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【体操】ゼッケン「162」と内村航平への思い。山室光史「リオ組が頑張らないと面白くない」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2016年リオデジャネイロ五輪体操男子団体総合金メダルの表彰式で(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 4月27日の群馬・高崎アリーナ。前日の4月26日にあった全日本体操個人総合選手権予選で内村航平(リンガーハット)が敗退した衝撃は大きく、ざわついた雰囲気は1日たってもそこかしこに残っていた。

 そんな中、重苦しい空気を前向きに転じさせたのが山室光史(コナミスポーツ)だった。

 内村とは同い年で、高校時代から親友同士。日体大から2011年に社会人のコナミスポーツへとともに進み、ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪では団体総合のメンバーとしてそれぞれ銀、金メダルを獲得している。

 山室は4月27日に行われた種目別トライアウトで、跳馬と平行棒に出場。跳馬では1本目にD得点5・6の高難度技「ロペス」をほぼまとめ、ラインオーバーこそあったが14・566点とまずまずの得点を出した。自身の名のつくG難度の「ヤマムロ」を封印し、安全策を採った平行棒では、腕支持技で高さが足りずにひやりとする場面もあったがどうにかこらえて最後まで通しきった。

「平行棒は(手が)滑って良くなかった部分もあったけど、最低限の演技はできた。跳馬は、全日本種目別選手権に進めると思うので、決勝に出たらもう半分ひねっていきたい。個人総合に出られない分、時間をかけて練習できると思う」

 現時点でやれることはやった。30歳のベテランの顔にはすがすがしさが漂っていた。

■手にしたゼッケンの番号は「162」

 取材エリアで自身の演技内容や近況についての質問をひとしきり受けた後だった。内村のことを聞かれると、硬い雰囲気の抜けきらない記者たちの心中を察するかのように柔らかい口調で言った。

「たまたま今日のゼッケン(162)が航平のナショナル番号だったんですよ。背負っているものが重いから、こけられないなと思って演技しました。きょう、僕が頑張っているのを見て、刺激になってくれたらいいと思って。所属(チーム)は違うけど数少ない同世代ですから、まだまだ頑張ってもらいたいし、寄り添いながら一緒に頑張っていきたいです」

 山室によれば、試合前にゼッケンを配られたときにハッと気づいたのだという。「162」は、盟友である内村のナショナル強化指定ナンバーなのだ。

 日本体操協会では1964年東京五輪の前からナショナル選手に通番を付与しており、「1」は1960年ローマ五輪、1964年東京五輪、1968年メキシコ五輪で3大会連続団体総合金メダルに輝いた遠藤幸雄。以後、加藤澤男が「18」塚原光男が「21」、具志堅幸司が「48」、畠田好章が「99」、塚原直也が「114」、冨田洋之が「136」などとなっている。白井健三は「189」、谷川翔は「204」、そして現在のもっとも若い番号である「210」が三輪哲平。山室は168」だ。

体操ナショナル選手データベース

「航平の番号か。絶対にこけられない(転ぶことができない)な」

 山室はゼッケンをスマホで撮影し、日体大時代の同級生にメールで送り、「こけられない」とコメントを添えた。跳馬も平行棒も、その思いを支えに演技し、危なくなりそうな場面を乗り越えていた。

2016年11月、コナミスポーツのイベントで会場に挨拶をする山室。内村はこの後、プロになった(撮影:矢内由美子)
2016年11月、コナミスポーツのイベントで会場に挨拶をする山室。内村はこの後、プロになった(撮影:矢内由美子)

■「今は一番の耐え時」

 内村に関する質問は引きも切らないが、山室はそのひとつひとつに丁寧に答えていく。 

 山室によれば、大会前、内村は「あまり状態は良くないけど、試合はできると思う」と言っていたそうだ。

 さらに内村は予選の演技順の抽選で「ゆかの5番スタート」を引き当てていた。これは、予選1位の選手が決勝で回るローテーションとまったく同じもの。最初のゆかを5番目でスタートし、以降のあん馬、つり輪、跳馬、平行棒をそれぞれ4番目、3番目、2番目、1番目に演技。そして最終種目の鉄棒を最後の6番目に演技する。いわば“キングローテーション”。内村にとっては最も慣れ親しんでいる周り方である。

「航平があれを引いた時点で安泰だと思っていました。だからビックリしました」

 山室は内村が予選で敗退したことに驚いたことを率直に語った。けれども、すぐに言葉を継いだ。

「でも勝負は来年ですから。今まであまり『下』を経験していなかった選手なので、少しやさぐれているかもしれないけど、落ちるところまで落ちたら、あとは上がるだけしかないですからね。今までになく必死になった内村航平を見てみたい。僕はそういう経験ばかりで、ずっと、なんだこのやろうと思っていましたから(笑)。航平も、ようやく僕と同じ所に来たか。ちょっとは大変な思いをしてもいいんじゃないか。そう思いました」

 冗談めかした口調も交えながら語るうちに、山室の胸にはリオデジャネイロ五輪のメンバーたちの顔が浮かんだのだろう。

「今回は航平も田中(佑典)もそうですし、(白井)健三も良くなかった」

 山室は、その時点でまだ全日本個人総合選手権決勝が残っていた加藤凌平の名前は出さなかったが、加藤もまた、「耐えて、耐えて、という感じでやっている」(内村)という状況だ。

