Yahoo!ニュース

長友佑都が闘莉王になった日。精神的支柱を得た日本代表

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
カザン合宿での長友佑都(撮影:矢内由美子)

■聖域なき切り込み

 烏合の衆に終わるのか、勝利に向かって闘うプロフェッショナル軍団になるのか。その境界線は得てして紙一重である。

 ロシアW杯の初戦を目前に控えた今、日本代表は急激な変貌を遂げている。その精神的支柱になっているのが長友佑都だ。

「泥臭く戦わなければ勝てない」

「クォリティーで劣っているのに走れていなければ、負けてしまう」

 選手同士のディスカッションを多く取り入れてチームをつくりあげている西野ジャパンで、ことあるごとに長友が厳しい言葉を発している。単なる熱さゆえの言葉ではない。経験という裏付けを伴う正論として、チームメートの胸に染み込んでいる。長谷部誠キャプテンとは違う角度でチームを束ねる役割を担っている。

 切り込む先に聖域はない。6月8日のスイス戦後は、そのカリスマ性からプレー面に関してはアンタッチャブルな存在としても見られてきた本田圭佑にもズバッと苦言を呈した。実際にスイス戦での本田のパフォーマンスは、運動量、球際、攻守の切り替え、いずれも物足りなかった。

 長友は言った。

「戦術どうこうを言う前に戦えているか。魂を持って、一人ひとりが戦って、走れているか。自分自身を見てももっと攻守にやれることはいっぱいあるし、圭佑もまだまだ走らないといけない。圭佑にも『もっとミスを減らしてくれないとチームも勝てない』と話した。彼にはもっとパフォーマンスを上げてもらわないと。もっと走って、もっとミスを減らして、得点に絡んでもらわないとチームは勝てない」

本田圭佑にもズバッと言った(撮影:矢内由美子)
本田圭佑にもズバッと言った(撮影:矢内由美子)

■吉田麻也にパラグアイ戦の「MVP」と言われた長友

 スイス戦の反省を踏まえて臨んだ6月12日のパラグアイ戦。オーストリアでの事前合宿を締めくくる形で行われたW杯前最後の親善試合で、サブ組が先発した日本は4-2の逆転勝利を収め、やっとの思いでW杯イヤー初白星をつかんだ。

 長友はターンオーバーにより出番がなかったが、取材エリアにやってきたときの声は完全にかすれていた。

「試合中に声を出しすぎて」

 勝利を心から喜び、安堵の表情を浮かべる長友の横を、吉田麻也が「きょうのMVP!」と声を掛けて通り過ぎた。

 その吉田の声もかすれていた。控えに回ったメンバー全員が、ピッチを鼓舞すべく声を出し続け、局面によってはプレッシングの掛け方やカウンターへの対応など、その都度活発なディスカッションが行われたという。

「みんなが泥臭く戦っていた。見ている選手も、試合前から一緒に戦っていこうという気持ちだった」

 長友は満足そうに振り返った。

 声だけではない。パラグアイ戦では乾貴士の同点ゴールのときも、逆転ゴールのときも、真っ先にベンチ前へ飛び出し、乾を出迎えたのが長友だった。ベンチ前には歓喜の輪が広がった。

「出ている選手だけじゃなく、ベンチも一つになっていた。これがチームなんだとあらためて感じた」

 メンバーたちはこの試合を境にすべての迷いを振り払い、覚悟を決めた言葉遣いをするようになっていった。チームはこの試合の翌日である6月13日にロシア入りした。

カザン合宿での長友佑都(撮影:矢内由美子)
カザン合宿での長友佑都(撮影:矢内由美子)

■思い出すのは南アフリカW杯

 現地入りする直前にチームに一本の芯が通ったといえば、思い出すのは2010年南アフリカW杯だ。

 スイス・ザースフェーでの直前合宿。チームは5月28日の夕食後に、選手だけでミーティングを行った。音頭を取ったのは主将を任されていたGK川口能活。当時の岡田ジャパンは5月24日の韓国戦に0-2で敗れてどん底に陥った状態で離日しており、その時点で、中村俊輔や中澤佑二が「選手ミーティングをしたい」と話していたのが実行された形だった。

