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【男子新体操】初のインカレ出場 田中紳介が胸に抱く“2人分”の想い

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
国士舘大学男子新体操部の田中紳介。手具のスティックを手に笑顔(撮影:矢内由美子)

日本独自の競技として誕生し、近年、その人気が高まっている男子新体操。8月25日に群馬・高崎アリーナで開幕する全日本学生新体操選手権(インカレ)で、さまざまな想いを胸に自分らしさを出し切ろうと意気込む選手がいる。

国士舘大学2年の田中紳介は全日本インカレ初出場。176センチの長身を活かした大きな演技で見る人に感じ取ってほしいと願っているのは、練習中の事故で頚椎損傷の大怪我をし、リハビリ中の兄・涼介さん(青森大学3年)の分もやりきろうという想いだ。

インカレへ向け、「クラブ」の練習でポーズを決める(撮影:矢内由美子)
インカレへ向け、「クラブ」の練習でポーズを決める(撮影:矢内由美子)

■得意種目は「スティック」と「クラブ」

8月上旬の国士舘大学体育館。田中は入念なストレッチを終えるとすぐにフロアで体を動かし始めた。国士舘大学男子新体操部のメンバーは約30人。この日は団体メンバーが海外遠征中だったため少なかったが、普段は人数が多いため班に分かれて練習時間を区切っている。フロアを使えるのは2時間ほど。自ずと集中して密度の濃いトレーニングを行える。

「男子新体操は6人で組む団体と個人、それぞれに魅力があります。徒手で行う団体は、ダイナミックなタンブリングや6人で表現する演技の壮大さが魅力。個人はスティック、リング、ロープ、クラブの4種目があって、それぞれの種目で自分の色を出せるのが魅力だと思います」(田中)

田中が得意とするのはスティックとクラブ。近年はルール変更により、高得点を狙うために投げ技を連続で行うことに重きを置く傾向にあるが、田中が目指すのはダイナミックで大きく見える演技だ。

「自分は体が大きい方なので、演技の大きさや体のラインを活かしたい。どの技というのではなく、演技全体を見て欲しいです」と言う。

身長176センチ。フロアに映える長身だ(撮影:矢内由美子)
身長176センチ。フロアに映える長身だ(撮影:矢内由美子)

■5人きょうだいの末っ子 兄も新体操選手

田中は2003年、福島県喜多方市生まれの19歳。5人きょうだいの末っ子として育ち、姉、兄が先にやっていたことがきっかけで幼稚園の年長の時に華舞翔(はなぶしょう)新体操倶楽部で新体操を始めた。5人の中で長男の悠介さん(28歳)だけは水泳、空手、剣道などに熱中していたが、長女の麻友さん(26歳)、二男の啓介さん(23歳)、三男の涼介さん(20歳)、四男の田中(紳介)はそろって新体操に打ち込んだ。

華舞翔新体操倶楽部は喜多方市内にある複数の体育館で活動をしている。日によって練習場所が異なるという事情があるため、田中家は姉の麻友さんが中3で競技を辞めるまで父や母が運転する車に子ども4人が乗って体育館に通う毎日を送っていた。

幼い頃は柔軟がやや苦手だったが、小学2年生でバック転が出来るようになり、タンブリングが上達するとどんどん楽しくなっていった。団体では6年生の時に東北大会で1位。全国大会では3位になった。

喜多方市立第二中学校に上がると、2年で全国大会初出場。1学年上の兄・涼介さんが全国2位の好成績を収める中で、田中自身も「自分の力を発揮できた時のうれしさ」を感じるようになっていった。

高校は岡山県の井原高校に進んだ。次男の啓介さんが埼玉栄、涼介さんが青森山田と進学先はバラバラだったが、それぞれが互いに刺激を与え合い、影響を受け合いながら成長してきた。

とりわけ田中にとって影響が大きかったのは4歳上の啓介さんだ。「小さい頃から演技のやり方や顔も似ているとよく言われていて、いつも啓介の演技を見ながら勉強していました」と懐かしむように言う。

1つ上の涼介さんはタイプが異なっていた。田中によると、「僕と啓介は身長が高く、大きく見せる演技が特徴。涼介は僕や啓介より身長が低いのですが、体のしなやかさがあり、タンブリングの強さを武器としていました」

涼介さんは新体操界でめきめき頭角を現し、青森大学2年だった昨年5月の東日本インカレでは個人総合2位。全日本インカレでは優勝候補と目されるまでになっていた。1学年下の田中にとってはいずれ学生の大会で“ライバル同士”になっていく存在だった。

前列左から末っ子の田中紳介、二男・啓介さん、三男・涼介さん、後方左から長男・悠介さん、長女・麻友さん(提供:田中紳介氏)
前列左から末っ子の田中紳介、二男・啓介さん、三男・涼介さん、後方左から長男・悠介さん、長女・麻友さん(提供:田中紳介氏)

■2022年6月、涼介さんが事故で大けが

ところがまさかのアクシデントが起きた。昨年5月の東日本インカレを終えた後の6月。涼介さんがトランポリンを使った練習中に負傷。首の骨を脱臼し、頚椎を損傷する大ケガを負ってしまったのだ。

田中が一報を受けたのは学校から帰宅している途中だった。不意に鳴った電話に出ると、麻友さんが泣いていた。「涼介がケガをして救急車で運ばれた。病院に着いたら下半身が動かないと言っている」

