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ヒップホップの“狂気の道化師”ヴァイオレント・J (I.C.P.)が初来日。大日本プロレスに参戦

山崎智之音楽ライター
Violent J / photo by yamazaki666

2024年の新春、“狂気の道化師”が日本を襲う!

インセイン・クラウン・ポッシー(I.C.P.)はデトロイト出身のヒップホップ・デュオだ。1989年にヴァイオレント・Jとシャギー・2・ドープによって結成された彼らはハードコアなラップとホラー調のペイントで大ブレイク。アルバム『The Great Milenko』(1997)は全米で170万枚というメガヒットを達成している。エロや暴力など何でもアリのリリック、そしてゾンビが闊歩、おびただしい量の炭酸飲料をぶちまけるなどショーアップされたライヴ・パフォーマンスは世界で評判を呼んできた。アリス・クーパーやスラッシュ(ガンズ&ローゼズ)らハード・ロック/ヘヴィ・メタル界の大物アーティストがゲスト参加したこともあり、ジャンルを超えて幅広いリスナー層から熱狂的な支持を得ている。

<音楽より前からプロレスにハマってきた年季の入ったファン>

世界的な人気を誇り、日本の音楽ファンからも来日が切望されてきたI.C.P.の片割れ、ヴァイオレント・Jが2024年、初上陸を果たすことになった。しかも何とライヴのステージではなく、大日本プロレスのリングに上がることになったのだ!

実はI.C.P.の2人は音楽より前からプロレスにハマってきたという年季の入ったファン。“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントを崇拝し、少年の頃から自宅の庭に自作のリングを置いて同好の士や友人を集めてバックヤード・プロレスのイベントを開催してきたという筋金入りのマニアである。

ミュージシャンにはプロレスのファンが多く、オジー・オズボーン、アリス・クーパー、シンディ・ローパー、スヌープ・ドッグなどがゲストやセカンドとしてリングに上がってきた。ジェリー・オンリー(ミスフィッツ)やバッド・バニーなど実際に試合まで行ったミュージシャン(その逆にクリス・ジェリコのようにプロレスラーがミュージシャン・デビューした例も)もいるが、I.C.P.はさらに深くプロレスに関わっている。選手としてECW、WWF(現WWE)、WCWといった大手団体のリングで戦ってきたのみならず、自らのプロレス団体ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリング(JCW)を設立してしまったのだ。この団体は所属レスラー陣に加えてグレート・ムタ、ウルティモ・ドラゴン、NOSAWA論外、スコット・ホール、サブゥーらも参戦。今回ヴァイオレント・Jと共に来日するネクロ・ブッチャー、マッドマン・ポンドもJCWの常連レスラーだ。

<初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッドに衝撃を受けた>

I.C.P.と同じレベルでプロレスに関わっているミュージシャンといえば後期WCWでシナリオ・ライターを務めたことがあるボブ・モールド、そして伝統あるNWAの現オーナーのビリー・コーガン(スマッシング・パンプキンズ)ぐらいなものだろう。なおヴァイオレント・Jはコーガンと共鳴、2023年8月に行われたNWA の75周年記念大会にも(マネージャーとして)出場している。

彼はこう話している。

「NWAはトラディショナルなプロレスリングを現代に伝える団体でリスペクトしている。ビリーは最高にクールな奴で、2024年にも何か一緒にやろうと話しているんだ。スマッシング・パンプキンズの『ブレット・ウィズ・バタフライ・ウィングス』も大好きだ」

そんなヴァイオレント・Jにとっての悲願は、日本マットへの進出だった。世界各地には数多くのジャパニーズ・スタイル・プロレスの信奉者がおり、アメリカのプロレスと区別するためにPURORESUという言葉も普及しているほどだ。彼はやはり十代の頃から日本のプロレスにも傾倒してきた。

「アメリカではテレビで放映されなかったから、見るのに苦労したよ。アントニオ猪木vsアンドレの試合はどれも凄かったけど、衝撃だったのはニューヨークのマディスン・スクエア・ガーデンで行われた初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッドの試合だった(1982年8月30日)。それから日本のマニアとビデオテープをトレードするようになったんだ」

