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ドゥギー・ホワイトが語るリッチー・ブラックモア、イングヴェイ・マルムスティーン、タンク他【後編】

山崎智之音楽ライター
Doogie White / photo by Alicia Orta

現代のハード・ロック界を代表するシンガーの1人、ドゥギー・ホワイトへのインタビュー後編をお届けする。

前編記事では2011年のソロ・アルバム『アズ・イェット・アンタイトルド』について訊いたが、後編ではさらに掘り下げるのに加え、彼の受けてきた影響、伝説的アーティスト達との共演、そして未来への展望を話してもらった。

<ナザレスはスコットランドの誇るロック・ヒーローだ>

●『アズ・イェット・アンタイトルド』をアルバムのタイトルにしたのは、どんな意図があったのですか?

まあ、ジョークだよ。“タイトル未定”というタイトルなんだ。CDショップの告知で新作アルバムの発売日は決まっているけどタイトルは決まっていない、“タイトル未定”という意味だ。

●今回の新装盤のCD-2『ゼン・ゼア・ウォズ・ディス』のカヴァー曲はあなたが選んだものですか?

基本的にどの曲も、レコード会社からリクエストされたものだよ。「●●へのトリビュート・アルバムを出すから、『××』を歌ってくれない?」ってね。ただ不思議なことに、どの曲も好きなものだった。仕事だから嫌々歌った曲はひとつもなかったよ。ナザレスは3曲カヴァーしたんだ。「ラヴ・ハーツ」「ディス・フライト・トゥナイト」が収録されているけど、実は「ラザマナス」もレコーディングしたんだよ。正午にスタジオの最寄りの鉄道駅に着いて、車で迎えに来てもらって、午後5時ぐらいにはスタジオを出ていた。プロトゥールズもない時代で、2、3テイク録って、切り貼りすることなく、一番出来の良いテイクを選んだんだ。どの曲もスタジオ・ライヴだったよ。

●「ラヴ・ハーツ」のオリジナルはエヴァリー・ブラザーズ、「ディス・フライト・トゥナイト」はジョニ・ミッチェルですが、どちらもナザレスがカヴァーしていますね。

ナザレスはスコットランドの誇るロック・ヒーローで、俺が初めてライヴを見たバンドなんだ。兄貴の友達のおばあちゃんがマザーウェル・シヴィック・センターでのナザレスのコンサート・チケットを買った。『ラザマナス』の頃だから、1973年だと思う。ナザレス(注:イエス・キリストが育ったナザレの英語読み)という名前のバンドで「ブロークン・ダウン・エンジェル」がヒットしていたから、キリスト教の賛美歌コンサートか何かと勘違いしたんだね。でもバンドが新聞に載って、ビールを飲んで暴れる長髪の野郎どもだと知って仰天して、チケットを手放すことにした。それで俺たちが行けることになったんだ。最高の経験だったよ。

●ナザレスのシンガー、ダン・マッカファティからは影響を受けましたか?

ダンのヴォーカルは好きだったけど、声質が俺とはまったく異なっていたし、影響は受けなかったな。ロブ・ハルフォードやゲディ・リーについても言えることだけど、彼らのヴォーカルはあまりに個性的で、模倣すら出来ないんだ。それよりも影響を受けたのはルー・グラムやデヴィッド・カヴァーデイル、グレン・ヒューズみたいなシンガーだよ。彼らのスタイルもおいそれと真似出来ないけどね。今ナザレスで歌っているカール・センテンスも本当に素晴らしいと思うし、ダンのザクザクしたエッジを踏襲しながら彼自身のスタイルを加えているよ。

●スコットランドはダン・マッカファティやボン・スコット、フランキー・ミラー、アレックス・ハーヴェイなど数多くの名シンガーを輩出してきましたが、あなた自身もスコットランド出身というアイデンティティを感じますか?

