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ドゥギー・ホワイトが語るソロ・アルバム『アズ・イェット・アンタイトルド』【前編】

山崎智之音楽ライター
(写真:Shutterstock/アフロ)

現代のハード・ロック界をリードするシンガーの1人であるドゥギー・ホワイトが海外でソロ・アルバム『アズ・イェット・アンタイトルド』を発表した。

リッチー・ブラックモアやマイケル・シェンカー、イングヴェイ・マルムスティーンなど世界のトップ・ギタリスト達と共演してきたドゥギーにとって初のソロ作品となる『アズ・イェット・アンタイトルド』は2011年、ポーランドの“メタル・マインド・プロダクションズ”から発表されたが、少数がプレスされた後、間もなく廃盤となり、マニア垂涎のレア盤となってきた。今回の再発盤は2曲を追加、またハード・ロック名曲の数々をカヴァーするボーナス・ディスクを加えてのデラックス・エディションとなる。

前後編となるインタビューで、ドゥギーが自らのアルバムについて、またその濃密なキャリアについて語った。まずは前編を。

Doogie White『As Yet Untitled』/ The Store For Music(海外盤)現在発売中
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<リッチー・ブラックモアは「イタズラ好きな奴だな」とだけ言った>

●2011年に『アズ・イェット・アンタイトルド』オリジナル盤をリリースしたのと、今回の再発の背景について教えて下さい。

『アズ・イェット・アンタイトルド』をレコーディングしたのはその約2年前、2009年だった。イングヴェイのバンドを辞めて、タンクに加入してしばらく経った頃だよ。“メタル・マインド・プロダクションズ”はタンクのアルバムを出していたから、俺のソロ・アルバムも出してもらうことにしたんだ。ただ、“メタル・マインド〜”にはプロモーション力がなくて、ポーランド以外では注目されなかった。アメリカやヨーロッパ、日本のファンはアルバムが存在することすら知らなかったんだ。その権利を取り戻して、再発することにした。ただそのまま出すのではなく、アルバム本編をリマスターした。リマスタリングはハンマーフォールのポンタス・ノルグレンがやってくれたんだ。それに2曲のボーナス・トラックを加えて、さらに過去にいろんなトリビュート・アルバム用にレコーディングしてきたカヴァー曲を集めたディスク2『ゼン・ゼア・ウォズ・ディス』との2枚組にすることにした。何年も前に一発録りで歌って、すっかり忘れていたテイクもあって、自分自身にとっても新鮮だったよ。それらを再訪するのは楽しい作業だったね。

●アルバムの1曲目「カム・テイスト・ザ・バンド」はディープ・パープル直系のハード・ロック・ナンバーですが、第4期パープルの同題アルバム(1975)からインスピレーションを得たのですか?

うん、その通りだ。俺がデヴィッド・カヴァーデイルで、ミート・ローフと一緒にやっていたパティ・ルッソーがグレン・ヒューズの“役”だったんだ。さらにイントロでトニー・ケアリーにレインボーの「タロット・ウーマン」風のキーボードを弾いてもらった。アルバムではベースはニール・マーレイとグレッグ・スミスという友人たちが弾いているし、素晴らしいゲスト陣が参加しているよ。

●あなたはディープ・パープルの長年のファンだったのですか?

もちろん!1970年代からずっとファンだったよ。『ライヴ・イン・ジャパン』(1972)は俺のバイブルだった。プレイング・マンティスの一員として日本に行ったとき、ちょうどディープ・パープルもジャパン・ツアーの最中だったんだ(1991年6月)。ジョー・リン・ターナーがシンガーだったときだよ。日本武道館でディープ・パープルのライヴを見るというのは、一種の宗教的儀式だったね。その後、レコード会社の友達にチケットとバックステージ・パスをもらって、ロンドン公演にも行ったんだ。そのとき自分のデモ・テープを持っていって、マネージャーのコリン・ハートに渡した。それから3年後、突然連絡があったんだよ。そのとき俺はピンク・クリーム69のオーディションを受けるためにドイツにいた。アンディ・デリスがハロウィンに加入して、俺が後任の候補の1人だったんだ。で、イギリスに帰ってきたら、リッチー・ブラックモアから連絡があったというメモがあった。それで電話をかけて話したら、新曲のデモを聴きたいと言われた。それで友人でギタリストのアレックス・ディクソンと書いた「カム・テイスト・ザ・バンド」を送ったんだ。

●よりによって、リッチーが参加しなかったアルバムのタイトルを冠した曲のデモを渡したことで、何か言われませんでしたか?

リッチーは「イタズラ好きな奴だな」とだけ言って、笑っていたよ。気分を害したりはしていなかった筈だ。レインボーに迎え入れてくれたんだからね(笑)。

●「カム・テイスト・ザ・バンド」にはレインボーに在籍したこともあるキーボード奏者トニー・ケアリーが参加していますが、彼とはどのように知り合ったのですか?

