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【インタビュー】大日本プロレスに初来日参戦!狂気の道化師・ヴァイオレント・J (I.C.P.)が語る

山崎智之音楽ライター
大日本プロレス 撮影:中嶋聖

全米で熱狂的な人気を誇るヒップホップ・デュオ、インセイン・クラウン・ポッシー(I.C.P.)のヴァイオレント・Jが待望の日本初上陸を果たした。しかもライヴのステージではなく、大日本プロレスのリングへの参戦だ。

2023年末から2024年の新年にかけて来襲をかけてきた彼は、初日こそ盟友マッドマン・ポンドのセコンドとして登場したのに留まったが、年が明けた2024年1月2日(火)の後楽園ホール大会“2024年新春戦い初め”では菊田一美&星野勘九郎vsマッドマン・ポンド&ヴァイオレント・Jの“凶器持ち込みタッグデスマッチ”が実現。椅子やバットが飛び交い、場外乱闘が繰り広げられ、ヴァイオレント・Jは流血こそしなかったものの、首から突っ込んでいくデンジャラスな脳天串刺しムーンソルト・プレスを披露した。誰もが一瞬ヒヤリと肝を冷やしたこのフィニッシュで、彼は日本のプロレス・ファンに鮮烈なインパクトを与えている。

ヒップホップとプロレスを両輪に、全米を蹂躙してきた“狂気の道化師”が遂に来日。その旅路を語ってもらった。

まずは2024年1月1日のまとめ記事を読んでからインタビューに進もう!

ヒップホップの“狂気の道化師”ヴァイオレント・J (I.C.P.)が初来日。大日本プロレスに参戦

Violent J / photo by yamazaki666
Violent J / photo by yamazaki666

<アントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアントとの戦いはどれも凄かった>

●世界規模でI.C.P.が支持されるようになったのはアルバム『The Great Milenko』(1997)からでした。アリス・クーパーやスラッシュ(ガンズ&ローゼズ)がゲスト参加して、ヒップホップに加えてロックのリスナーも巻き込むなど、すごい盛り上がりだったのを記憶しています。

うん、『The Great Milenko』は大きなターニング・ポイントだった。「Hokus Pokus」のビデオがMTVで流れて、アメリカとヨーロッパをツアーして...それで入ってきた金で自分のプロレス団体ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリング(JCW)を設立したんだ。

●1998年にオランダのフェスティバルでI.C.P.のライヴを見ましたが、ステージを何人ものゾンビが歩き回り、おびただしい量の炭酸飲料が観客にぶちまけられるカオスなステージでした。

何度かヨーロッパをツアーしたけど、アメリカとまったく反応が異なるのに、全員がクレイジーになるのは同じだった。いつか日本にも行きたいと思っていたんだ。ガキの頃から、ずっと夢だった。I.C.P.のツアーではないけど、後楽園ホールは世界中のプロレス・ファンが知っている格闘技の殿堂だし、自分が試合を出来るなんて光栄だね。

●あなたの原点について教えて下さい。元々音楽よりもプロレスを先に始めたそうですね?

うん、プロレスの大ファンで、庭に自作のリングを作ってプロレスをやっていた。バックヤード・レスリングというやつだ。使われていない鉄道駅から鉄柱を4本持ってきて、ロープにビニールを巻いたりね。友達を呼んでプロレス大会をやって、近所の人たちが見に来ていた。ヒップホップを聴くようになったのはその後、18歳の頃で、自分の人生の大きな部分を占めるようになった。カラオケに乗せてラップして、それをカセットテープに録っていたんだ。それと並行してプロレスも続けていて、中西部のインディー・マットを回っていたよ。シャギー・2・ドープがマネージャーで、その頃はまだペイントはしていなかったんだ。19歳から20歳の頃までやったけど、俺たちの音楽のファンが見に来て素顔の写真をバシャバシャ撮るようになったんで、しばらくプロレスから距離を置くようになった。それからしばらく音楽活動に専念していたよ。ECWに音楽パフォーマーとして出演した後の1998年かな、WWF(現WWE)が連絡してきた。それでプロレスに戻ることになった。今度はペイントをして試合をするようにしたんだ。

