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【体操】去就を熟考中の内村航平が語ってきたこと

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2021世界体操選手権で演技をし、スタンドに向かって手を挙げる内村航平(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 あれから約2週間が経つというのに、いまなお余韻が残っている。

「もう、これ以上ない」

 内村航平(ジョイカル)がそう言い切った世界体操選手権。種目別鉄棒の決勝で“キング”というテーゼの答えを示したのは代名詞でもある「着地」だった。

「本当に会心の一撃だった。着地した時の感触も音も覚えています」

 演技を終えた内村は満ち足りた表情を浮かべていた。

「冷静に見ると、ブレットシュナイダー(のキャッチ)は近づいていた。でも、あれだけの着地ができたので、気持ちが昂った。今の自分ができることをすべて出せた」

 準備段階が完璧だったわけではない。内村はあえて、不十分だったことを苦笑い交じりに明かす。

「僕の練習を見ていないから分からないですけど、一回も(着地で)止まらなかったんですよ。それを、ずっとやれて来たかのようにできたんです」

 その先に確信があった。

「すべてを着地の一瞬で伝えられた。自分が自分であることを唯一証明できるものが体操です」

世界選手権種目別鉄棒決勝で完璧な着地を披露した内村航平
世界選手権種目別鉄棒決勝で完璧な着地を披露した内村航平写真:YUTAKA/アフロスポーツ

■ブレットシュナイダーは計12回の演技ですべて成功

 生まれ故郷の北九州市で行われた世界選手権は、待望の有観客での開催となったことにより、会場には無観客の時とは違うぬくもりがあった。と同時に、選手自身も観客から熱量を求められているという実感があったのだろう。内村は見事に期待に応えた。

 着地だけではない。最初の見せどころである離れ技の「ブレットシュナイダー」では、前述のコメント通り、バーにやや近づいたもののがっちりとキャッチした。

 このH難度の超人技は、そもそも演技に組み込める選手自体が引退した選手を含めて数えるほどしかいない。さらに言えば、一度も落下したことない選手は内村だけなのではないか。

 内村は20年9月の全日本シニア選手権で初めてブレットシュナイダーを試合で披露してから、今回の世界選手権種目別決勝まで通算12回の演技を行ってきたが、すべてバーをキャッチしている。出来栄えのばらつきは当然あるが、H難度を成功率100%の域まで仕上げたのだ。

H難度技「ブレットシュナイダー」の時でさえ膝、つまさきまで完璧に神経が行き届き、まったく隙がない
H難度技「ブレットシュナイダー」の時でさえ膝、つまさきまで完璧に神経が行き届き、まったく隙がない写真:青木紘二/アフロスポーツ

■「結果がすべてではない。それを追求してみたいという思いがある」

 有観客の会場で完璧な着地をした時に湧きあがった感情は、自らの進退にも影響を与えた。世界選手権の演技後の会見で内村はこう語っている。

「結果がすべてじゃないということが今日分かったので、そこの追求をやってみたいなという思いが少しあります」

 内村は自身4度目の五輪だった東京五輪を終えてから世界選手権までの数カ月間、自身の今後について熟考に熟考を重ねてきた。

 すべてを懸けて臨んだ東京五輪を悔しさで終えた直後は、さまざまな感情が渦巻いた。試合後の取材エリアでは「僕が見せられる夢はここまでじゃないかな。僕はもう主役じゃない」と言いつつ、「いつ引退するかは考えていないし、引退することが終わり方の正解なのかなというと、僕は違うのかなと思う」とも言っていた。

 8月に入ってからは、五輪の時に水鳥寿思強化本部長から「今も俺は航平の演技を見て感動する。今回はこういう結果(予選落ち)ですごく残念だけど、まだ見たいと思っている」と言われたと明かした。「パリ五輪も含めて、考えて欲しい」という趣旨の要望も受けた。

「そうやって寿思さんに励まされたんですよね。寿思さんには『僕にすごく背負わせますね』と言いましたけど、僕も客観的に内村航平という体操選手を見ていたら、『パリまでやってよ』と絶対言うと思う。でもまあ、簡単には(やると)言えないです」

 その後も揺れる気持ちを抱えつつ日々を過ごし、世界選手権を終えた現在は、“時間をかけて考え抜く“と保留している状態だ。

東京五輪の練習シーン。内村の存在は橋本大輝(右)のエネルギーにもなった
東京五輪の練習シーン。内村の存在は橋本大輝(右)のエネルギーにもなった写真:松尾/アフロスポーツ

■「みんなが難しいと思っていることを僕が試して教えられたら…」

 内村がどのような答えを出すかは分からないが、“結果がすべてではないことの追求”の伏線となる思いを語っていたことがある。五輪から約1カ月が経った頃のこと。内村はこんな風に話していた。

「僕はそもそも体操が好きなんですよね。体操のことを考えるのも好きだし、来年からのルールがこうなるなら、こういう技が流行するかもねという話をすることとか、それを試すこととか」

 実際、世界選手権に向かっていた最中にも、内村は来年からの新ルールにアジャストするための技を練習で試していたという。例を挙げると、ゆかの「2回宙返り系の技からのひねり系の技」や、「ひねり系の技からの2回宙返り系の技」だ。新ルールで高得点を取るにはこれがマストになる。

 とはいえ、なぜ世界選手権で出る予定のないゆかの練習をするのか。なぜパリを目指すかどうかも分からないのに新ルール対応の練習をするのか。

 答えは“見せたい相手がいるから”だ。その中の一人は北園丈琉。「丈琉たちの参考になればいいな、という思いですね。僕ができたら、こういう感覚でやっているということを教えられるじゃないですか」

 17年からタッグを組んできた佐藤寛朗コーチも、見せたい相手の一人だ。

「佐藤も、コーチとして『その技をやるには何が大切なんですか』など、メッチャ聞いてくるんですよ。『俺はこういう感じでやっている』『へえ、なるほど』みたいな。僕がやることで、佐藤のコーチングにも生きてくる。みんなが難しいと思ってることを僕が試して『こういう感覚だよ』と教えられたら、より日本としてもレベルが上がるだろうと思うんです」

北園丈琉(左)は内村の薫陶を受けて成長してきた選手だ
北園丈琉(左)は内村の薫陶を受けて成長してきた選手だ写真:松尾/アフロスポーツ

 ナショナル合宿では多くの若手が内村の練習を見て参考にし、目標にし、刺激を受けていたという。いつでも体操ニッポン全体を俯瞰して情熱を注いでいる。後輩たちに伸びてほしいと思っている。だから内村は尊敬されるのだ。

 一方で、つねに世界のトップシーンで戦ってきただけに、日本代表でなくなった場合に心の折り合いがつくかどうかが分からないというようなことも内村は語っていた。もちろん、結果がすべてではないことを追求しようとするならば、それにもさまざまな方法があるだろう。

 名選手であればあるほど選択肢が広がる。美学もプライドもある。だからこそ絞るのは難しい。いずれにしても歩む道は内村の心次第。決してせかすことなく、決断の時を待ちたい。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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