トニーからはある日、メールをもらったんだ。当時SNSがあったか覚えていないけど、それから連絡を取り合うようになって、「ソロ・アルバムにゲスト参加して欲しい」と頼んでみた。「タロット・ウーマン」みたいなフレーズを...と頼んだら、快く弾いてくれたよ。彼とは数年前、ノルウェーで一緒にライヴをやったことがある。モスクワで別々のバンドで、対バンをやったこともあったな。トニーはクールな人だよ。あまり知られていないけど、素晴らしいシンガーだし、優れたギタリストでもある。オールラウンドなミュージシャンで、ソングライターでもあるんだ。常にアイディアに溢れている人で、ある意味ポンタス・ノルグレンに似たタイプかも知れない。

●『アズ・イェット・アンタイトルド』にはさまざまなタイプの曲が収録されています。その中で「タイム・マシーン」と「キャッツ・ゴット・ヤー・タン」はAC/DCを思わせる曲ですが、どの程度意識していましたか?

「ヨシ!AC/DCみたいな曲を書くぞ!」と考えて書いた曲ではないけど、出来上がった曲を聴いて、AC/DCっぽいとは思ったよ。彼らは俺のフェイヴァリット・バンドのひとつだし、影響を受けるのは仕方がない。まあ、バンドと面識はないし、交流もないけどね。「キャッツ・ゴット・ヤー・タン」は「カム・テイスト・ザ・バンド」と同じ日に書いたんだ。リッチーもAC/DCのことを気に入っていた。インタビューで「AC/DCはロックンロールの新しい掟だ」と話していたそうだ。

●「リヴィング・オン・ザ・チープ」もビッグなギター・リフをフィーチュアしながら、AC/DCスタイルとは一線を画していますね。

「リヴィング・オン・ザ・チープ」の歌詞とメロディは、レインボーでの2枚目のアルバムを念頭に置いて書いたものだった。当時の自分自身をパロディにした曲だ。人気バンドの一員として世界中をツアーして、豪華なホテルに泊まったりしても、ポケットに金がない...そんな生活だよ。

●「ランド・オブ・ザ・ディシーヴァー」「シー・オブ・エモーション」には往年のデヴィッド・カヴァーデイルの魂が込められていると思います。

そう言ってもらえると嬉しいね。初期ホワイトスネイクは大好きなんだ。「ランド・オブ・ザ・ディシーヴァー」はポンタスとマーカス・ジデル(アヴァタリアム、ロイヤル・ハント)が書いた曲だ。ヨーロッパ大陸のミュージシャンはイギリス人とはハード・ロックやヘヴィ・メタルに対する感覚が異なっていて、さまざまなインスピレーションを受けることが出来るよ。俺は寓話のような歌詞を乗せたかった。「ジャックと豆の木」や「白雪姫」のような、教訓のある物語を歌にしたかったんだ。当時はうまく歌えたか確信を持てなかったけど、今聴いてみるとなかなか良い出来だと思う。「シー・オブ・エモーション」は大昔に書いた曲なんだ。俺のファースト・ネームはダグラスだ。“暗い水が深く流れる”という意味なんだよ。“waters run deeper, calling my name”という歌詞は、そこから取ったんだ。

●アルバムで4曲を共作しているアレックス・ディクソンについて教えて下さい。

アレックスは、彼が15歳の頃からの友達だ。俺がレインボーに入る前にやっていたミッドナイト・ブルーというバンドのギタリストで、ブルース・ディッキンソンのソロ・バンドにもいたことがある。

●何故アレックスはアルバムでプレイしなかったのですか?

やりたくないと言われたんだよ。ギタリストという人種は「やりたくない」と決めたら、テコでも動かないものなんだ。「何故?」と訊いても仕方ない。「あまり気乗りしない」と言われて、深追いしないことにしたんだ。彼とはずっと友達でいたいからね。アレックスはロビー・ウィリアムスのツアー・バンドでやっていて、元気だよ。彼が成功しているのは嬉しいし、また一緒にやりたいね。

●“ギタリストという人種は...”とおっしゃいましたが、これまでも同様なことがあったのですか?