●ネクロ・ブッチャーやマッドマン・ポンドはエクストリームなスタイルゆえに愛情と敬意を込めてBAKA GAIJINと呼ばれますが、あなたもヒップホップとプロレス、ホラー映画とヘヴィ・メタルなど、かなりBAKAの要素がありますね。

俺はショーマンなんだ。何かを好きになると、自分もやらずにはいられない。ファンのままではいられないんだよ。顔面ペイントは元々プロレスでやっていたものをヒップホップに持ち込んだんだ。ペイントをしてステージに上がることで、俺たちがKISSのファンだと思い込むファンもいるけど、原点はプロレスにある。それと俺たちがショーをやっていたデトロイトのシーンの近所にボブロ・アイランド遊園地があって、自分たちがその一部だという意識があった。それで自然と道化師のペイントをするようになったんだ。

●子供の頃に好きだったプロレスラーは?

アンドレ・ザ・ジャイアントのことは好きというより、畏怖していたな。初めてプロレスを見に行ったとき、後ろの方の席で、レスラーの入場シーンがあまりよく見えなかったんだ。でもアンドレだけは頭ひとつ抜けていて、よく見えた。一生忘れられないよ。それ以外ではダイナマイト・キッド、それからミッシング・リンクが大好きだった。

●I.C.P.の顔面ペイントはミッシング・リンクからの影響があるのでしょうか?

(少し考える)...いや、まったくないと思う。

●日本のプロレス、いわゆるPURORESUはどうでしょうか?

(初代)タイガーマスクをテレビで見て、衝撃を受けたね。マディスン・スクエア・ガーデンでのダイナマイト・キッドとの試合(1982年8月30日)があまりに凄くて、もっといろんな試合を見たくてマニアとビデオテープのトレードを始めたんだ。日本のマニアともトレードするようになって、FMWのオーニタ(大仁田厚)やW★INGのデスマッチを見るようになった。当時アメリカではテレビで放映されなかったから、見るのに苦労したよ。プエルトリコでデスマッチが行われているというのは知っていたけど、実際にビデオで見ることが出来たのは日本のものだった。だから“ハードコア=日本”というイメージがあるんだ。ECWや、もちろんJCWも影響を受けているよ。

●伝説的なプロレスラー、アントニオ猪木が2022年10月に亡くなって1年以上が経ちますが、日本のプロレス・ファンは現在でも彼を忘れることがありません。あなたは彼の試合を見たことがありますか?

アントニオ猪木が亡くなったことは、アメリカのファンにとっても大きな事件だった。猪木の試合はビデオで何度も見てきたよ。彼とアンドレ・ザ・ジャイアントとの一連の戦いはどれも凄かった。彼らがタッグを組んだ試合もビデオで見たよ。猪木、そしてジャイアント馬場の全盛期の試合はぜひ生で見たかったね。それがもう実現しないのが残念でならない。

●プロレスのリングに上がるにあたって、本格的なトレーニングはしましたか?レスリング・スクールなどには通いましたか?

正直、俺にはレスリングは出来ない。それは最初に認めるよ。アマチュアのバックボーンもないし、レスリング・スクールはドロップ・アウトした。しばらくの間、アル・コステロに基礎を習ったんだ。ファビュラス・カンガルーズの片割れだったレスラーだよ。ロブ・ヴァン・ダムが同期で、サブゥーは6年ぐらい先輩だった。ロブと俺たちは同じ頃にデビューしたんだよ。それからずっと友達だし、彼からはいろんなことを学んだね。でも、俺が最も多くのことを学んだ学校は、裏庭のリングだった。それは、俺のラップにも当てはまることだ。プロの先生から学んだことはなく、デトロイトの友達と練習して、カラオケ機材でカセットテープに録音したものをみんなに聴かせたんだよ。それがダビングされて広がっていったんだ。

大日本プロレス 撮影:中嶋聖
大日本プロレス 撮影:中嶋聖

<ビリー・コーガンとはプロレスを通じて親友になった>

●ミュージシャン仲間でプロレス・ファンはどんな人がいますか?