 山室は、「今年はリオ五輪で活躍した選手は一番の耐え時なのかな」と盟友たちに思いを馳せた。

2016年11月、コナミスポーツのイベントで。子どもたちに指導する機会は楽しい(撮影:矢内由美子)
2016年11月、コナミスポーツのイベントで。子どもたちに指導する機会は楽しい(撮影:矢内由美子)

■学生との練習が刺激に

 現在、山室は母校である日体大の大学院で学びながら、日によって日体大で練習したり、所属であるコナミスポーツ体操競技部の体育館で練習したりと、変化のある生活を送っている。そのお陰で、「今までと違った環境に身を置くことで、刺激も受けている」という。

 若い世代から受けている別の刺激もある。福岡大の米倉英信が今年2月の国際大会で成功させ、新技として認定された跳馬の大技「ヨネクラ」だ。

 この技は高難度技として知られる「ロペス」にさらに半分ひねりを加えたとてつもない技。山室は「ロペスハーフ(ヨネクラ)はずっとやりたかったのですが、6種目(個人総合)に重きを置いていたので取りかかる時間がなかった。今は種目を絞っているので時間をかけやすい」と言い、6月の全日本種目別選手権で決勝に進んだ際には挑戦したいという意向を示した。

 「ヨネクラ」は、国内では2015年に小倉佳祐(当時早大、現・相好体操クラブ)が成功させており、今年5月にはNHK杯と並行して行なわれた種目別跳馬で大久保圭太郎(順大)も成功させている。極めて高難度な技だが、ここはさすが体操ニッポン。国内に複数の手本がいる。山室は「国内にやっている選手がいるので参考にしながら技術を盗もうと思っている」と貪欲だ。

 日体大の学生と一緒に練習している山室には、内村にも通じるのではないかというアイデアがある。

「航平はもともと、淡々と練習できる選手だけど、今は刺激がもう少し欲しいのかなと思う。僕は大学に行って練習することで刺激をもらえているので、そういうのもいいのではないかと思うんですよね」

「新たな技にも挑戦したい」と意欲的な山室光史(撮影:矢内由美子)
「新たな技にも挑戦したい」と意欲的な山室光史(撮影:矢内由美子)

■「泥水をすすっても」

 山室自身は、リオ五輪後のケガの影響もあって体の状態は元に戻っていないというが、「いよいよ来年は東京五輪」とギアを上げようとしている。

「全日本シニア選手権(8月30日開幕、富山市)に向けてしっかりつくっていって、そこで個人総合でトップの方に残って、オリンピックにはつなげていきたい。内村、田中ともども、シニア選手権で返り咲いて、やっぱり大丈夫だったなと思ってもらえるような位置に立ちたいです」

 東京五輪の団体総合出場枠は4人で、リオ五輪時の5人から1枠減る。

「きついけど、あとはどれだけ必死にできるか。泥臭いことをできるか。みんなで、何がなんでもやっていこうと思っていますし、そういう流れにしたいと思っています。ライバルだけど、みんなで協力してやっていければと思う」

 泥臭さと言えば、山室は2012年ロンドン五輪の団体決勝の跳馬で「ロペス」を跳び、着地に失敗して左足甲を骨折している。ロンドン五輪の後は2度の手術もあって満足に練習できない時期が長く、3年間は世界の舞台から遠ざかった。

 しかし、闘志が衰えることはいささかもなかった。その間の山室の口癖は「泥水をすすってでもリオ五輪に出る」。その言葉を当時、一番近くで聞き、静かに耳を傾けていたのが内村だった。

 宣言通り、山室は16年リオ五輪代表選考会で見事に復活。自身2度目の夢舞台となったリオ五輪で団体金メダルメンバーの一員となった。山室にはそんな勝負強さがあるのだ。

「僕は『泥水をすすってもリオ五輪に出る』と言っていましたけど、航平もリオの後、『泥水をすすっても東京に』と言っていましたからね。ここからが泥臭いところだよ、と言いたいですね」

 活力を感じさせる言葉はなお続いていく。

「東京五輪は来年。もうそこまで来ていますから、簡単に投げ出せるものではないと思うんです。まだ全部を捨ててしまっているわけではないはず。きっとすぐに戻ってくると思う。からだが痛い部分が多くなってくるので、一度しっかり肩を治しつつ、トレーニングを重ねてから、もう一回、走り出してもいいんじゃないかな」

■「リオ組が頑張らないと面白くない」

 山室が確信とも願いとも取れる思いを込めて語っていた日から1カ月あまりが過ぎた。

 5月26日の報道によれば、内村は6月の全日本種目別選手権にエントリーしなかったため、今年の世界選手権に出ることはなくなった。しかし、その数日後には日本体操協会のFacebookページで、世界ジュニア体操代表選手を激励するために、合宿先のナショナルトレーニングセンターを訪れたことが報告されている。

 リオ五輪組は体操界の宝。日本の宝。互いに切磋琢磨して世界の頂点に立った選手たちの強さは並大抵のものではない。

「リオ五輪組が頑張らないと、面白くないでしょ」

 山室は軽やかな口調でそう言う。

「たとえ良くなくても、やり続けることに意味があると思うんです。何かを伝えていけるというのもある。きっと戻ってくると僕は思っています。僕がケツを叩いてでも…」

 静かに微笑んだ。

闘志はいささかも衰えていない(撮影:矢内由美子)
闘志はいささかも衰えていない(撮影:矢内由美子)
サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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