うん、それはいつも感じているよ。“少年をスコットランドから連れ出すことは出来ても、スコットランドを少年から消し去ることは出来ない”というだろ?これまでのキャリアであらゆる国籍のミュージシャンと一緒にやってきたけど、俺は常にスコッティッシュであることを意識しながら歌っているよ。スコットランド出身のシンガーでもう1人最高なのは亡くなってしまったけど、ジェイムズ・デュワーなんだ。1970年代にロビン・トロワーと一緒にやっていたシンガーでベーシストだよ。ジェイムズの後任としてロビンのバンドに加入したのが、同じくスコットランド出身のデイヴィ・パティソンだった。彼も素晴らしいシンガーだ。面白いのは、彼はずっと後になってマイケル・シェンカーと“シェンカー・パティソン・サミット”というバンドをやったんだよ。世界は狭いよね!もう1人、純粋なスコッティッシュではないけど、ジョン・マーティンも大好きなんだ。彼のヴォイスは本当に凄いね。影響は特に受けていないかも知れないけど、ファンだよ。ザ・テンペランス・ムーヴメントのフィル・キャンベル、ザ・ブルー・ナイルのポール・ブキャナンも良い。みんなスコッティッシュ・ソウルを持ち備えているんだ。

●ザ・ローリング・ストーンズのカヴァー「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」のコーラスでtogetherのところが持ち上がって、デヴィッド・ボウイのヴァージョンに近いと感じました。

そう、正解だよ。実はストーンズのオリジナルはよく知らないんだ。ボウイの『ピンナップス』(1973)のヴァージョンで初めて聴いたんだよ。ストーンズのファンだったことはなくて、バディ・ホリーの「ノット・フェイド・アウェイ」も彼らのヴァージョンは知らない。レコーディングはしたけど、今歌えと言われても無理だよ。「ツイストで踊りあかそう」もそうだけど、レコーディングしたときのことを覚えていないんだ。

Doogie White『As Yet Untitled』/ The Store For Music(海外盤)現在発売中
Doogie White『As Yet Untitled』/ The Store For Music(海外盤)現在発売中

<N.W.O.B.H.M.よりもキーボードの入ったハード・ロックが好きだった>

●プレイング・マンティスやタンクに加入したり、アイアン・メイデンのオーディションを受けたりするるなど、1970年代末から1980年代初頭のニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(N.W.O.B.H.M.)と浅からぬ縁のあるあなたですが、シーンへの思い入れはありますか?

特になかった。N.W.O.B.H.M.には良いバンドもいたけど、正直あまりムーヴメントとして自分の胸を躍らせるものがなかったんだ。アイアン・メイデンの件も、それほど大きなイベントではなかった。オーディションを受けて、彼らはブレイズ・ベイリーを選んだ。それだけだった。俺は公にしなかったけど、スティーヴ・ハリスが公認本『Run To The Hills』で話して、みんなに知られるようになったんだ。もちろんスティーヴに悪い感情はないよ(笑)。俺はキーボードの入ったハード・ロックが好きだった。ディープ・パープルやレインボー、ホワイトスネイク、ユーライア・ヒープ...いずれもキーボードを取り入れることで色彩を増してきた。キーボードがバンド・サウンドを支えてくれるおかげで、リッチー・ブラックモアやマイケル・シェンカーのギターもさらにワイルドに暴れることが出来たんだ。

●プレイング・マンティスに加入したのは?

プレイング・マンティスに加入したのは、ほとんど成り行きだったんだ。決して彼らの大ファンだったわけではない。バンドにはコリン・ピールというシンガーがいた。彼もスコットランド出身だよ。彼らはジャパン・ツアーが決まっていたけど(1991年6月)、その3週間ぐらい前、彼がミュージカル『ヘアー』に出演することになって、脱退してしまったんだ。当時、俺はミッドナイト・ブルーのジム・デイヴィスとアパートをシェアしていた。ジムはプレイング・マンティスのツアーにも同行することが決まっていたから、俺を紹介してくれたんだ。日本に行けるなんて夢のような話だし、喜んで参加することにしたよ。必死でプレイング・マンティスの歌詞を覚えたんだ。飛行機の中でもずっと彼らのテープを聴いていた。音楽的にはしっくり来なかったけど、バンドのみんなとは友達になったよ。それからずっと後になって、プレイング・マンティスにはジョン・スローマンが加入してアルバムを作っていたけど、どういう理由でか彼は途中で降板したんだ。それで俺に声がかかって、アルバムの半分ぐらいで歌ったよ(『ザ・ジャーニー・ゴーズ・オン』/2003)。

●タンクへの加入はどのようにして起こったのですか?