キッド・ロックはプロレスの大ファンで、俺たちがガキの頃やっていたバックヤード・プロレスをしょっちゅう見に来ていた。最近あまり話す機会がないけどね。ミスフィッツのジェリー・オンリーは映画『Big Money Hustlas』(2000)で共演したけど、メジャー団体のWCWでスティーヴ・ウィリアムスと試合したほどのハマりっぷりだった。ただ俺たちと並んでプロレスが本当に人生の重要な一部となっているのは、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンだろうな。彼も自分の団体“レジスタンス・プロ”を設立して、今では伝統あるNWAのオーナーだ。

●2023年8月にNWAの75周年記念大会にマネージャーとして登場しましたが、ビリーとはどのような関係ですか?

ビリーとはプロレスを通じて親友になったんだ。ほとんど毎日のようにメッセージを送る仲だよ。あまりに音楽性が違いすぎるし、まさか友人になるとは想像もしなかったけど、クールな人間だ。他人に対していつだって敬意を持って接してくれるし、音楽と同じぐらいプロレスを愛している。NWAのショーを見れば、彼のありったけの情熱が注がれているのを感じる。スマッシング・パンプキンズのライヴと同じぐらいね。ビリーはトラディショナルなプロレスを現代のスタイルとミックスしているのが素晴らしい。俺自身オールドスクールなプロレスのファンだし、今のNWAには良いオールドスクール・レスラーがいると思う。ビリーとは2024年も何かやろうと話しているんだ。スマッシング・パンプキンズの音楽も、「ブレット・ウィズ・バタフライ・ウィングス」「1979」などが大好きだよ。

●ボブ・モールドも1990年代、後期WCWにストーリー・ライターとして参加していたそうですね。

それは知らなかったな。彼とは面識がないんだ。いつか会う機会があったらプロレスの話をしてみるよ。

●1999年にプロレス団体ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリング(JCW)を設立したいきさつを教えて下さい。

ずっと自分のプロレス団体が欲しかったんだ。それで1990年代に“ヘルファイア・レスリング”というイベントを開催していたけど、『The Great Milenko』が出て、けっこうな金が入ってきたことで、自前のリングを買った。それで借りている倉庫で毎月プロレスの興行をやるようになったんだ。最初は知り合いや出場選手の家族が来る程度だったけど、だんだん噂が広まって、500人ぐらいが集まるようになった。それから25年、気が付いたら長寿団体になったよ。

大日本プロレス 撮影:中嶋聖
大日本プロレス 撮影:中嶋聖

<元メガデスのデイヴ・エレフソンとバンドをやっている>

●I.C.P.の音楽はヒップホップを軸としていますが、しばしばヘヴィでラウドなギターがフィーチュアされています。メタルやハードコアからの影響はありますか?

うん、あらゆる音楽から刺激を受けて、自分たちのものにしていくんだ。ヒップホップもメタルも関係ない。ラヴ・ソングだってポップ・ソングだって必要があればやるよ。そんな姿勢はファースト・アルバム『Carnival of Carnage』(1992)から貫いてきた。

●スティーヴ-Oとのコラボレーション・シングル「I Love My Girl... But」(2023)があなた流のラヴ・ソングでしょうか?

俺たちは何事もあまりシリアスに考えすぎないようにしているんだ。でもストレートに相手への愛情を歌うラヴ・ソングだってやるかも知れない。

●元メガデスのデイヴ・エレフソンがいるザ・ルーシッドのEPにゲスト参加しましたが、彼とは親しいのですか?