『孤独のストレンジャー Stranger In Us All』のセッションでリッチーと一緒に書いた曲で、アルバムに入らなかったものが幾つかあるんだ。そのうち1曲は「ペイガン・ラヴ・ソング」というバラードだった。「レッド・チーズ・サラダ」という仮タイトルは「リッチーズ・バラード」の言葉遊びだったんだ。美しいメロディとスライド・ギターが入った曲で、スタジオで2ヴァージョンをレコーディングしたけど、完成することがなかった。リッチーはわざと完成させなかったんだと思う。当時ディープ・パープルの『イン・ロック』のアニヴァーサリー・エディション(1995)みたいな、アウトテイクのソロをオーヴァーダブした作品に激怒していたからね。俺は良い曲だと思っていたし、『アズ・イェット・アンタイトルド』でレコーディングしたかった。それでリッチーにメールしたんだ。その返事は「何の話だか判らない」というものだった。おそらくそれは「ノー」の意味だと解釈して、レコーディングしなかったよ。彼とは何年も会っていないけど、関係に良くないものを残したくなかったんだ。ちなみにリッチーにゲスト参加して欲しいとも依頼したけど、辞退のメールをもらったよ。

Doogie White / photograph by Alicia Orta
Doogie White / photograph by Alicia Orta

<オリジナルのメロディや歌詞をしっかり歌い込んで、敬意を表する>

●『アズ・イェット・アンタイトルド』新装ヴァージョンには「ディッシング・ザ・ダート」「スモール・タウン・サタデイ・ナイト」というボーナス・トラックが収録されていますが、それらは当時のアウトテイクですか?それとも新録でしょうか?

2009年当時にレコーディングしたものだよ。あまり長たらしいアルバムにしたくなかったんだ。LP時代の40分ぐらいがベストだよ。それでオリジナル・ヴァージョンには収録しなかったけど、けっこう良い曲だと思うし、今回を機会にみんなに聴いてもらうことにした。コーラスを聴けば判るとおり、「ディッシング・ザ・ダート」は当初「グッド・トゥ・ビー・バッド」というタイトルだったんだ。でもホワイトスネイクが同じタイトルのアルバムを出してしまった。この曲での俺のヴォーカルはデヴィッド・カヴァーデイルから影響を受けたものだったし、パクリだと思われたくないから、タイトルを変えることにしたんだ。

●「スモール・タウン・サタデイ・ナイト」は?

「スモール・タウン・サタデイ・ナイト」はアレックス・ディクソンと書いた曲だよ。繊細でビューティフルだけど、アルバム全体のロックなノリとは合わないと考えて、収録しなかった。ディープ・パープルだって「ホェン・ザ・ブラインド・マン・クライズ」みたいにアルバム未収録だけど素晴らしい曲もあるだろ?それと同じだよ。2枚目のソロ・アルバムを作る機会があればそっちに入れても良かったけど、スケジュールが空かなかったんだ。それで今回ボーナスとして世に出すことにした。

●この歌詞は実体験に基づいているのですか?

俺の故郷でよく行ったロック・バーの思い出を歌っているんだ。スコットランドのマザーウェル郊外のウィショウにあった“へザリー”というバーだよ。いろんなバンドのライヴも見ることが出来たけど、みんなこの小さな町をいつか出ていって、都会で成功することを夢見ていた。1970年代後半、一時期ディスコになったけど、常連客の大反対があって、再びロック・バーになった。当時、俺はまだ十代だったし、公には酒を飲めなかったけど、ライヴを見に行っていたんだ。1980年代にラ・パズで何度もライヴをやったことがあるし、いろんなバンドを見た。フィル・ライノット率いるグランド・スラムやマグナム、パラス、フランキー・ミラーのライヴも見たことがあるよ。フランキーはスコットランドの誇りだね!“へザリー”には良い思い出が幾つもあるし、歌っておきたかったんだ。

●アルバムにはクレイグ・ゴールディ(ディオ、ジェフリア他)も作曲とギターで参加する予定だったのが、あなた自身のライナーノーツによると“神秘的な闇の力”のせいで実現しなかったというのが残念です。

うん、クレイグとは6、7曲一緒に書いたんだ。ロニー・ジェイムズ・ディオがヘヴン・アンド・ヘルを始動させて、バンドのディオが活動休止したときだった。でも、その曲をレコーディングすることは出来なかったんだ。彼のマネージメントから、次のディオのアルバムに使いたいって言われてね。クレイグにとってはディオは大事な収入源だし、それを拒絶することは出来なかった。でもロニーは2010年に亡くなってしまって、結局ディオの新作は作られなかったんだ。それで当時の曲の4、5曲はクレイグのドリーム・チャイルドというバンドの『アンティル・デス・ドゥ・ウィ・ミート・アゲイン』(2018)で流用されている。クレイグと共作した曲を使えなくなったことで、俺は新しく曲を書くことになった。そのとき共通の友人から紹介してもらったのがタンクのミック・タッカー、そしてエデンズ・カースのポール・ローグだったんだ。

