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ティアーズ・フォー・フィアーズ、“ビートルズとストーンズの狭間”をさまようルーツ探訪【後編】

山崎智之音楽ライター
Tears For Fears / photo Frank Ockenfels

2022年2月に17年ぶりのニュー・アルバム『ザ・ティッピング・ポイント』を発表したティアーズ・フォー・フィアーズのカート・スミスへのインタビュー全2回の後編。前編記事では新作について語ってもらったが、今回はその音楽のルーツについて訊く。

Tears For Fears『The Tipping Point』ジャケット(ユニバーサルミュージック/現在発売中)
Tears For Fears『The Tipping Point』ジャケット(ユニバーサルミュージック/現在発売中)

<初期のブルー・オイスター・カルトが大好きなんだ>

●新作からの「マスター・プラン」の歌詞には“ビートルズとストーンズの狭間をさまよって”という一節がありますが、パンク以後にデビューしたあなた達にとって彼らはどの程度重要な存在でしたか?

とてつもなく大きな存在だったよ。デビューはパンク後であっても、誰だって子供の頃に聴いた音楽から影響を受けるものだからね。ザ・ビートルズは今でも好きだし、ピンク・フロイドの『炎(あなたがここにいてほしい)』からは多大な影響を受けている。“ビートルズとストーンズの狭間を彷徨って”という一節は決してシリアスなものではないけど、人生において二者択一を迫られる瞬間があることを歌っているんだ。ザ・ビートルズもザ・ローリング・ストーンズも両方好き、という選択肢もあると思うけどね。

●「シーズ・オブ・ラヴ」(1989)あたりはサイケデリックな世界観、「ペニー・レイン」風のトランペットなどザ・ビートルズ的な要素を感じましたが、ザ・ビートルズ派かザ・ローリング・ストーンズ派かというと前者だったでしょうか?

うん、2人とも子供の頃からザ・ビートルズ派だったよ。少し大きくなってから、ストーンズも好きになったけどね。メインストリームのポップ/ロックにブルースを取り入れて、世界で最も成功を収めているのは彼らだ。ストーンズはライヴ・バンドとしてはザ・ビートルズをはるかに凌ぐ実績があるし、誰も敵わないよ。とても敬意を持っている。

●ゲイリー・ケンプとガイ・プラットがやっている『Rockonteurs』配信であなたがゲスト出演した回を聴いたのですが、少年時代にあなたがブルー・オイスター・カルトの「5月の最後の日」を歌うのを聴いてローランド・オーザバルが声をかけてきたそうですね?

こちら

その通りだよ(笑)。初期のブルー・オイスター・カルトが大好きなんだ。彼らはロック・バンドとしてはとても抽象的だった。ロック、特にハード・ロックというとダイレクトで具体的な表現が目立つけど、彼らのサウンドや歌詞には聴き手のイマジネーションをかき立てる余地があったんだ。「臆病なクレチン病患者」みたいにね。彼らはパンク以前のパンク・バンドだったかも知れない。ウェールズ出身のバッジーもそんなタイプのバンドだった。十代前半、彼らの大ファンだったよ。

●他に好きだったロック・アーティストは?

十代後半になって、自分でもギターを弾くようになると、ブラック・サバスやシン・リジィを聴きふけるようになった。自分がベーシストでシンガーだったこともあって、シン・リジィのフィル・ライノットからはポール・マッカートニーと同じぐらい影響を受けたよ。さらにセックス・ピストルズやザ・ダムド、ザ・ジャムも好きだったし、スペシャルズやマッドネスのようなスカの要素があるバンドにも傾倒していたよ。

●スカといえば、ティアーズ・フォー・フィアーズの前身バンド、ザ・グラデュエイトで「エルヴィス・シュッド・プレイ・スカ」という曲もやっていたし...。

いやー、若かったんだよ(苦笑)。...その後、ゲイリー・ニューマンやジャパンが好きになった。『錻力の太鼓』は今でもオールタイム・フェイヴァリットの1枚だ。もちろんデビューしてからもさまざまなアーティストから影響を受けてきた。『シーズ・オブ・ラヴ』(1989)の頃はリトル・フィートやスティーリー・ダンが大好きで、最近ではボン・イヴェールやThe 1975がお気に入りだよ。そういったアーティストをそのまんまコピーする気はないけど、彼らの音楽から刺激を受けてきたし、我々の音楽に彼らと似ている部分があるかも知れない。

●サウンド的にはあまり共通するものは感じないです。

うん、それは良かった(笑)。サウンドよりも彼らの音楽への取り組み方やアプローチに影響されているからね。

●さっきバッジーの名前を挙げていて驚きましたが、彼らの音楽のどんなところが魅力ですか?