デイヴとは最近親しくなった。今では俺はザ・ルーシッドのメンバーでもあるんだ。「俺も入れてくれよ」って頼んだらオーケーしてくれた。異なったスタイルの音楽をやるのは学ぶことが多いし楽しいね。スポンジのヴィニー(ドンブロスキー)が友達で、ザ・ルーシッドのシンガーでもあって、紹介してもらったんだ。デイヴはメガデスではひとつのスタイル、ひとつの音楽性に縛られていたけど、今では自分のやりたいことを何でも出来る。結果的に、辞めたことでより満たされた音楽活動を出来るんじゃないかな。デイヴもクールな人だし、一緒にやって楽しかったよ。彼とプロレスの話はしたことがないから、ファンかどうか知らない。

●ザ・ルーシッドの「Sweet Toof」はフェイス・ノー・モアの「エピック」を元ネタにしていますが、彼らと交流はありますか?

いや、まだ会ったことがないんだ。マイク・パットンがプロレス・ファンかも知らない(笑)。もちろんプロレスを見たことがなくてもナイスな人間はいくらでもいるけどね。

●あなたのソロ・アルバム『The Shining』(2009)ジャケットは映画『シャイニング』のパロディですが、同じスティーヴン・キング原作の『IT』の道化師ペニーワイズはI.C.P.のコンセプトに影響を与えましたか?

いや、特に関係ないよ。“シャイニング”は人間の持っている才能・能力をイメージ化したものだけど、そのタイトルから映画『シャイニング』のパロディにしたんだ。道化師も特に『IT』とは関係ない。道化師は本来は楽しくて愉快なキャラの筈なのに、表情が見えなくて邪悪で不気味なイメージがあるだろ?(連続殺人鬼の)ジョン・ウェイン・ゲイシーのせいでそんなイメージが助長されたこともあるだろう。

●さっきトラディショナルなプロレスのファンだとおっしゃっていましたが、しばしばデスマッチなどのハードコア路線に関わるのは何故ですか?

どちらも好きだからだ。シンプルな理由だよ(笑)。クラシックなプロレスも、ハードコアなプロレスも好きなんだ。こないだ亡くなったテリー・ファンクがそうだっただろ?彼はNWA王者となりながら、ECWのハードコアのリングにも上がっていった。最高の、偉大なプロレスラーだったよ。

●テリーは1975年にNWA世界王者となった後にも、ベルトを手放した1977年にアブドーラ・ザ・ブッチャーにフォークで串刺しにされて大流血するなど、当時からトラディショナルとハードコアを兼ね備えていましたね。

その通りだ。テリーは素晴らしいレスラーであり、それ以上に親しい友人だった。彼が亡くなって本当に寂しいよ。彼は俺が尊敬する人間の1人だった。テリー、ヴィンス・マクマホン、ダイアモンド・ダラス・ペイジ、エディ・ヴェダー...彼らはI.C.P.とはコラボレーションしてくれないかも知れないけど、ビッグなハートを持った人々だよ。

●今回はマッドマン・ポンドとの“Team Two Wickid”としての来日ですが、彼とはいつからの付き合いですか?

ポンドはJCWの旗揚げ戦(1998年12月)に出場しているんだ。それ以来の仲だよ。彼はJCWの世界ヘビー級、そしてタッグのチャンピオンになっているし、デスマッチの常連だ。JCWの殿堂入りレスラーであり、プライベートでも友達だよ。

●あなたの心臓の問題でI.C.P.がツアーから撤退すると2021年に報道されましたが、プロレスの試合をするのは大丈夫ですか?

ああ、問題ないよ。I.C.P.は2024年から2025年にかけてフェアウェル・ツアーに出る予定だ。ライヴをやるのはまったく問題ない。医者からも問題ないと言われている。ステージに上がるのはいつだって最高だけど、問題なのはそれ以外の部分なんだ。家を離れて2ヶ月のあいだ町から町を車で、自分の出番を待って...歳を取ると、それがキツイんだよ。だから最後のツアーをやって、その後は単発のライヴをやることにする。手術もして、心臓は100%の状態だよ。プロレスの試合も、デスマッチだってオッケーだ!