ミック・タッカーがバンドを復活させるとき、共通の友人を介して声をかけてきたんだ。当初、タンクは2009年の一連の夏フェスをやるために再結成した。“スウェーデン・ロック・フェスティバル”などの野外フェスで大観衆を前にして、最高に楽しい経験だったよ。俺の声質はアルジー・ワードとはまったく異なるし、過去のタンクを再現するよりも、自分なりのスタイルで歌ったんだ。でも俺はそれだけでなく、アルバムで歌いたかった。それで『ウォー・マシーン』(2010)を作ることにしたんだ。

●2011年のライヴを収録したDVD『War Machine Live』(2012)を見ると、あなたのヴォーカルは素晴らしいですが、タンクの初期ナンバーに“素晴らしいヴォーカル”が似合うかというと、それはまた別の話のような気もします。

あのラインアップはバンドと俺の両方にとって興味深い実験だった。俺はツイン・ギターのメタル/パンク・バンドで歌うのが初めてだったし、彼らも俺みたいなメロディックに歌い上げるタイプのシンガーは初めてだった。お互いの可能性の幅を拡げることになって、プラスになったよ。彼らはドラゴンフォースのシンガー(ZPサート)を加えて活動を続けたわけだしね。

●何故2014年に タンクを脱退したのですか?

いや、俺がバンドを辞めたわけではなく、自分がバンドにもういないことをネットのニュースで知ったんだよ(苦笑)。その頃、既にマイケル・シェンカーのテンプル・オブ・ロックでやっていたし、彼らのツアーには参加出来なかったけど、一言言ってくれれば良かったのにね。ただ今でも、ギタリストのクリフ・エヴァンズとは良い友達だよ。ミック・タッカーとはしばらく連絡していないけど、仲が悪くなったわけではない。

Tank『War Machine Live』ジャケット(Metal Mind Productions/現在発売中)
Tank『War Machine Live』ジャケット(Metal Mind Productions/現在発売中)

<アルカトラスはアルバムごとに変化してきたバンドだ>

●パースエーダーのギタリスト、エミル・ノーベリとの双頭プロジェクト、ロング・シャドウズ・ドーンでアルバム『Isle Of Wrath』(2021)を発表しましたが、このプロジェクトについて教えて下さい。

新型コロナウィルスが蔓延し始めた頃(2020年)、『アズ・イェット・アンタイトルド』再発の作業に入るところだったんだ。それと同時に新しいこともやろうと考えていたら、ちょうどそんなとき、“フロンティアーズ・レコーズ”のセラフィーノ・ペルジーノから何かやろうと話をもらった。当初のアイディアは彼が用意したギタリストが俺とグラハム・ボネットの2人と一緒にレインボーっぽい音楽をやるというものだったけど、俺自身がもっとクリエイティヴな部分で関わりたかったんで、辞退した。その後、サンストームからジョー・リン・ターナーが抜けたんで後任に入ってくれと頼まれたんだ。あまり乗り気でなかったんで、こちらもパスした。そうしたらロニー・ロメロが参加することになったよ。次にセラフィーノが提案したのが、エミルとのコラボレーションだったんだ。最初にエミルが送ってきた2曲はAORっぽい、軽量級の曲だったけど、一緒にやるなら、もっと骨のあるロックをやろうと提案したよ。そうして作ったのが『Isle Of Wrath』だった。自分の周囲や自分自身に対して持っていた怒りや不満をすべて叩きつけた、良いアルバムになったよ。ちょうどアルバムが完成したところで、アルカトラス加入の話が持ち上がったんだ。ここ15ヶ月ぐらいは物凄くクリエイティヴな時期だった。20曲以上を共作したから、大きなチャレンジだったよ。ロング・シャドウズ・ドーンは3枚のアルバムを作る契約になっているし、いずれライヴもやろうってエミルとも話しているよ。

●イングヴェイはあなたがアルカトラスに加入したと聞いて、「マジか!?」と大ウケしていました。

イングヴェイは自分の音楽に対しては一切の妥協をしないシリアスなアーティストだ。でも日常会話では独自のユーモアがあってよく笑うし、面白い人間だよ。彼のことを気難しいと言う人もいるけど、話していることは首尾一貫しているし、決しておかしくはないんだ。彼とは5、6年一緒にやってきたけど、何の問題もなかったよ。

