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ブルース・ギターの名手バディ・ウィッティントン、テキサス・スクラッチとジョン・メイオールを語る

山崎智之音楽ライター
Texas Scratch / (c)Quarto Valley Records

(写真左からヴィンス・コンヴァース/バディ・ウィッティントン/ジム・シューラー)

テキサスの育んだ3人のブルース・ギタリストが集結。テキサス・スクラッチが2009年に制作したアルバム『Texas Scratch』が2023年末に海外でリリースされた。

ジョージ・サラグッド&ザ・デストロイヤーズの一員であるジム・シューラー(ダラス出身)、1993年から2008年までジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズに在籍、来日したこともあるバディ・ウィッティントン(フォートワース出身)そして元サンセット・ハイツでヴィンス・コンヴァース&ビッグ・ブラザーを率いて活動するヴィンス・コンヴァース(ヒューストン出身)という3人のギタリストをフィーチュア。それぞれ異なったスタイルを持ちながら、共通するテキサス魂がひとつの流れを生み出す。14年前に録音された音源ながらハッとさせる鮮度を誇り、独特のユルいブルース&ロックンロールで魅せてくれる。

このインタビューではバディ・ウィッティントンをキャッチ。テキサス・スクラッチでの活動、そしてジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ時代の思い出を訊いた。

Texas Scratch『Texas Scratch』ジャケット(Quarto Valley Records/現在発売中)
Texas Scratch『Texas Scratch』ジャケット(Quarto Valley Records/現在発売中)

<テキサス・ブルース・ロックの系譜に連なるスタイル>

●『Texas Scratch』のサウンドは14年寝かせたとは思えない新鮮なものですね。

うん、自分たちのことを“スーパーグループ”だというつもりはないけど、一緒にやって楽しかったし、なかなか良いアルバムだと思う。ようやくみんなに聴いてもらえることになって嬉しいよ。

●テキサス・スクラッチはどのようにして始まったのですか?

あまりにも昔の話なんで忘れてしまったよ(苦笑)。元々は“ブルース・ストーム・ミュージック”のアーニー・グッドマンにジム・シューラーと何かやってみないかと言われたんだ。ジムはジョージ・サラグッドとのツアーがオフだったし、私も当時はブルースブレイカーズでやっていたけど、ちょうどオフだったから、とにかく一緒にやってみることにした。さらにヴィンス・コンヴァースを推薦されて、ジムと私で、テキサスからニュージャージー州ドーヴァーにある“ショウプレイス・スタジオ”に行った。それでヴィンスとプロデューサーのベン・エリオットと合流したんだ。ベンとベーシストのナサニエル・ピータースンは亡くなってしまった。ドラムスはジェフ・サイモンがプレイしたよ。2009年10月のことだった。

●アルバムの曲はどのように書いたのですか?このプロジェクト用に書いたもの?

みんなスケジュールが詰まっていたし、1週間ちょっとで全作業を終えなければならなかったから、基本的に3人がそれぞれ持ち寄った曲をレコーディングしたんだ。ただ、「Texas Trio」はこのプロジェクトのために私が書いた曲だった。ZZトップやジョニー・ウィンター・バンドなど、テキサスは最高にクールなブルース・トリオを生んできた。そんな彼らへのトリビュートなんだ。もう1曲、「Ain't Got The Scratch」という曲もレコーディングしたけど、このプロジェクトが頓挫したんで、後にソロ・アルバム『Six String Svengali』(2011)で再レコーディングした。オリジナル・ヴァージョンも良いから、ぜひ比較して欲しいね。ジョン・ニッツィンガーの「Louisiana Cock Fight」をカヴァーすることを提案したのも私だった。彼はテキサスで伝説的な存在だったし、トリビュートをしたかったんだ。

●キング・ソロモン・ヒックスの「What The Devil Loves」をカヴァーしていますが、誰の提案でしたか?

あの曲は確かヴィンスのアイディアだった。私たちがスタジオに到着したとき既にベーシック・トラックを仕上げていて、ジムと私はそれにギターを乗せていったんだ。

●あなたやジムと較べて日本ではヴィンス・コンヴァースは知名度があまり高くありませんが、簡単にキャリアを教えて下さい。

ヴィンスはサンセット・ハイツというバンドでずっとやってきた、テキサス魂の染み込んだギタリストだよ。優れたソングライターで、セッション・プレイヤーであり、ナイス・ガイだ。今ではコロラド州デンヴァーを活動拠点にしているけど、ピュア・テキサス・スピリットの持ち主だよ。

●テキサス・スクラッチをやる前からジムとヴィンスのことは知っていたのですか?

