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マイケル・モンロー/死か、刑務所か、ロックンロールかの人生【後編】

山崎智之音楽ライター
Michael Monroe 1984(写真:Shutterstock/アフロ)

ロックンロールのネオンに彩られた“破れた夢の大通り”を突っ走ってきたマイケル・モンローへのインタビュー、全2回の後編。

「デッド、ジェイル・オア・ロックンロール」(死か、刑務所か、ロックンロールか)の選択肢から最後のものを選んだ男がここにいる。前編記事では2022年に行われた60歳アニヴァーサリー・ライヴや新装再発される『デモリッション23』(1994)を振り返ってもらったが、今回はさらに彼のパンク・ロックとロックンロール原体験を掘り下げ、またその現在の活動、その先にあるものについて訊いてみよう。

それにしてもマイケルのエネルギーとエンタテイナーぶりはアルバムやステージ上だけでなく、インタビューにおいても徹底されている。筆者(山﨑)は1996年以来、4回彼と話す機会に恵まれてきたが、毎回そのトークの熱気と勢いに圧倒されるばかり。かつてインタビュー中にダイアー・ストレイツの「悲しきサルタン」を歌い出し、ほぼフルコーラス歌ったこともあった。インタビュー時間の残りが気になったものの、この地球上にマイケル・モンローが歌うのを止められる人間なんているだろうか?いるわけがない!

今回も彼はゴキゲンで語ってくれたが、本記事でその熱量の片鱗をお伝えすることが出来たら幸いである。

Michael Monroe『I Live Too Fast To Die Young!』ジャケット(ビクターエンタテインメント/現在発売中)
Michael Monroe『I Live Too Fast To Die Young!』ジャケット(ビクターエンタテインメント/現在発売中)

<自分がクールだと思う音楽を、創造性とパーソナリティを加えながらやった>

●あなたがパンク・ロックを聴くようになったきっかけを教えて下さい。

元々音楽を始めたのは5歳、母親に言われてピアノを習うようになったときだったんだ。祖父はオーケストラのチェロ奏者、曾祖父はオーボエ奏者で、クラシックの家系だった。でも8歳のときテレビでブラック・サバスを見たんだ。1970年のパリでのライヴで、それがロックとの出会いだった。それからリトル・リチャードやアリス・クーパー、ザ・ローリング・ストーンズを経由してニューヨーク・ドールズ、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ、MC5などに恋に落ちたんだ。当時は大金持ちのスーパースターがエゴ丸出しのキーボード・ソロを20分弾いたり、ロックが現実味を失いかけた時期だった。そんな時代において、ラモーンズは救世主だったんだ。2分の曲、最初の3枚のアルバムではギター・ソロなんてナシだ!4枚目『ロード・トゥ・ルイン』(1978)の「アイ・ウォナ・ビー・セデイテッド」で初めてソロが入ったけど、1音だけだった。最高だったよ。

●パンク・ロックではどんなバンドがお気に入りでしたか?

セックス・ピストルズやザ・クラッシュももちろん好きだったし、ザ・ダムドはあらゆるカテゴリーを超えた、まったく独自のスタイルを持っていた。知名度は少し下がるけど、ザ・ラッツはお気に入りのひとつだったよ。『ザ・クラック』(1979)と『Grin And Bear It』(1980)は名盤だし、ハノイ・ロックスも影響を受けたね。それとヘヴィ・メタル・キッズのようなパンク以前のロック・バンドからもインスピレーションを得た。知ってる?彼らの「デリリアス」はセックス・ピストルズ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」の“No future〜♪”の部分とメロディが同じ箇所があるんだ(歌い出す)。...ハノイ・ロックスは1950年代のロックンロールからパンク・ロック、ボブ・ディランのように体制を揺るがす反逆性、そしてカリプソまで(笑)、さまざまなスタイルをクロスオーヴァーさせたバンドだったんだ。

●“パンク・ロック”というスタイルにどの程度こだわりがありましたか?

