戸大也、本多灯)にとどまり、沈滞ムードに包まれた日本競泳陣だが、2種目で自己ベストを出し、出場した全7レースで観衆を沸かせたスイマーがいることを忘れてはいけない。

5年ぶりに世界大会の代表に返り咲いている鈴木聡美(ミキハウス)だ。

杭州アジア大会では、3大会連続Vを目指す女子50m平泳ぎと、2連覇の懸かる女子100m平泳ぎに出場する。その先には2大会ぶり3度目のオリンピックとなる、24年パリ五輪という目標がある。

23年7月世界選手権での鈴木聡美の泳ぎ
23年7月世界選手権での鈴木聡美の泳ぎ写真:YUTAKA/アフロスポーツ

■09年の自己ベストを14年ぶりに塗り替えた

鈴木と言えば、山梨学院大学時代に出た12年ロンドン五輪での大活躍が思い出される。女子100m平泳ぎで銅メダル、女子200m平泳ぎで銀メダル、女子400mメドレーリレーで銅メダルを獲得。日本の女子競泳史上、五輪の個人種目で初めて複数メダルを獲得し、“シンデレラガール”として脚光を浴びた。

しかし、その後は決して順風満帆な競技人生ではなかった。むしろ苦しい時期が長かった。

16年リオデジャネイロ五輪はロンドン五輪と同じ3種目に出場したがすべて決勝進出を逃した。17年には世界選手権、18年にはパンパシフィック選手権とインドネシアでのアジア大会に出場し、アジア大会では50mと100mの平泳ぎ2冠に輝いたが、その後は代表から遠ざかり、東京五輪の出場も逃した。

しかし、水泳への情熱が途絶えることはなかった。生まれ故郷の福岡で開催される世界選手権出場を目指した今季は、日本選手権で50m平泳ぎの自己ベストを5年ぶりに塗り替えるなど復活を果たし、日本代表へ返り咲いた。

そして、世界選手権では「過去にオリンピックのメダルも(獲ったことが)ありますけど、過去は過去というように捉えて、フレッシュな気持ちで臨みたい」と語り、レース本番ではその言葉以上とも言えるフレッシュな泳ぎで強豪たちに挑んだ。

本人も目を丸くするタイムを叩き出したのは、7月24日にあった女子100m平泳ぎ予選だ。

「高速水着時代」の09年に出した自己記録1分6秒32を、実に14年ぶりに更新する1分6秒20。準決勝と決勝ではタイムを縮めることはできなかったが、3レースともすべて1分6秒台で泳ぎ切り、一発のスピードと泳ぎの安定感を両立していることを示した。

順位を見ても8位入賞という立派な成績。17年世界選手権以来となる世界大会での堂々たる入賞だった。

12年ロンドン五輪女子200m平泳ぎで銀メダルを獲得した
12年ロンドン五輪女子200m平泳ぎで銀メダルを獲得した写真:YUTAKA/アフロスポーツ

■キーワードは「最後まで出し切る」

100m平泳ぎのレース後は力強いコメントが聞こえた。

「満点に近いぐらいのコンディション。年齢というのは、特に関係ないんだな、やってきたことは間違いなかったんだなと思いました」

鈴木によれば、14年ぶりの自己ベスト更新を可能にしたのは、拠点とする母校・山梨学院大学での密度の濃い練習だった。以前は200mのための持久的な練習が多かったが、今年4月の日本選手権以降は練習メニューを大幅に変更。

「出力としては常に高いパワーを出しながら、距離は3,800m程度でも7~8000m泳いだような気分になる、力を出し切るような練習をたくさん続けてきました」

その成果が、3レースすべて1分6秒台という高いレベルの安定性となって表れた。

世界選手権で鈴木が何度も強調していたのは、「出し切る」というマインドセットだ。

「最後まで出し切る、というのがキーワードになるかなと思います」とも言っていた。

練習段階から持てるエネルギーをメニューの中ですべて出し切ることを意識していたことで、本番で力を持て余すことがなくなっていたのだ。

「出し切る」というのは口で言うのはたやすいが、その実は「限界に達する」ことを意味する。相当な覚悟が備わっていなければできないことを、鈴木は毎日やってきた。それが、高速水着で泳いでいた18歳の自分を超えることにつながった。

23年世界選手権、入場する時にスタンドへ向かって手をかざす鈴木聡美
23年世界選手権、入場する時にスタンドへ向かって手をかざす鈴木聡美写真:YUTAKA/アフロスポーツ

■「非常に手応えを感じている」と語った

世界選手権終盤の7月29日にはメインで取り組んできた50m平泳ぎでも魅せた。

予選は全体5位の30秒29。これは今年4月の日本選手権で出した30秒44の自己ベストをさらに0秒15更新する好タイムだった。

続く準決勝でもベストに肉薄する30秒33で全体8位になり、この種目では日本人初となる決勝進出を決めた。

地元の大歓声に包まれて泳いだ決勝では30秒44で順位をひとつ上げ、7位でフィニッシュした。

すさまじい躍進はこれだけではない。圧巻だったのは50m平泳ぎ決勝のわずか1時間半後にあった400mメドレーリレー決勝だ。予選からのメンバー変更で急きょ泳ぐことになった鈴木は、7位で引き継いで5位まで上げた。(このレースの最終結果は6位)

大会をすべて終えた後は、「今大会は非常に手応えを感じている。まさかではあったけど、100mで自己ベストを出せたのは水泳人生での大きな一歩になった」とすがすがしい表情で胸を張った。

鈴木聡美が課題のひとつとして挙げているスタート
鈴木聡美が課題のひとつとして挙げているスタート写真:YUTAKA/アフロスポーツ

■「課題はメンタルコントロール」

大舞台で力を出せたと自己評価する一方で、改善点が見つかっていることが鈴木の向上心に火をつけている。課題を克服すればタイムをさらに縮められるという思いがあるからだ。

技術面で言うと、ひとつはスタートの浮き上がりだ。

「記録を求めすぎるがゆえに、前のめりになりすぎた。詰まってしまうような泳ぎになってしまった」

一方、精神面では、「課題はメンタルコントロール。冷静でいないと、50mの決勝のように力んでしまい、硬い泳ぎになってしまう」と反省点を挙げる。

鈴木は自身のことを「負けず嫌い」と自己分析している。

「負けず嫌いが故に、じゃあ次はどうしよう、これは違う、これは合っている、と気持ちの切り替えが早くできる」という。これがたゆまぬ努力と前進の原動力なのだろう。

世界選手権ではパリ五輪への手応えも口にした。

「50mで力を出し切るパワフルな泳ぎができれば、100mの前半の50mは楽に速く泳げる。200mの練習を今後積み重ねていけば100mの後半がもっと上げられる」

100mの目標タイムはパリ五輪のメダル圏内と目される1分5秒台。「今の私なら相当なハードなトレーニングも耐えられるんじゃないかなと思う」と目を輝かせている。

自身にとって3度目となる今回のアジア大会は、競技初日の9月24日に女子50m平泳ぎがあり、4日目の27日に女子100m平泳ぎがある。このアジア大会で世界選手権に続いて自己ベストを出せれば、パリ五輪に直結していく勢いになるのは間違いない。

今が一番輝いている鈴木聡美に注目だ。

#競泳 #アジア競技大会

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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