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李忠成の前途を祝す ~浦和と歩んだ5年間~

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
情熱をピッチに投影する李忠成(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 切ない笑みが浮かんだように見えた。それは李忠成が浦和レッズに加入して2年目の15年初夏に取材したときのことだった。

 14年1月にサウサンプトン(イングランド)から浦和にやってきた李は、加入1年目のシーズンにリーグ戦全34試合に出たが6得点に終わっていた。サウサンプトンに在籍中の12年3月に右足リスフラン骨折の大けがを負った影響が完全には抜けきっておらず、14年はまだ100%のトップフォームを取り戻していなかった。

 李といえば、在日韓国人として生まれ、21歳だった07年に日本国籍を取得。日本代表のユニフォームを身にまとって出た11年1月のアジアカップ決勝戦で、オーストラリアを相手に延長アディショナルタイムに劇的な決勝点を決めた姿は誰の目にも強烈な印象として残っていた。

 それも一因だったのだろう。14年シーズン、サポーターは李に対して高いハードルを課していたように見えた。そして、そのムードを感じる李自身にも、とがった表情が見受けられることがあった。

■ゴール裏には行けない

 本来の李は気さくな人柄であり、浦和の練習場に来るサポーターとの距離は非常に近かった。柵越しに名前を呼ばれたり、旧知の顔を見つけたりすると、誰よりも丁寧に一人一人に対応していた。けれども、数万のサポーターが束になって声援を送る試合となると、どこか勝手が違うようだった。

 加入2年目だった15年初夏のある日。思い切って尋ねてみた。

ー柏レイソル時代には、出場停止のときにゴール裏で応援していましたよね。

「してましたね」

 懐かしそうに笑った。

ー浦和では…。

「レッズだと半分くらい罵倒されて終わるんじゃないですかね。悲しくなっちゃうので、ちょっとゴール裏には行けないですけどね…」

 切ない表情を見せた。だが、その後は語調を変えて言った。

「これまでも僕は逆境の中で生きていますし、ここは期待もすごく大きいクラブですから。浦和レッズは日本一のクラブですから。だからここをチョイスした、ここに来たというのもあるんです。厳しい世界の中で戦いたいからここに来たので、期待には応えたいですね」

 揺るぎない覚悟を言葉に込めて語る姿に、芯の強さを感じた。

■サポーターへの思いが変わった

 その横顔にときおり陰りを見せていた感のあった李が、「サポーターに対する思いが以前とは変わってきたんですよ」とうれしそうに話すようになったのは、15年の年の瀬も押し迫った頃のことだった。この年、リーグ戦こそ24試合2得点と振るわなかった李だが、年末の天皇杯ではやっと100%のパフォーマンスを取り戻し、4回戦、準々決勝、準決勝と3試合連続でゴールを挙げ、チームを決勝に導いていた。プレーの好調ぶりと、サポーターへの思いの変化はリンクしているようだった。

 “サポーターへの思いが変わった”とはどのようなことだろうか。真意を尋ねる時間を持つことができたのは、16年のシーズンが始まってしばらくたってから。李はこう言った。

「僕とサポーターの関係は、最初に浦和に来たときとはだいぶん変わりましたね。最初は“自分を好きになってくれ”という思いがあったけど、逆に自分が浦和を好きになったことで、サポーターが認めてくれた。まず自分が好きになることなんだと、考え方が180度変わったんです。これは僕の人生において、浦和から学んだことの一つです」

 この年、浦和は破竹の勢いで勝利を重ねた。13年に加入した興梠慎三、14年加入の李、そして15年から加入した武藤雄樹が“ミシャサッカー”の下、鮮やかなコンビネーションプレーでゴールを量産した。李は前線からのプレッシングで高い位置でのボール奪取に貢献し、攻撃時には得意のフリックで敵を欺き、自らの得点と同時に多くのチャンスを生み出した。4月には月間MVPに選出。4月29日の名古屋戦では左ワイドの関根貴大からの左クロスにゴール正面で左足を合わせてボレーシュート。アジアカップ決勝の再現とも言える豪快なゴールで4万2547人の来場者を沸かせた。

 そして、5月8日の大宮戦。李のチャントが初めてスタジアムに響き渡った。李は試合後、SNSで「浦和レッズで『李忠成チャント』ができた。 本当に心から嬉しい。みんなの期待に応えられる選手になれるよう、1人でも多くの人達の笑顔を見れるよう走り続けたいと思います。ありがとう!」と投稿した。喜んでいる姿が目に浮かぶような投稿文だった。浦和に加入してすでに丸2年が過ぎていた。

■3年連続タイトルに貢献

 李が浦和に所属した5年間にピッチで見せた価値あるゴールやプレーは枚挙にいとまがない。14年、15年こそ苦しんだが、16年からの3年間はクラブの3年連続タイトル獲得にしっかりと貢献してきた。

 李自身も最も印象に残っているというのが、16年ルヴァンカップ決勝。17年AFCチャンピオンズリーグでは済州ユナイテッド(韓国)と対戦したラウンド16第2戦で、アウェイでの第1戦0-2という大劣勢をひっくり返すゴールを決めるなどし、ACL優勝に貢献した。

 そして18年は天皇杯。鹿島を破った準決勝と仙台を破った決勝では途中出場ながら気持ちの入ったプレーでチームを優勝へと押し上げた。李がピッチに立つと、明らかにピッチ内が活気づいた。

 浦和での最後の先発は12月1日のリーグ最終節FC東京戦。李は2得点と気を吐き、チームに3-2の勝利をもたらした。李は浦和での5年間でリーグ戦131試合に出場し、24得点という数字を残した。

■愛の与え方、受け取り方

 18年12月9日、天皇杯決勝後のミックスゾーン。最後のところで李に話を聞いた。未発表ではあったが、浦和を去ることを知っている取材陣もいた。

「(5年間は)苦しさもあったし、楽しさ、嬉しさもあったし、悔しさもあった。 本当に人として大きく成長させてもらったチーム。この年齢でここに来たのも運命だと思う。多くのものを学ばせてもらったクラブです」

 サポーターのことになると、言葉にさらに熱がこもった。

「浦和のサポーターは愛に満ちあふれていますよね。僕は愛の与え方だったり愛の受け取り方だったりを彼らから学んだ。浦和のサポーターと出会うのは僕の運命だったと思う。人生の中で彼らと出会うことは試練でもあったけど、宿命でもあった。そこで逃げずにお互いに渡り合うことができて、良い意味で良い関係ができたと思います」

 李が浦和レッズで歩んだ5年間は、一人のJリーガーとサポーターとの関係に革命が起きた5年間でもあったのだ。

■スタジアムを熱くする

 18年12月27日、横浜F・マリノスへの完全移籍が発表された。今季はトリコロールのユニフォームを身にまとう李の姿が見られることになる。

「僕は自分1人の力ではなく、みんなの力を使いたいと思ってピッチに入るんですよ。サポーターの気持ちを自分に集めて、その力を吸収してからゴールに向けるイメージです」

 考えが180度変わったのだと話すようになった後の李は、以前にも増してさまざまな局面での柔軟性や対応力が増したように見えた。どんな状況でもひとたびピッチに立てばスタジアムを熱くする李忠成。その前途を祝さずにはいられない。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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