 当初は長くなる予定ではなかったというが、いざ始まると熱が入ってどんどん時間が過ぎていった。スイッチを入れたのは闘将の異名を取った熱血漢、田中マルクス闘莉王だった。

「俺たちはヘタクソなんだから、泥臭くやらないといけない。カメルーンにはエトーがいる。オランダにはファンペルシやスナイデルがいる。彼らには一発で試合を決める力があるけど、俺らにそういう選手がいるか? 日本で一番うまいのは(中村)俊輔だけど、俊輔だって世界的にみればそこまでじゃないだろう。俺らはみんなでもっと走って、もっと頑張らないと。ヘタクソはヘタクソなりに泥臭くやんないと、必ずやられる」

 後日、闘莉王に聞いたところによると、中村俊輔は複雑な思いを封印し、「ここはみんなで頑張ろう」と話したという。

 南アフリカW杯の日本代表がこの選手ミーティングで結束し、全員がひとつの方向を見てプレーする泥臭い野武士集団になったことは語り草だ。その結果、日本は16強に進んだ。

 当時の長友は23歳。31歳になり、「今になって(中村)俊輔さんや闘莉王さんの言動が、痛いほど心にしみています。あのとき、どういう思いで僕たちに接してくれたのか」

ランニングで先頭付近を走る(撮影:矢内由美子)
ランニングで先頭付近を走る(撮影:矢内由美子)

■中村憲剛の姿も…

 もうひとつ、2010年南アフリカW杯で思い出すシーンがある。グループリーグ初戦のカメルーン戦。キックオフ前、先発した攻撃の選手に声を掛け、「ゴールしたら俺のところに来い」と約束を交わしていたのが、中村憲剛だった。

 前半39分。1トップに抜擢された本田圭佑が先制得点を挙げた後、真っ先に向かったのはベンチだった。勢いよく飛び出した中村憲剛とガッチリと抱擁した。

 中村憲剛は「歴代のワールドカップで上に行くチームは、みんなああいう雰囲気になる。点を取ってピッチ内の選手だけで喜ぶのではなくて、一体感の中に自分がいたこともうれしかった」と話していた。

 場面は転じて2018年6月12日。パラグアイ戦でゴールを決めた乾がベンチの長友に抱きつく姿は、南アフリカを思い出させた。

走ること、戦うことが大事(撮影:矢内由美子)
走ること、戦うことが大事(撮影:矢内由美子)

■「このメンバーで、このW杯で、最高の結果を」

 ロシア入りした6月13日は、同学年の盟友、本田圭佑の32歳の誕生日だった。その夜、チームがバースデーケーキを用意して誕生会が開かれ、本田は「何度経験できるか分からない、これが最後になるかもしれないワールドカップで、準備を含めて時間を大切にしよう」とスピーチした。その言葉は長友の胸に深く響いた。

「僕自身もどうなるか分からないと思っている。このチーム、このメンバー、このスタッフで戦えるのはこれが最後。僕自身、後悔がないように。4年間をかけて強い気持ちでやってきましたが、今はこれまで以上に自分の思いを一つにギュッと固めようと思っている」

 2010年南アフリカW杯では、ラウンド16のパラグアイ戦にPK戦の末に敗れて本田とともにピッチで涙を流した。あれから8年。長友はFC東京からイタリア・チェゼーナを経て名門のインテルでプレー。今年1月にトルコ・ガラタサライに移籍した。本田はCSKAモスクワからイタリアの名門ACミランに移籍し、昨季はメキシコ・パチューカでプレーした。

「2014年ブラジルW杯のときはそれぞれがビッグクラブにいたりしたけど、戦うのはチーム名じゃない。僕らは経験を積んでパワーアップしたと信じている。10年近く、良いことだけではなく、苦しいこと、つらいこともたくさんある中、それらを乗り越え、這い上がってきた。このメンバーでこのワールドカップで最高の結果を出したい。その思いは誰よりも強い」

 2018年ロシアW杯はすでに開幕した。日本の命運を握るグループリーグ初戦のコロンビア戦は6月19日に行われる。

ロシアワールドカップ日本代表(撮影:矢内由美子)
ロシアワールドカップ日本代表(撮影:矢内由美子)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを一部負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

矢内由美子の最近の記事