にわかには信じられなかった。「一時的なものかもしれない」とも思った。しかし、翌日の精密検査の結果、非情な現実が突きつけられた。涼介さんは鎖骨から下の感覚を失っていた。

「悲しいというより、まだその時は“本当なのか”という疑いの気持ちでした。嘘なんじゃないか。そう思って信じきれない自分がいました。少し経ってから、涼介は下半身不随でこれから車椅子生活になると親から聞いたのですが、その時は、ショックを受けました」

すぐにでも会いに行きたかったが、昨年はまだコロナ禍で、涼介さんが入院した病院では面会が禁止されていた。揺れる気持ちを抱えながら日々を過ごしていると、一日に何度も何度も涼介さんのことが頭をよぎった。

「練習中も涼介のことを考えてしまうし、歩いている時も“自分が当たり前のようにやっていることを涼介は出来ないのだ”と思ってしまいました」

跳躍は高さがあり、迫力を感じる(撮影:矢内由美子)
跳躍は高さがあり、迫力を感じる(撮影:矢内由美子)

■「僕は涼介の分まで頑張りたい」

やりきれないような気持ちに苦しんでいた田中の心に変化が出始めたのは、涼介さんのケガから約3カ月後の昨年9月のことだ。出場することになっていた全日本新体操クラブ選手権が近づいたのをきっかけに、気持ちが変わった。

「涼介のためにも頑張ろう」

想いがわき上がるのを感じた。気づけば、田中の胸の中にある新体操への情熱は幅も厚みも温度も増していた。

「涼介は大学2年の6月にケガをし、本当だったらあと3年間近く続けられた新体操ができなくなってしまいました。涼介にとって悔いの残った新体操で、僕は涼介の分まで頑張りたい。涼介のために、演技をしたい。その想いを見つけたのです」

田中にとって全日本インカレは今年が初めての出場となる。男子個人は初日の8月25日にスティックとリングの2種目、2日目の26日にロープとクラブの2種目をやり、合計4種目で個人総合を競う。(26日は団体)

■「復活応援プロジェクト」発足と応援歌「ユメノキズナ」の誕生

男子新体操界では涼介さんを支援する動きが広がっている。田中きょうだいの出身クラブである華舞翔新体操倶楽部が主幹となって「田中涼介 復活応援プロジェクト」を発足。また、大の新体操ファンとして知られるシンガーソングライターの天道清貴さんは、涼介さんの応援歌「ユメノキズナ」を創り、応援イベントで熱唱した。

「涼介のためにこんなに大勢の人が応援し、募金もしてくださっていると思うと、いろいろ考えさせられています。天道清貴さんの歌も涼介に元気を与えてくれるような歌詞で、本当に涼介のために作ってくれたんだなということが伝わってきます」

しみじみとそう語る田中自身も、涼介さんのスティックの演技を懸命に練習し、演技会で披露した。

涼介さんは今、転院先の福岡の病院で必死にリハビリを行っている。ほんの少しではあるが腕が動くようになってきたといい、指先に道具をつけてスマホの操作をしたり、テニスのラケットを腕にくくりつけて車椅子でテニスをしたりする動画を上げている。

涼介さんが進んでいく道のりには、この先も困難が待ち受けている。だからこそ田中は自分がやれることで兄の力になろうとしている。

「インカレでは、まずは自分の演技をしっかり見せることが目標です。自分が納得できる演技をすれば結果は後からついてくると思っています」

雄大な演技が見る者の心の琴線を響かせるたびに、田中の想いは実を結んでいく。ひとつでも多くの「華」を咲かせるため、きょうも全力で舞い続ける。

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(8月26日追記)

8月25日、初出場となったインカレ初日の演技を終えた田中は「うまく調整ができなかった。練習不足も少しあるかな」と悔しそうな表情を浮かべていた。

1つ目の「スティック」で手具のキャッチをミスするなど、思うようなスタートを切れず、2つ目の「リング」も細かい部分でミス。それでも、「ミスをしたからといって切り替えないで次の演技に行くと、またボロボロやってしまう。そこはなんとか切り替えることができました」と前を向いた。

実は東日本インカレの際に足首を捻挫し、通し練習をあまり積むことができなかったという。けれども、「言い訳みたいになるから」とこれまでは言及していなかった。

ともあれ、インカレ出場は今回が初めてだ。兄・涼介さんの回復を願いながらの大学競技生活はここからまだまだ続いていく。

「ファンの方からは、いずれまた田中3兄弟(啓介さん、涼介さん、自身)の演技を見たいという声を聞きます。僕もその日を願っています」

きょうも、あすも、2人分の想いを込めて新体操と向き合う。

2023年8月25日、全日本インカレのスティックの演技(撮影:矢内由美子)
2023年8月25日、全日本インカレのスティックの演技(撮影:矢内由美子)

リングの演技(撮影:矢内由美子)
リングの演技(撮影:矢内由美子)

【男子新体操】 男子新体操は日本発祥の競技。1946年の第1回国民体育大会(京都)で「団体徒手体操」をデモンストレーションとして披露。翌1947年の第2回国民体育大会(石川)で初めて「団体徒手体操」の名称で競技を実施した。競技方法は「団体」と「個人」に分かれており、体操競技のゆかと同じフロア(12m×12m)を使用。「団体」は手具を持たない徒手体操と転回系(組運動とタンブリング)で構成され、演技時間は2分45秒~3分。「個人」はスティック、リング、ロープ、クラブの4手具を用いて演技を行う。演技時間は各1分15秒~1分30秒(参考:日本体操協会資料)

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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