●インディーズ・プロレス団体、特にハードコア路線の団体を運営するのはさまざまな苦労があると思います。保険をかけるのも大変でしょうし...。

アメリカでは州によって異なるんだ。ミシガン州では保険をかけやすいけど、オクラホマでは審査が厳しかったり...もちろん弁護士を雇っているし、試合内容を説明する必要があるけどね。

●「有刺鉄線を巻いた野球のバットや蛍光灯で相手をぶん殴ったり、顔面にホッチキスでドル札を留めます」と説明するのですか?

それもあるけど、このイベントが競技ではなくエンタテインメントであることを説明する必要があるね。プロレス団体を運営するのはいろんな苦労があるけど、ファンが喜んでいるのを見ると、報われた気分になるよ。選手たちも同じ気持ちじゃないかな。

●I.C.P.としてはEP『Woh The Weeping Weirdo』と『Pug Ugly』が最新作ですか?

そうだね。『Woh The Weeping Weirdo』を2ヶ月ぐらい前に出したところで、これからニュー・アルバム制作に入るんだ。2024年1月から3月ぐらいレコーディングして、夏の発売に合わせてツアーを開始する。

●JCWの今後の日程を教えて下さい。

2月23/24日にテキサス州サンアントニオで“ジャガロ・ウィークエンド2024”を開催するんだ。I.C.P.のライヴとプロレスの試合、パフォーマンスや物販コーナーも設置されて最高の週末になるよ。

●音楽とプロレス以外にどんな活動をしていますか?

2023年12月にデトロイト郊外のウォーターフォードでトーク&コメディ・イベント“テイルズ・オブ・ア・クラウン”をやったんだ。俺とコルト・カバナでいろんなネタをしゃべったんだ。ゲストにヴァンピーロも出る筈だったけどドタキャンだった(苦笑)。この形式のイベントをやるのは初めてだったけど、長年ツアーやプロレスをやってきて頭のイカレた出来事に遭遇してきたし、すごくウケたよ。プロレスラーでもリングで戦うだけでなく、アメリカ各地のコンベンションなどでトークをしている人がいる。ジェイク“ザ・スネイク”ロバーツもそうだよな。これからそういうトークの機会も増やしていくつもりだ。

●I.C.P.の相棒シャギー・2・ドープは今回、日本に来ていませんが、どうしていますか?

シャギーは2月のI.C.P.のショーに備えて体調を整えているよ。彼はプロレスの試合で首を痛めてしまったんだ。「マネージャーとしてだったら日本に行ける。大丈夫!」と言っていたけど、奴のことだから絶対試合に乱入したがるだろ?だから周りが「あいつをリングに近づけちゃ駄目だ!」と必死になって説得したんだ。すごく悔しがっていたし、次回はI.C.P.として大日本プロレスに参戦したいね。ライヴも出来たらさらに最高だ。彼は2月のJCWのショーに解説で参加するけど、暴れそうになったら取り押さえなきゃな。

●ちなみにシャギーの本名Joseph Utslerはどう発音するのですか?

“ジョセフ・ユースラー”だよ。よく“アッツラー”とか間違えられるんだ。俺はガキの頃から付き合いがあるから、間違っていない筈だよ(笑)。

【アーティスト公式サイト】
https://www.psychopathicrecords.com/

【大日本プロレス公式サイト】
https://bjw.co.jp/

【2024年1月スケジュール】

2024年
1月14日(日)
東京・日比谷公園大音楽堂
「野音のプロレス 大日本プロレスin日比谷野外音楽堂」

1月21日(日)
大阪・天美我堂公民館
「大日本×道頓堀×エナジャイズ!〜Triangle Contenders 2024」

1月22日(月)
東京・新木場1stRING
「BIGJAPAN STRONG POINT」

1月27日(土)
東京・後楽園ホール

1月28日(日)
愛知・名古屋ダイアモンドホール
「Death Market77」

1月29日(月)
東京・新木場1stRING
「YAMI−NABE BLACK NIGHT」

=詳細は団体公式ウェブサイトをご参照のこと。=

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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