ジムは近所に住んでいたし、よく知る仲だった。ヴィンスはあまり知らなかったけど、腕利きのギタリストだという評判は聞いていた。一緒にやってみて、すごくウマが合ったよ。スタジオ作業も楽しかったし、もっと長く続けたかった。ただ3人ともそれぞれのバンドがあったし、まだレコードも出ていないバンドに時間を割く余裕がなかったんだ。

●プロジェクトの名前をテキサス・スクラッチとしたのは?

テキサス・ブルース・ギター独特のピッキング・スタイルから取ったんだ。メイベル・カーターが弾く“カーター・スクラッチ”で有名だよね。それともうひとつ、私が書いた「Ain't Got The Scratch」の歌詞に「I've got the itch but I ain't got the scratch」というフレーズがあるんだ。“欲しいものがあっても金がない”という意味だけど、それをアーニー・グッドマンが面白がって、バンド名にすることを薦めてきた。

●アルバム『Texas Scratch』は2009年当時、何故リリースされなかったのですか?

よく判らないまま、ズルズルと今まで来てしまったんだ。長いあいだ「アルバムはもうすぐ完成だ。近いうちに発売になるよ」と言われてきたけど、いくら待っても出やしない。結局“クアルト・ヴァレイ・レコーズ”が権利を買い取ってくれて、リリースされることになったんだ。

●3人のギター・スタイルがぶつかったりスカし合ったり、有機的にクロスオーヴァーするのがアルバムの魅力ですね。

3人みんなテキサス育ちだし、テキサス・ブルース・ロックの系譜に連なるスタイルを持っている。ジョニー・ウィンターやビリー・ギボンズのようなギタリストを聴いて育ったんだ。私の場合さらにドン・リッチやロイ・ニコルズのようなカントリー・ギタリスト、それからロイ・ブキャナンからも影響を受けてきた。3人それぞれがお互いのツボを知っているんだよ。

●テキサス・スクラッチとしてのライヴは行ったのですか?

アーニー・グッドマンはニューヨークに事務所を開いていて、ブルースブレイカーズが“B.B.キング・ブルース・クラブ”でライヴをやると見に来てくれた。彼はカナダのブルース・フェスティバルで数回テキサス・スクラッチのライヴをブッキングしてくれたんだ。カナダのオンタリオ州ロンドンの“ウィンザー・ブルース・フェスティバル”とかね。アルバムからの曲やブルース・スタンダードをプレイして、けっこう好評だったよ。でもアルバムが出ないし、みんなそれぞれ忙しいから、フェイドアウトしてしまったんだ。ジムとは近所だし、最近でもたまにライヴをやっている。ヴィンスはコロラド州デンヴァーに引っ越したこともあって、最近あまり会う機会がないんだ。私たちに合流してくれればテキサス・スクラッチ再結成が実現するんだけどね。

John Mayall & Buddy Whittington 1998
John Mayall & Buddy Whittington 1998写真:ロイター/アフロ

<ジョン・メイオールから学んだのは、何があってもステージに上がること>

●あなたがジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズに在籍して、ヴィンス・コンヴァースもピーター・グリーンに捧げるトリビュート・アルバム『ピーター・グリーン・ソングブック』(1995)に参加するなど、イギリスのブルースとも関わりを持ってきました。テキサス出身のあなたから見てブリティッシュ・ブルースはどのようなものですか?

テキサスは数々のブルース・ミュージシャンを生んできた。Tボーン・ウォーカー、フレディ・キング、ビリー・ギボンズとかね。ただアメリカの音楽リスナーでも、イギリスのミュージシャンを経由してテキサスのブルースを知ることがあった。ジョン・メイオールの『ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』(1966)でフレディの「ハイダウェイ」をやったりね。イギリス人はブルースを輸入して、アメリカに再輸出したんだ。

●ブルースブレイカーズはフレディ・キングのインストゥルメンタル曲をカヴァーするのが伝統で、エリック・クラプトンが「ハイダウェイ」、ピーター・グリーンが「ザ・スタンブル」、ミック・テイラーが「ドライヴィング・サイドウェイズ」、そしてあなたが「セン・セイ・シュン」をプレイしました。フレディの曲にどのようにアプローチしましたか?

