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【体操】初代ハイバーマスター(前編) 植松鉱治の世界

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2013年全日本種目別選手権鉄棒の演技で「コバチ」を行う植松鉱治(写真:アフロスポーツ)

 2020東京五輪を1年3カ月後に控え、プレシーズンの戦いが本格化してきた体操界。自身の体を、想像と現実が交わる頂点のところで操る体操競技において、最も華やかと言われるのが鉄棒(ハイバー)だ。

 現役時代、コナミスポーツ体操競技部に所属し、ロンドン五輪出場まであと一歩のところまで迫った植松鉱治(うえまつ・こうじ)は、最も得意としていたこの種目を武器に世界一を目指し、「ハイバーマスター」と名乗って観衆を魅了してきた。

 体操競技の華である鉄棒に魅せられた植松の思いに迫る。 

■中1で鉄棒が得意であることに気づく

 生まれは1986年8月30日、大阪府。小1(6歳)のときに地元のスマイル体操クラブで体操を始めると、中2から中3までの2年間をマック体操クラブで過ごし、清風高校、仙台大学を経て2009年に社会人のコナミスポーツへ入った。2歳下の内村航平(リンガーハット)とは2011年から2015年までチームメートだった。

 植松自身が鉄棒が得意だと気づき始めたのは中1の頃だ。体操競技は、ゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目。それぞれをまんべんなく鍛え、各種目でいろいろな技に挑戦している中で、すぐに習得できる技が多かったのが鉄棒だった。

「いろいろなことにチャレンジする中で、こうやればいいんだというアイデアや閃きがどんどん出てきた種目でした」

 子どもの頃から運動神経の良かった植松は、小1で体操を始めると鉄棒ではすぐに車輪をマスターする。

「はじめは大車輪が面白くて、大車輪ばっかりやっていました。その次は前方に回る車輪。その次はツイスト(大車輪をしながら片手を離し、そのタイミングで体を180度反転させて、またバーを持つ動き)と呼ばれる基本技。それができれば、今度は前方車輪でそれをやる。当時は規定演技があったので、このような順番で覚えていくことが多かったと思います」

 初めて離れ技ができたのは中3のときだった。最初に挑戦したのは「コバチ(バーを越えながら後方抱え込み2回宙返り懸垂)」だ。

さわやかな笑顔は引退から3年以上たっても健在(撮影:矢内由美子)
さわやかな笑顔は引退から3年以上たっても健在(撮影:矢内由美子)

■恐怖感も面白さだった

「コバチはほんとに格好いいなと思っていましたね。今でも覚えてるんですけど、はじめてのときは手を離した後にどこにいるかわからなくて、鉄棒の上にお腹からドカンと乗っかったんです。だから怖かったのですが、それでも面白いと感じて、1週間ぐらいでできるようになりました」

 当時は1992年バルセロナ五輪や1996年アトランタ五輪に出場し、「ダブルコバチ」で名を馳せた畠田好章(現日本体育大学監督)がいた時代。小学生のとき、実家の近くに講演のためにやってきた畠田を生で見て胸を躍らせた記憶を持つ植松少年にとって、コバチはあこがれの離れ技だった。

 コバチができるようになった後は、コバチの進化形に挑戦した。屈身コバチ、ダブルコバチ、コールマン、カッシーナ……。もちろん、コバチ系だけではなく、トカチェフ系などにも挑戦している。

「ほとんどの技を試したと思います。トカチェフ、イエーガー、ゲイロード、ゲイロード2……。いろいろ試した中で、自分の中でしっくりきたのがコバチでした」

「体操をもっと広めたい」と語る(撮影:矢内由美子)
「体操をもっと広めたい」と語る(撮影:矢内由美子)

■「ハイバーマスター」に込めた意味

 植松が「ハイバーマスター」と名乗り始めたのは2010年12月のことだ。SNSが急激に広まった時期。植松はツイッターを始めるにあたって、少しでも多くの人に関心を持ってもらいたいとの思いで、プロフィールのところでどのように名乗るかを考えたという。そこで思い浮かんだのが「ハイバーマスター」という肩書きだった。

「自分を知ってもらうのには鉄棒。自分が推せるのは鉄棒。そう思いました。やはり鉄棒で一番になりたいですし、どこへ行っても一番になりたい。それなら『マスター』になれるように、その名前を付けよう。そう思って決めたんです」

 子どもの頃から他の種目とは違う感覚を味わってきたのが鉄棒である。2015年に現役を退くまでの間で、最も印象に残っている演技はどの大会のものだったのか。

 植松が迷わずに挙げたのは、2010年6月のNHK杯の演技だ。

 社会人2年目だったこの年、植松は世界選手権の出場を目指してまい進していた。代表を選ぶ最終選考会が6月のNHK杯。大会の最終日、植松は5種目めまでノーミスで演技を続け、総合3位で最後の鉄棒を迎えた。

「離れ技はカッシーナ、コバチ、コスミックの3つ。個人総合なので、演技構成は種目別決勝のようなフル構成ではなかったのですが、大会1週間前にぎっくり腰になったところから必死に間に合わせてやった。そして、絶対に失敗できない最終種目として何とかやり切った。だから、今でも強く印象に残っています」

 初日のあん馬では失敗したが、最終日は思い切り演技することができた。結果は、内村航平、山室光史に続く3位。見事に初の世界選手権代表(オランダ・ロッテルダム)の座を手にした。

「世界選手権はワクワクして臨みました。失敗だけはしないように、そして思い切ってやる、萎縮しない。そう決めていました。団体では金メダルの力があるのに銀メダルにとどまり、悔しい気持ちはありましたが、自分としてはしっかりできたと思います」

鉄棒が良く似合う植松鉱治さん(撮影:矢内由美子)
鉄棒が良く似合う植松鉱治さん(撮影:矢内由美子)

■コバチに魅せられた

 植松は言う。

「鉄棒の最大の魅力は離れ技だと思います。その中でも一番好きなのはコバチ。いろいろ試しましたが、やっぱりコバチが面白い。クルクルッと回って、いきなり鉄棒が見えたり見えなかったり。バーが見えやすいトカチェフと比べて、コバチは鉄棒が見えなくなるからすごく恐いのですが、そのスリルが楽しかった。だから魅力があったのだと思います」

「コバチ」が初めて発表されたのは1979年。ハンガリーの鉄棒の名手、ペートル・コバチが成功させた。ダイナミックでスリリングなこの技は以後、世界の多くの体操選手に愛され、1回ひねりを加えた「コールマン」や、それを伸身で行う「カッシーナ」、さらには2回ひねりの「ブレットシュナイダー」、そして2017年にはブレットシュナイダーを伸身で行う「ミヤチ」まで派生していった。ミヤチは男子6種目の中で最高難度のI難度である。

「コバチは本当に面白い技。今も、そして今後の時代でも生きていくような技だと思います」

(※敬称略)

(後編に続く)

植松鉱治オフィシャルブログ

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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