まあ実際のところ、全然こだわっていなかった。パンクもメタルもグランジも関係なく、自分がクールだと思う音楽を、創造性とパーソナリティを加えながらやっただけなんだ。それをレコード会社やマスコミがジャンル分けして、レコード店のどのコーナーに置くか決めるんだ。問題なのは、自分のアルバムがどのコーナーに置かれるか考えながら音楽をやっているバンドだよ。「ニルヴァーナが売れているから似たような音楽をやって、同じコーナーに置いてもらおう」とか言う連中は論外だ。ハノイ・ロックスがデビューしたとき、日本のアイドル雑誌やヘヴィ・メタル雑誌にインタビューされたりもした。俺は自分がアイドルだともヘヴィ・メタルだとも思わないけど、あらゆるリスナー層に聴いてもらえたら最高だと考えてきた。そういう意味で、ハノイ・ロックスとモーターヘッドは共通したアティテュードを持っていた。彼らもジャンルを超えて独自のロックンロールを追求したバンドだったんだ。

Michael Monroe and Band / photo by Ville Juurikkala
Michael Monroe and Band / photo by Ville Juurikkala

<絵本、声優...新しいことをやるのはエキサイティングだ>

●あなたはモーターヘッドのライヴ映像作品『The World Is Ours Vol.1』(2011)にも出演するなど、何度か彼らと共演していますが、総帥レミーとはいつ、どのように知り合ったのですか?

1980年代の初め、ロンドンのカムデンにあるクラブで会ったんだ。クラブの名前は忘れた。スティヴ・ベイターズに紹介してもらったんだよ。それからいろんな酒場やライヴのバックステージで顔を合わせて、「よお、元気?」とか言っているうちに友達になった。彼は黄金の魂と、同じぐらい光り輝くユーモアのセンスを持っていた。(ハノイ・ロックスのドラマー)ラズルが死んだとき「必要だったら俺たちが君のバックを務めるから、声をかけてくれ」と言ってくれて、涙が出たよ。そうそう、モーターヘッドのレコーディングにノー・クレジットで参加したこともあるんだ。彼らの「ボーン・トゥ・レイズ・ヘル」のニュー・ヴァージョンを録ることになって、ニューヨークの“エレクトリック・レディ・スタジオ”でセバスチャン・バックとバック・ヴォーカルを歌ったんだ。リードを歌ったのはアグリー・キッド・ジョーのウィット・クレインとラッパーのアイスTだったけど、俺たちの声も入っているんだよ(映画『ハードロック・ハイジャック』/1994で使われた)。

●モーターヘッドとのライヴ共演は何度ぐらいやったことがありましたか?

うーん、3回だったか4回だったか...2010年にはモーターヘッドのツアーでオープニング・アクトをやったこともあるんだ。それで何回か彼らのステージに飛び入りしたことがある。レミーの最後から3回目のライヴがヘルシンキ公演で(2015年12月6日)、「ノー・クラス」でハーモニカを吹いたんだ。楽屋でギタリストのフィル・キャンベルとリハーサルしたときはレギュラー・チューニングだったけどステージでは半音下げで、「ちょっと待てよ!」と焦ったのを覚えている(苦笑)。あのライヴを見た人は俺のハーモニカがヘタクソだと思っただろうけど、そんな裏事情があったんだ。リハーサルを撮った動画があるから、名誉挽回のためにいつか公開するかもね!でも、どれも懐かしい、素晴らしい思い出だよ。そのときレミーは体調が良くなく、彼と会えるのは最後になると判っていた。彼が亡くなって、遺灰を入れた弾丸をプレゼントされたんだ。彼のことは尊敬していたし、とても光栄に思ったね。(https://www.instagram.com/p/CfHLrWqMIkb/を参照)

