【千葉女児殺害】繰り返される有罪推定報道

4月15日付各紙朝刊社会面(右上から時計回りに読売、産経、毎日、朝日)

【コラム=楊井人文】千葉県松戸市でベトナム国籍の小学生女児が殺害された事件で、県警捜査本部は4月14日、同じ小学校の保護者会長の男性を死体遺棄の容疑で逮捕した。この男性が通学路で児童の登校を見守る活動もしていたことから、社会に非常に大きな衝撃を与えている。

すると、さっそく産経新聞が15日付朝刊の第一報で、次のように報じた。

幼い子供が被害者となる事件は過去にも発生しているが、犯罪者は地域コミュニティーから孤立していたケースが多く、今回のように「地域社会の中」で、子供の安全を守るべき立場の人物による犯行は、従来の防犯対策の想定外だった。

出典:産経ニュース:子供の安全どう確保 見守り活動参加…防犯側の犯行

社説にもこう書かれていた。

女児にとっては顔見知りの、頼りになる大人の一人であったかもしれない。だとすれば、被疑者を疑ってかかることは不可能だったろう。学校も地域も警察も責めることはできない。ただただ犯行を恨むばかりである。

出典:産経ニュース:(主張)女児遺棄で逮捕 悲劇を少しでも防ぎたい(2017年4月15日付朝刊)

逮捕直後から男性が犯人であることが疑う余地のないものとして報道されている。産経ほどの断定的表現でなくても、全てのメディアが、「見守り役の犯行」という前提に立った報道を積み重ねていると言ってよい。

「最初から黙秘」ではない

しかし、「見守り役の犯行」は、現時点では「仮定」であって「前提」ではない。大半のメディアは、この被疑者男性が「取調べに黙秘している」と報道している。しかし、男性は「逮捕された段階で否認し、その後は黙秘している」というのが正しいようだ。

捜査本部の14日午後の会見では、澁谷容疑者は黙秘しているとしていましたが、捜査関係者によりますと、逮捕した際は容疑について「違う」と否認したということです。その後の取り調べの中では、黙秘を続けているもようですが、「不当な拘束だ」などと話す場面もあるということです。

出典:TBS:9歳女児殺害遺棄、黙秘続ける容疑者 逮捕時「否認」か

逮捕された人の認否は、捜査段階の初期報道でもっとも重要な情報の一つだ。当初否認していたことがわかっているのに、あえて省略して「黙秘している」とだけ報じていたとするなら、あってはならないことだ。

捜査機関が「動機の解明を急いでいる」(毎日新聞)というような報道もみられる。動機の解明は犯人(被疑者)が自白していることを前提とした話であり、これも有罪推定報道の典型的表現である。

DNA鑑定が決め手?

産経新聞は第一報の社会面に「DNA型鑑定 決め手」という大見出しを載せた。しかし、記事本文をみると、見出しと全く矛盾した情報が記されている。

県警は平成25年6月に同県習志野市で女性が殺害された事件で、DNA型鑑定を有力な証拠として逮捕した容疑者が不起訴となった苦い経験を持つ。このため、捜査本部内にはDNA捜査への慎重論もあったという。捜査幹部は「習志野の事件では課題も残った。DNA型が一致しただけではすぐに逮捕はできない」と振り返る。

出典:産経新聞:千葉・女児殺害 男逮捕 DNA型鑑定が決め手 防犯カメラ、説明と矛盾

大半のメディアが、遺留物から検出されたDNAと被疑者男性のDNAが「一致」したと報じているが、朝日新聞は「酷似」と表現している(逮捕時の県警記者会見ではノーコメントだった)。問題は、どこから検出されたDNAが一致または酷似したのかであるが、その点が明確に特定されず「遺体に付着した遺留物」とか「体などの複数箇所から」といった曖昧な情報がほとんどである。

捜査機関より前のめりな報道姿勢

朝日新聞も一面トップで「キャンピングカーに連れ込む?」と見出しを打った。NHKも同様のニュースを流していた

毎日新聞ニュースサイトのトップ(4月15日)。「ずいぶんキレやすい人」という見出しはその後「容疑者、登下校の女児と交流」に変更された
毎日新聞ニュースサイトのトップ(4月15日)。「ずいぶんキレやすい人」という見出しはその後「容疑者、登下校の女児と交流」に変更された

しかし、これも記事をよく読むと、女児を連れ込んだことが疑われるような情報は何ひとつ出てこない。「警察がキャンピングカーを押収した」という事実だけで、「キャンピングカーに連れ込む」という「憶測」をしたにすぎないことがわかる。「?」マークをつければ何でも書いて良いというものではないはずだ(読売新聞は16日付朝刊で、キャンピングカーに女児が乗り込む様子が映ったカメラ映像を県警が入手したと報じた。「キャンピングカーに連れ込む?」は、こうした情報を得て初めてと書けるはずである)。

いずれも、捜査機関よりもメディアが前のめりになっていることを如実に表す証拠である。

刑事事件のルールとメディアの役割

否認事件であれば、まずは逮捕された男性が真犯人かどうかが最大の焦点となる。

この男性に対する捜査は始まったばかりだ。逮捕・勾留された事実から、この被疑者が「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」(刑事訴訟法199条、60条)と判断できるだけの証拠を警察がつかんでいるであろうことは推測できる。実際、報道によれば被疑者の車が女児が行方不明になった日に複数の遺棄現場近くを走行していたことを示す証拠があるようだ。

しかし、一般的にいって逮捕段階で起訴できるだけの証拠、つまり、男性が犯人であると間違いなく言えるだけの決定的な証拠をつかんでいることは、ほぼない。現在まさにそれを見極めるための捜査が行われている最中である。その結果、検察が犯人であると明らかに立証できると判断できれば起訴するし、そうでなければ不起訴ということもあり得る。

そして、検察が犯人と認定して起訴しても、その判断が間違いないかどうかが刑事裁判の手続きで検証されることになる。その結果、裁判官が犯人であると間違いないと判断すれば有罪判決が下されるし、間違いないという確信に至らなければ、疑わしきは被告人の利益に、無罪判決となる。

それが、生身の人間に対する誤った国家権力の行使を防ぐためにこの国が備えた刑事事件の基本的なルールであり、それがきちんと守られているかどうかや情報の真偽も含めてチェックするのが、メディアの役割のはずである。

私たちは可謬的存在である、ということ

ところが、この保護者会長の男性は逮捕されてただちに「有罪」の審判が下されてしまったかのごとき報道ぶりである。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という原則を無視するどころか、捜査機関より前のめりになって、この”犯人”を社会的に懲罰せんがごときである。今回に限らず大事件であればあるほど有罪推定報道に傾きがちであるが、これでは捜査活動をチェックできず、万が一違っていたときも引き返せなくなる。そうした可能性を少しは考えないのであろうか。

メディアが捜査機関に先んじて自らの調査報道により、女児を殺害した憎むべき犯人である証拠を発見したのであれば別である。だが、多くの場合、メディアは手持ち証拠をもっているわけではなく、所詮、捜査機関からの伝聞情報で報道しているにすぎない。その情報が正確であるという保証もない。

これまでも刑事事件では幾度となく、追及する側、裁く側にも過ちが起き得ることを、私たちは経験してきた。女児への犯行は極めて残忍で憎むべきものである。しかし、私たちはみな可謬的存在でもある。メディア関係者には一歩立ち止まる勇気と、表現に対する細心の注意を払って取材報道にあたってほしいものだ。