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浦和レッズに見るサポーターとクラブの未来形。後援会とレッズランドの絆

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
サポーターは「12番目の選手」と呼ばれる(写真:築田純/アフロスポーツ)

■2019年10月、台風19号によりレッズランドが完全に水没した

 自然の脅威を突きつけられたのは、2019年10月13日のことだった。後に「令和元年東日本台風」と名付けられることになった強大な台風19号は、関東地方に容赦なく雨を降らせていた。

「レッズランドは大丈夫だろうか」

 浦和レッズ後援会専務理事の新田博利(69)は、前日から埼玉県内の自宅で気を揉んでいた。

「レッズランド」とは、浦和レッズが運営する会員制のスポーツクラブ。Jリーグ百年構想の理念の具現化を目指して2005年に開設された施設で、さいたま市の西端にある荒川の河川敷に、天然芝サッカー場4面や人工芝サッカー場2面、テニスコートなどがある。敷地面積は約14万平方メートル。東京ドーム3個分に匹敵する広さだ。浦和レッズ後援会は2016年からレッズランド内に事務局を構えている。

 荒川の河川敷は、限界を超える大雨の際には東京都内が洪水になるのを防ぐため、調節池の役割を担うことになっている。

 台風19号がもたらす雨量はすさまじく、雨脚が強くなるにつれ、新田氏は気が気ではなくなっていった。過去の経験で、荒川の支流である鴨川が氾濫し、レッズランドの一部が浸水したことがあったからだ。

 

2019年10月13日、シンボルの大木が3分の1ほど水に浸かるなど、完全に水没したレッズランド。水深は推定5,6メートルに及んだ(レッズランド提供)
2019年10月13日、シンボルの大木が3分の1ほど水に浸かるなど、完全に水没したレッズランド。水深は推定5,6メートルに及んだ(レッズランド提供)

 しかし、台風19号はその比ではなかった。10月13日未明、とうとう荒川の本流からレッズランドに水が流れ込み、東京ドーム3個分もある敷地が完全に水没した。高さ10メートルほどある照明灯が半分しか見えないなど、水の深さは推定5~6メートルに及んでいた。

2019年10月14日から少しずつ水が引き始めた。前日には水面下だったものが見え始めたほか、中央左の大きな木を前日の写真と比較すると水の深さがイメージできる(レッズランド提供)
2019年10月14日から少しずつ水が引き始めた。前日には水面下だったものが見え始めたほか、中央左の大きな木を前日の写真と比較すると水の深さがイメージできる(レッズランド提供)

 調整池としての役割を果たし、東京都に水が及ばなかったのは不幸中の幸いと言えたが、スタッフから送られてきた写真には愕然とさせられた。

 さらに途方に暮れたのは、水が引いた後だ。大小様々な大量のゴミや流木、粒子の細かい汚泥が10センチ近く堆積して地面を覆っていた。復旧作業をするにも何から手を着けるべきか、見当がつかないと、スタッフは半ば顔色を失っている。専門家には「復旧のためには1億5000万円から2億円程度の費用がかかるだろう」と言われていた。

■後援会がレッズランド復旧のための募金を開始

2019年10月16日、水が引いて間もないときの「原口元気フィールド」には汚泥が堆積していた(レッズランド提供)
2019年10月16日、水が引いて間もないときの「原口元気フィールド」には汚泥が堆積していた(レッズランド提供)

 その頃、浦和レッズ後援会には会員から続々と連絡が入っていた。「レッズランド復旧のために手伝いたい」。ボランティアを申し出る声だ。

 しかし、汚泥が堆積している状態は感染症のリスクが高いため、ボランティアを受け入れられる状況ではない。そこで新田たちは「後援会として何ができるか」と考え、義援金を集めることを決めた。

 その頃、浦和レッズはトップチームの試合会場で「令和元年7月豪雨(西日本豪雨)」のための募金活動を行っていた。災害が増えている近年、浦和レッズはしばしば募金活動を行っているが、ファン・サポーターからの協力はいつも活発で、集まる金額の多さは知る人ぞ知るところとなっている。

 クラブ内では“甚大な被害が出た西日本豪雨の募金活動をしている最中にレッズランドの募金を行うのは、いかがなものだろう”というムードがあり、後援会の決定はクラブにとってもありがたいことだった。

■800万円は人工芝グラウンドの照明設備の費用に

 浦和レッズ後援会ができたのはJリーグが開幕した1993年だ。会員数は08年の1万2000人をピークに徐々に減ったが、今でも約5600人の個人会員がいる。法人会員も330社と多い。

 会員構成の特徴は、開幕当時から名を連ねる“ベテラン”が多いこと。クラブ独自のチケット会員組織である「REX CLUB」と比べると平均年齢は大幅に高い。そのため、「オンライン」による手続きを苦手とする会員が多い。

 そこで決めたのが、(1)スタジアム募金、(2)口座振り込み、(3)クラウドファンディングという3つの方法を用意することだった。こうして始まったのが「レッズランド復活プロジェクト」。その結果、約800万円が集まった。

2020年6月、浦和レッズ後援会が集めた義援金により、LED投光器を取り替える作業が始まった(レッズランド提供)
2020年6月、浦和レッズ後援会が集めた義援金により、LED投光器を取り替える作業が始まった(レッズランド提供)
取り付けられた投光器(レッズランド提供)
取り付けられた投光器(レッズランド提供)
光のチェック(レッズランド提供)
光のチェック(レッズランド提供)