フレディのスタイルに敬意を払いながら、自分らしく弾くことを心がけたよ。彼のギターには常にロックのエッジがあった。ライトな弦でベンディングをして、アンプの音量を思い切り上げて...モダンなブルース・ギターの礎を築いたのは彼だったんだ。フレディに声をかけたこともあった。「次のレコードはいつ出るんですか?」とか、当たり障りないことだけどね。まだ私も若かったし、ジャムをする機会はなかった。それが唯一の心残りだよ。

●あなたがフレディのバンドにいたことがあるとジョン・メイオールが言っていましたが、それはいつ頃のことですか?

えっ?それはジョンが何か勘違いしているんじゃないかな(苦笑)。フレディのバンドにいたことはないよ。若い頃、フレディは家から30マイルぐらいのところに住んでいて、近所の酒場でやるライヴを何度も見に行った。彼のライヴを初めて見たのは1972年か73年頃、ダラスの“マザー・ブルース”というクラブだった。彼がバグス・ヘンダースンとジャムをやるのも見たことがある。フレディの娘さんのワンダとも最近ライヴをやったよ。スモーキン・ジョー・キューベックとも知り合いだった。

●ジョン・メイオールの『ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』からどのような影響を受けましたか?

ギブソン・レスポールをマーシャルのアンプに繋いで大音量で鳴らすスタイルは、このアルバムのエリックのプレイでポピュラーになったんだ。それまで、プロデューサーもエンジニアもあれほどデカイ音でレコーディングすることを許さなかった。その後にロックは大音量化して、クリームやジミ・ヘンドリックス、そしてレッド・ツェッペリンへと繋がっていったんだ。

●1990年代初頭に初めてジョン・メイオールと会ったとき、ザ・サイドメンというバンドで活動していたそうですね?

そう、ダラスのウェストエンドにある“ウェストエンド・マーケットプレイス”というクラブでブルースブレイカーズの前座を務めたんだ。その頃彼らのギタリストはココ・モントーヤだった。ライヴの後にジョンと話す機会があって「もしかして新しいギタリストが必要になるかも知れない」と言われたんだ。実際に声がかかったのは2年後だった。その頃、私には3歳の子供と生まれたての赤ん坊がいたから、すごく慎重に考えたよ。ツアーで長いあいだ家を空けたくなかったしね。ブルースブレイカーズに加入したのは1993年9月だったかな?でも動き出したのは1994年に入ってからだった。彼の家に呼ばれて、少しリハーサルをしたんだ。そしたら「ヨーロッパに行くから」と言われて、すぐに30日間のツアーに参加することになった(苦笑)。

●ジョン・メイオールは1960年代初めから活動する大ベテランですが、彼からどんなことを学びましたか?

ジョンからはさまざまなことを学んだね。最初に学んだのは、とにかく何があってもステージに上がることだった。60日間ぶっ続けでツアーしても、1度しかキャンセルはなかったよ。そのときもヘッドライナーのステイタス・クオーの機材トラブルで中止になったのであって、私たちはライヴをやる気まんまんだった。しかもジョンはツアーが終わると家族と時間を共に過ごして、子供を釣りに連れて行ったりする。常に100%であれということを学んだね。

●ジョン・メイオールはあなたにどんなことを求めましたか?

特に「こうしてくれ」と言われたことはなかった。すんなりブルースブレイカーズに溶け込むことが出来たよ。もちろん私はベストを尽くしてきたし、それを認めてもらったんだと考えているけどね。スタジオでは彼がベーシックなアイディアを出して、それに他のメンバーが合わせていくんだ。当初は12小節ブルースでも、ジョンが気に入ったフレーズやパートがあると、その部分を膨らませて、曲の形に仕上げていく。

●ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズで活動してきて、『ブルース・フォー・ザ・ロスト・デイズ』(1997)など充実した作品を発表してきましたが、あなたにとってのハイライトは?

ZZトップの『アンテナ』(1994)に伴うツアーでオープニング・アクトを務めたのはスペシャルな経験だった。十代の頃からビリー・ギボンズの大ファンだったしね。それからジョンの70歳バースデー・コンサート(2003年)でエリック・クラプトンとミック・テイラーと共演出来たのも最高の経験だった。ミックとはその後親しくなったんだ。彼はジャムをするときでも相手に隙間を作ったり、気配りのある人だよ。クライマックス・ブルース・バンドとブルースブレイカーズでドイツのツアーをしたのも良い思い出だ。まだコリン・クーパーが存命だった頃だよ。懐かしいね。今でもキーボードのジョージ(グローヴァー)やベースのニール・シンプスンとは連絡を取り合っているんだ。

●1960年代ブルースブレイカーズの“3大ギタリスト”であるエリック・クラプトン、ピーター・グリーン、ミック・テイラーの全員と共演したことがあるギタリストはあなたぐらいですよね?