●それにしても、現代のハード・ロック界はあなたとティム“リッパー”オーウェンズ、ロニー・ロメロの3人がいろんなバンドを行ったり来たりして成り立っていますね。

ハハハ、それは極論だよ。でもリッパーとロニーは凄いシンガー達だし、彼らと並んで評価されるのは光栄だね。あとはヨルン・ランデも入れたらビッグ・フォー、四天王になるかも知れない(笑)。他にも優れたシンガーはたくさんいると思うけど、この4人はいずれも“個性があって、エゴがない”のが特徴だ。俺たちはそれぞれ異なったスタイルを持っているし、ロニー・ジェイムズ・ディオやグラハム・ボネット、ロブ・ハルフォードのようなシンガー達とは必ずしも似ていなかったりする。それでも彼らのメロディや歌詞をしっかり歌い込んで、オリジナルに敬意を表したヴォーカルを披露するんだ。「これが俺の歌い方だ。気に入らなきゃ消え失せろ」なんて姿勢は、俺たちにはない。 リッパーとは一緒にツアーしたことがあるし、ロニーとも何回か話したことがあるけど、みんな気の良い連中で、面倒な人間ではないんだ。

●“四天王”全員と共演経験のあるイングヴェイ・マルムスティーンが先日アルバム『パラベラム』を発表しました。あなたへの伝言で、(スコットランド訛りで)「木曜まで2シリング貸してくれ!」だそうです。

おー(笑)、懐かしいな。TVシリーズ『空飛ぶモンティ・パイソン』のコントだよ(「ケチな詩人、ユアン・マクティーグル」)。イングヴェイのバンドでやっていた頃、何度も繰り返していた内輪のジョークだ。彼は世界最高峰のギタリストの1人だし、6年半のあいだ一緒にやっていて楽しかった。『アタック!』(2002)と『アンリーシュ・ザ・フューリー』(2005)で歌って、世界をツアーしたけど、学ぶことの多い経験だったよ。

●イングヴェイに対して批判的なシンガーも少なくないようですが、あなたは波風を立てていませんよね。

イングヴェイとはもう何年も会っていないけど、うまく行っていたよ。彼は自分の求めることを明確に伝えてくるし、全力でそれに応えれば問題はなかった。イングヴェイがすべての曲と歌詞を書くことは最初から決まっていたし、俺がするべきことはベストを尽くして歌うことだったんだ。その頃、俺はロイヤル・ハントのスティーン・モーゲンセンとコーナーストーンというバンドもやっていたし、クリエイティヴな欲求はそちらで満たしていた。

●それにも拘わらずイングヴェイとの活動が長く続かなかったのは何故でしょうか?

ギタリストというものは、シンガーを替えることで新鮮なフィーリングを保ち続けるんだ。俺が今まで一緒にやってきたリッチー・ブラックモアやマイケル・シェンカー、イングヴェイもそうだった。ちょっと前にマイケルから「近いうちにまたテンプル・オブ・ロックをやろうぜ」というメールをもらったよ。彼とはクリエイティヴなケミストリーも良好だったし、またアルバムを作ったりツアーをしたいね。マイケル・シェンカー・フェストも楽しかったけど、自分の出番が少なかった(苦笑)。もちろん事前にそのことは知っていたし、嫌だったらオファーを受けないよ。俺たちの生業は歌うことだ。あらゆるステージで歌うのが俺たちの仕事なんだ。昔はドラマーがそんな感じだったね。コージー・パウエルなんて幾つものバンドを渡り歩いてきたけど、彼のプレイは個性的で、同時にオリジナルを尊重していた。コージーとはぜひ同じバンドでやりたかったな。

●あなたが日本のステージに戻ってくるのを待っています。

うん、2020年2月からライヴをやっていないんだ。当初の予定では、還暦の誕生日(2020年3月7日)は日本で、マイケル・シェンカーとのツアーで過ごす筈だったんだ。でも新型コロナウィルスのせいで中止になって、その後の北米・南米・ヨーロッパ・ツアーもすべて白紙になってしまった。俺のいるべき場所は、ステージの上なんだ。その場所に1年以上立つことが出来ないのは、本当に苦痛だったよ。...そうそう、アルカトラスにシンガーとして加入したんだ。グラハム・ボネットが脱退したんで、その後任だよ。当初はグラハムが参加したアルバム『ボーン・イノセント』をプロモートするツアーをやるつもりだったけど、新型コロナウィルスのせいで中止になってしまって、代わりにスタジオ・アルバムを作ることにしたんだ。秋にアルバムを発表して、ガールスクールとイギリス・ツアーをやることになっている。2022年になって世界が元に戻ったら、ぜひ日本に戻りたいね。

後編記事ではドゥギーが『アズ・イェット・アンタイトルド』についてさらに深く語るのに加え、数々のトップ・ギタリスト達との共演、そしてプレイング・マンティスやタンク在籍時の逸話などを明かす。

【アルバム情報】

ドゥギー・ホワイト『アズ・イェット・アンタイトルド』

The Store For Music(海外盤)

https://www.thestoreformusic.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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