 台風19号による水没から9カ月が経った20年7月、「レッズランド復活プロジェクト」として集まった約800万円(7,965,104円)の義援金の目録が、浦和レッズ後援会からレッズランドに渡された。新型コロナウイルスの影響で贈呈式はなかなかできずにいたが、被災してから9カ月の間にレッズランドではかなりの部分の復旧が進んだ。

 本格的に手を付け始めたのは昨年11月から。まずは芝を痛めないように堆積した泥の除去を慎重に行い、次に水没により損傷した変電設備など各施設の修復作業を行った。

 さらに、年が明けるとボランティアに協力してもらえることが増えていった。昨年のラグビーワールドカップで、日本の初戦の相手だったロシアが事前キャンプで使った天然芝サッカー場(ラグビー場兼用)も泥で埋まっていたが、1月に泥の除去が完了。今春から芝の再生作業に着手し、早くも緑が戻っている。

 また、人工芝の「原口元気フィールド」や「関根貴大フィールド」は、人工芝の下に泥がもぐりこんでめくれあがっていたため、復旧が難航すると思われたが、こちらも丁寧な作業で復活した。

 浦和レッズ後援会が集めた800万円は、人工芝サッカー場の照明設備の費用に充当されることになった。復旧に当たっては新たにLEDライトを使用。電気代の節約にもつながるという。

 このほか、宇賀神友弥が発起人となって行ったクラウドファンディングや自治体、Jリーグなどからの支援金もレッズランドの復旧に充てられている。

■老舗後援会の存在意義とは?

 

浦和レッズ後援会の新田博利専務理事(撮影:矢内由美子)
浦和レッズ後援会の新田博利専務理事(撮影:矢内由美子)

 今回の「レッズランド復活プロジェクト」を通じて、新田が改めて感じたことがあったという。

 新田は1950年、埼玉県生まれ。現役時代は慶応サッカー部を経て日立でプレーした元日本リーグ選手だ。その後は、90年に浦和青年会議所が中心となって発足した「浦和にプロサッカー球団をつくろう会」のメンバーとして、浦和レッズの誕生に尽力。そのような経緯もあり、現在は後援会の専務理事を務めている。

 新田によれば、93年に浦和レッズ後援会が発足した当時は、選手やチームをサポートする団体であり、いわばファンクラブ的存在だった。それから約27年。この間、チームを取り巻く状況は大きく変わっていった。

 2001年からは最大収容人員6万人超の埼玉スタジアムをホームスタジアムとして使用するようになり、クラブの予算規模が拡大し、経営が組織的に整っていった。チームも変化した。03年のヤマザキナビスコカップ優勝で初タイトルを獲り、06年にリーグ初制覇、そして07年にはアジア制覇。クラブもチームも、目標とするところがどんどん大きくなっていった。

 時代による変化に伴い、新田は後援会の存在意義が次第に薄れていくことを感じていた。発足からしばらくは、後援会がチームをサポートしていた部分も多かったが、クラブ自身の作業で事足りるようになっていった。ただし、その半面、クラブが地域との関わりをどうしていくかという悩みを持つようになっていることも見えてきた。

■「レッズランドは地域の宝物」

 そのようなタイミングで気づいたのが、「後援会は元々、地域がつくったもの」であることだった。新田はこのように語る。

「クラブが自分たちのサイズに合わせて目指すところをアジア、世界へと変化させていったのは自然なことです。一方で、後援会は元々、地域がつくったもの。地域が浦和レッズを活用することで、地域の絆をつくってきたという歴史がある。選手周り、チーム周りのことはクラブに任せて、後援会は地域活動へシフトした方が良い。そのように考えるようになったのです」

 新田は「今回のレッズランド復活プロジェクトで、あらためて後援会の存在意義を自分たちが確認することになりました。レッズランドは地域の宝物。レッズランドに集うことで、浦和レッズというクラブを身近に感じることができる」と力を込めた。

 後援会の会員の中には、試合を見に行く、応援するということだけではなく、何かしら別の形で浦和レッズとつながっていたいと思っている人が多いという。

 Jリーグができて27年。歴史を重ねれば重ねるほど、規模が大きくなればなるほど、クラブとファン・サポーターとの関わり合い方には多様性が求められるのではないだろうか。新規ファンの獲得は必須だ。アジア制覇を目指してエネルギッシュに応援するアクティブ層のパワーは欠かせない。時を重ね、歴史を知るベテランサポーターの存在はクラブに厚みをもたらす。その中で、地域とクラブを陰日向となってつなぐ役割を担えるのは後援会だろう。

 水没からの復活劇の中で、浦和レッズ後援会とレッズランドの絆が示したものは、古き良き関係という意味合いだけではなかった。むしろサポーターとクラブの未来形を彩るものだった。

 

2020年7月の「原口元気フィールド」。泥を取り除き、人工芝をきれいにならして復活していた(撮影:矢内由美子)
2020年7月の「原口元気フィールド」。泥を取り除き、人工芝をきれいにならして復活していた(撮影:矢内由美子)
2020年7月の天然芝グラウンド。ここまで緑が戻っている(撮影:矢内由美子)
2020年7月の天然芝グラウンド。ここまで緑が戻っている(撮影:矢内由美子)
サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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