そうかもね。光栄だよ。ピ−ターとはステージで共演したことはなくて、ロスアンゼルスの“ハウス・オブ・ブルース”の楽屋でジャムをしたことがある。具体的に何かの曲をプレイしたわけではなく、スロー・ブルースを弾いたんだ。

●ジョン・メイオール&フレンズ名義で発表された『アロング・フォー・ザ・ライド』(2001)にはピーターやミック、ゲイリー・ムーア、ビリー・ギボンズ、スティーヴ・クロッパー、ジェフ・ヒーリーなどゲスト陣が参加していましたが、あなたの役割はどんなものでしたか?

私はハウス・バンドの一員として、ドラマーのジョー・ユエレやベーシストのハンク・ヴォン・シックルと一緒にベーシック・トラックを録ったんだ(CDにはベーシストとしてデヴィッド・スミスがクレジットされている)。スタジオで共演した人は少なくて、多くはトラックを送ってきたんだ。でも例外もあって、タイトル曲「アロング・フォー・ザ・ライド」で私がアコースティック・ギターを弾いて、スタジオ・ルームの反対側でビリー・プレストンがピアノを前にしているのはすごく緊張したよ。自分がザ・ビートルズの「ゲット・バック」でプレイしている気分になった(笑)。

●『アロング・フォー・ザ・ライド』にゲスト参加したゲイリー・ムーアはあなたと交流を育んだと話していましたが、どのような関係でしたか?

ゲイリーは英国のブライトン近郊に住んでいて、ツアーで行くたびに見に来てくれた。何度かステージでジャムもしたし、彼の最後のイギリス・ツアーのオープニング・アクトとして誘われたこともある。スケジュールの都合で実現しなくて残念だよ。彼は誰とも異なる、個性豊かなギターを弾いていた。彼のサウンドチェックに何度か居合わせたけど、ロックからブルース、ジャズ・スタンダードまで、あらゆるスタイルを弾きこなしていた。彼はシャイな人だったけど、いったん打ち解けると温かみがあって、ジョークを飛ばしたりしたよ。彼がいなくなって寂しいね。もっといろんなことを話したかったよ。

●2008年にブルースブレイカーズを脱退してから、ジョン・メイオールとは連絡を取っていますか?彼は2022年2月にライヴ中に倒れるという出来事もあり、2023年11月で90歳を迎えましたが、お元気でしょうか?

ジョンとはなかなか会う機会がないけど、メールなどで連絡を取るようにしているし、クリスマスやバースデーカードのやりとりをしているよ。私の知る限り、体調は良いようだ。カリフォルニアの彼の家だかでウォルター・トラウトと一緒に撮った写真が送られてきたけど、とても元気そうだった。

●アルバム『Texas Scratch』がリリースされたことで、バンドを復活させる可能性はありますか?

うん、ぜひ実現させたいね。ジムもヴィンスも、もちろん私もアルバムが遂に発売になったことを喜んでいるし、ぜひテキサス・スクラッチとしてライヴをやろうと話しているんだ。あとはスケジュールの調整と、プロモーターが興味を持ってくれるかだね。私は自分のツアーに出ていないときは、ほぼ毎週末ダラスやフォートワース近辺でライヴをやっているんだ。コロラドやアーカンソーで単発のライヴに呼ばれることもあるし、ジムとヴィンスがそれに合流してくれたら良いと考えている。

●今後の活動について教えて下さい。ソロ・アルバムを出す予定はありますか?

どうだろうね。私の最近作は2011年の『Six String Svengali』で、10年以上経っているんだ。もう67歳と、決して若くはないし、今のところ新作アルバムの予定はないよ。ただ、これからもライヴ活動は続けていくし、それにはアルバムも出した方が良いことは認識している。ぜひまた日本に行きたいね。日本には1回行ったことがある。フジ・ロック・フェスティバルで2回ショーをやったんだ(2003年)。お客さんの反応は素晴らしいものだったし、少しだけ東京の街を歩くことも出来た。でもすごく短い滞在だったんで、ぜひまた日本に行って、今度は東京や大阪などでもプレイしたい。これからの一生、音楽に関わっていくつもりだよ。

Texas Scratch / (c)Quarto Valley Records
Texas Scratch / (c)Quarto Valley Records

【バディ・ウィッティントン公式サイト】
http://www.buddywhittington.com/

【レーベル公式サイト】
https://quartovalleyrecords.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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