そして彼にさらなるインパクトを与えたのは、FMWやW★INGなどのエクストリームなハードコア路線の団体だった。

「プエルトリコなどでハードコア・マッチが行われているという話は聞いていたけど、実際にビデオで見ることが出来たのは日本のものだった。だから“ハードコア=日本” というイメージがあるんだ。ECWや、もちろんJCWも影響を受けているよ」

Insane Clown Posse
Insane Clown Posse写真:ロイター/アフロ

<凶器持ち込みタッグデスマッチで日本初見参>

そして遂に実現したヴァイオレント・Jの初来日の舞台は大日本プロレスだ。やはりエクストリームな試合で知られるこの団体の12月30日、東京・後楽園ホールで行われた2023年最終興行のメイン・イベント、BJW認定デスマッチヘビー級選手権試合の石川勇希VSマッドマン・ポンドは“ライトチューブ&イリノイ・ストリート・デスマッチ”形式で行われ、蛍光灯やホッチキス、道路標識、ブロックなどの凶器攻撃による大流血戦となった。

この日ヴァイオレント・Jはマッドマン・ポンドのセコンドとして帯同、試合には関与しなかったが、血が騒いだのか?年が明けた2024年1月2日(火)の後楽園ホール大会“2024年新春戦い初め”では菊田一美&星野勘九郎vsマッドマン・ポンド&ヴァイオレント・Jの“凶器持ち込みタッグデスマッチ”が実現することに。日本初見参マッチで大流血という可能性も出てきた。

さらに1月3日(火)の新木場1stRING “バカ外人の逆襲~The BAKA GAIJIN Strikes Back~”、1月4日(水)の同会場“DEATHMATCH KING-DEATH”では公式発表こそないものの、何らかの形で介入してくる可能性は大いにあり。真っ赤な鮮血がほとばしる、ある意味正月らしいプロレスを見ることが出来そうだ。

ちなみに彼は心臓に持病があり、2024年にI.C.P.として最後のツアーを行うと語っており(今後も単発のショーは続けていく)、デスマッチなど大丈夫か!?と心配してしまうが、本人曰く「100%の体調だと医者から太鼓判を押された。ノープロブレム。日本のジャガロ(I.C.P.のファン)のために戦うよ」と主張している。

今回は音楽イベントではなく、あくまでプロレスへの参戦だが、ヒップホップのファンも彼のライムとビートを感じるイベントになるに違いない。

ヴァイオレント・Jの帰国後も1月14日(土)には数々の伝説的なコンサートが行われてきた東京・日比谷公園大音楽堂でビッグ・イベント“野音のプロレス 大日本プロレスin日比谷野外音楽堂”が行われるなど、音楽とのクロスオーヴァーが続いていく。流血が止まる暇もない、大日本プロレスの2024年に注目していきたい。

なおヴァイオレント・Jがヒップホップとプロレス、日本への想いなどを語ったロング・インタビューも近日公開予定。乞うご期待! →【追記】インタビューはこちらで!

【大日本プロレス公式サイト】

https://bjw.co.jp/

【2024年1月上旬スケジュール】

2024年
1月2日(火)
東京・後楽園ホール
「2024年新春戦い初め」

1月3日(水)
東京・新木場1stRING
「バカ外人の逆襲~The BAKA GAIJIN Strikes Back~」

1月4日(木)
東京・新木場1stRING
「DEATHMATCH KING-DEATH」

1月10日(水)・11日(木)
神奈川・横浜市保土ケ谷公会堂
神奈川・横浜市保土ケ谷公会堂大会

1月14日(日)
東京・日比谷公園大音楽堂
「野音のプロレス 大日本プロレスin日比谷野外音楽堂」

=詳細は団体公式ウェブサイトをご参照のこと。=

【アーティスト公式サイト】
https://www.psychopathicrecords.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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