●ミュージシャンが1980年代初めのロンドンでライヴ会場のバックステージや近所のパブに行くと、大抵レミーかシン・リジィのフィル・ライノットと出くわしていたそうですね。

残念ながらフィルとは一度も会う機会がなかったんだ。違うパブに行っていたのかも知れない。シン・リジィは好きで、フィルのソロ・ナンバー「ディア・ミス・ロンリー・ハート」をカヴァーしたこともある(『アナザー・ホスタイル・テイクオーヴァー』/2005)。彼のお母さんとは会ったことがあるよ。彼は“メロディ・メイカー”紙に載ったハノイ・ロックスの記事を見せて、「ママ、彼らはクールなバンドだよ」と話していたらしい。最高に嬉しくて、名誉に感じたね。

●TV配信シリーズ『ピースメイカー』(2022)で「11thストリート・キッズ」が使われ、ジョン・シナがハノイ・ロックスのことを「史上最高のバンドだ!」と力説するシーンもありましたが、そんな再評価についてどう感じますか?

最高の気分だよ!使われ方も良かったし、若い世代の人々にハノイ・ロックスを知ってもらう素晴らしい機会だった。『ピースメイカー』制作総指揮のジェームズ・ガンはハノイ・ロックスの大ファンで、SNSや携帯でメッセージを送りあう関係だよ。まだ直接会っていないけど、いろいろ話してみたいね。

●2022年には絵本『Makke ja Nupu』の原作を手がけて、世界中のファンを驚かせましたが、どのようにして実現したのですか?

コロナ禍で自宅にいた頃、出版社から「子供向けの本を書いてみないか?」というオファーがあったんだ。興味深いチャレンジだと思ったし、やってみることにした。このストーリーは事実に基づいているんだ。もちろん脚色はしているけど、俺が子供の頃、友達と外で遊んでいたら自動車に撥ねられて、家にいるあいだにヌプというネズミと友達になる話だよ。フィンランドでは評判が良くて、テレビ番組に出演して紹介したりしたんだ。今飼っている猫も、耳が大きいからヌプって名前なんだよ。とても楽しい経験だったし、機会があればまた絵本にチャレンジしてみたいね。映画『SING/シング:ネクストステージ』のフィンランド語吹き替えで声優もやってみたし、新しいことをやるのはエキサイティングだよ。

●あなたの人生を追ったドキュメンタリー映画が作られるそうですが、どんな内容でしょうか?いつ頃見ることが出来るでしょうか?

『The Best Kept Secret In Rock'n'Roll: Michael Monroe』というタイトルなんだ。2023年1月末に公開予定で、俺自身どんな出来になるか楽しみにしているよ。ハノイ・ロックスの初期からの映像や日本のテレビ番組のフッテージも入っていて、今年(2022年)ニューヨークでリトル・スティーヴンやイアン・ハンターとのトークも撮影したし、きっと面白いものになると思うよ。

●あなたのハノイ・ロックスでの相棒アンディ・マッコイが2022年10月に日本公演を行ったばかりです。あなたの最新アルバム『アイ・リヴ・トゥー・ファスト・トゥ・ダイ・ヤング!』に伴うジャパン・ツアーも楽しみにしています!

うん、前回日本に行ったのはコロナ禍の前だから、すぐにでも飛行機に飛び乗って行きたい。アルバムの曲はどれもライヴ向きだし、ぜひ日本のファンと一緒に盛り上がりたいね。新しい曲も昔の曲もやるし、最高にエキサイティングなロックンロールの一夜になるよ!

Demolition 23『Demolition 23』ジャケット(Wicked Cool Records / 現在発売中)
Demolition 23『Demolition 23』ジャケット(Wicked Cool Records / 現在発売中)

【デモリッション23 Bandcampサイト】

https://demolition23.bandcamp.com/

【日本レコード会社公式サイト】

ビクターエンタテインメント/マイケル・モンロー

https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A023218/VIZP-171.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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