フィル・ライノットやポール・マッカートニーのように、バーク・シェリーがベーシスト兼シンガーだったことで共感をおぼえたんだ。彼は先日(2022年1月10日)亡くなって、とても悲しかったよ。彼らの「ペアレンツ」という曲が大好きだった。ロック・バンドが両親と子供の関係を描くのは稀有だった。『ザ・ハーティング』が同じく両親との関係を題材としているのは、影響があったのかも知れないね。「ペアレンツ」は今でもアコースティックで爪弾いたりするよ。

●新作収録の「エンド・オブ・ザ・ナイト」では南東フランスの季節風ミストラルを恋愛の相手になぞらえていますが、シン・リジィの「あの娘は北風」も疾風galeとフィル・ライノットのガールフレンドだったゲイルさんをダブルミーニングとして歌っていますね。

わあ、それはクールだ!“風が吹く”ことを歌詞にしたのは、かつて「マザーズ・トーク」でもやっているし、シン・リジィとは関係ないけど、それは嬉しい偶然だね(笑)。彼らの『ライヴ・アンド・デンジャラス』はロック史上最高のライヴ・アルバムのひとつだよ。ロック・バンドではベーシストは脇役ということが多かったけど、フィル・ライノットは強烈な存在感を放つフロントマンだったし、2人のギタリストが奏でるハーモニーも最高だった。

Tears For Fears / photo by Frank Ockenfels
Tears For Fears / photo by Frank Ockenfels

<ローランドとは半世紀の付き合い。兄弟以上に兄弟みたいなもの>

●『Rockonteurs』配信で、ゲイリー・ケンプはスパンダー・バレエ時代にティアーズ・フォー・フィアーズのことを「脅威に感じた」と語っていました。あなたは1980年代のUKポップ・シーンについてどう感じていましたか?自分たちの“仲間”や“同胞”と捉えていたバンド、あるいは“脅威に感じた”バンドはいましたか?

いなかったな。我々はバースという地方都市の出身で、いわゆるシーンに所属していなかったし、知り合いやライバルのバンドもいなかったんだ。ロンドンやバーミンガム、マンチェスターだったら競争があっただろうけどね。他のバンドを知らないから、自分たちが大したことないと思っていた。そりゃ、目指していたのが『ピーター・ゲイブリエルIII』みたいなアルバムだったし、それと較べたら数ランク落ちるのは仕方なかったよ。それでもいつかあんなアルバムを作りたいと考えながら、努力を続けてきたんだ。それが俺のアーティストとしてのモーティヴェーションだったんだよ。

●あなたとローランドは共に3人男兄弟の真ん中だそうですが、それに起因する共通点はありますか?

ローランドと俺は家族構成が似通っているんだ。男3人兄弟だし、主に母親に育てられたしね。だから性格的にも似ている部分があるよ。父親がいないことで、長男である兄貴たちはその代わりをしなければならなかった。心理学でいう“ホステージ・チャイルド”だったんだ。それでローランドも俺も、通常の家庭だったら長男がそうであるような、束縛されない自由な存在だった。2人とも言いたいことを言う性格のせいで、ティアーズ・フォー・フィアーズでも言い争いになったりするけどね。ローランドとは半世紀の付き合いだから、お互いのことを誰よりも判っているんだ。兄弟以上に兄弟みたいなものだよ。

●前回ティアーズ・フォー・フィアーズが日本を訪れたのは2012年の“サマーソニック”フェスでした。あなた達がまた日本のステージに戻ってくるのを待っています。

もう10年も行っていないんだね!それはあまりに長すぎるし、ぜひツアーで戻りたい。『ザ・ティッピング・ポイント』の曲や昔の曲をプレイするのを楽しみにしているよ。

【最新アルバム】

ティアーズ・フォー・フィアーズ

『ザ・ティッピング・ポイント』

ユニバーサル ミュージック合同会社

発売日: 2022年2月25日(金) リリース(世界同時発売)

https://found.ee/8SQpi7

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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