●アルカトラスとしての新曲「ターン・オブ・ザ・ホィール」がネットで公開されています(その後に「ソード・オブ・デリヴァランス」も発表)。バンドの伝統を受け継ぐ曲で、あなたのヴォーカルも見事ですが、ファンの間では戸惑いもあると思います。はたしてこれはアルカトラスなのか?...と。

俺はアルカトラスだと考えているよ。ニュー・アルバムには『ノー・パロール・フロム・ロックンロール』(1983)と共通する精神がある。ジミー・ウォルドーのメロディやキーボードもしっかりアルカトラスしているんだ。もちろん俺はグラハム・ボネットではないし、ジョー・スタンプはイングヴェイではない。俺のヴォーカルを聴いて「こんなのアルカトラスじゃない!」と感じるリスナーもいるだろう。でも、アルカトラスはアルバムごとに変化してきたバンドだ。今回も、過去のアルバムとは異なるケミストリーを楽しんで欲しいね。ニュー・アルバムがアルカトラスかそうでないか、一度聴いてみて判断すれば良いと思う。

●あなたとグラハム・ボネットはマイケル・シェンカー・フェストで共演していますが、この件について話はしましたか?

いや、特に話していない。新型コロナウィルスのせいでマイケルとのツアーが中止になったからね。9月にグラハムと俺、ウリ・ジョン・ロート、マルコ・メンドーサというラインアップでロシアでオーケストラ・ツアーを行う予定だったんだ。それでグラハムと連絡を取ったよ。でも特にアルカトラスのことは話題に出なかった。ただ、このことで仲が悪くなったりはしないよ。陳腐な言い方だけど、グラハムとはブラザー、兄弟のような感じなんだ。もう20年来の友達だし、何年か会っていなくても、顔を合わせれば、まるで昨日会ったように会話出来る。彼が脱退して、残されたメンバー達の選択肢は2つに1つだった。そのままアルカトラスを葬り去るか、新しいシンガーを加えて進んでいくか、だ。彼らは後者を選んだ。そうなるとシンガーはリッパー・オーウェンズかロニー・ロメロ、それか俺しかいないだろ(笑)?他の2人に声をかけたか知らないけど、俺はこのチャンスに飛びついたってわけだ。それに、グラハムはアルカトラスの音楽を好きではないと話していたし、俺が加入しても怒らないと思った。

●グラハムがそのようなことを言っていたのですか?

2019年だったか、アルカトラスが俺の住むエジンバラにツアーで来たときのことだ。グラハムから連絡があって、コーヒーを飲みに行くことになった。そのとき苦々しげに「大嫌いなんだよ」と言い出した。「何のこと?」と訊いたら、「今やっている音楽だ」と言っていた。「イングヴェイがいた頃から嫌いだったし、今はもっと嫌いだ」ってね。そう言われて俺も困惑したけど、「自分のハートが求める音楽をやるべきだよ」と答えたのを覚えている。それからグラハムはグラハム・ボネット・バンドのアルバムを作って、俺はアルカトラスのアルバムを作った。2人ともハッピーだし、それぞれが前進していけると思う。

●両者が良いアルバムを出せば、ファンは2倍楽しめますね。

この業界、意外と面倒臭いところがあるんだ。誰と誰は仲が悪くて、誰と誰は共演NGとかね(苦笑)。俺はそういうのは嫌いなんだよ。スケジュールさえ合えば、可能な限りいろんなミュージシャンと一緒にやりたい。デレク・シェリニアンと話したことがある。「ギャラが同じなら、余計なことに首を突っ込むな」ってね。デレクが常にトップ・アーティストの作品に招かれるのは、その演奏技術やミュージシャンシップはもちろんだけど、そのプロフェッショナルな姿勢にあるんだ。俺も同じだよ。自分に与えられた環境でベストを尽くすだけだ。自分と家族にトラブルが降りかからなければ、それで文句はないよ。

Ritchie Blackmore's Rainbow『Stranger In Us All』ジャケット(ソニーミュージック/現在発売中)
Ritchie Blackmore's Rainbow『Stranger In Us All』ジャケット(ソニーミュージック/現在発売中)

<リッチーには敬意と感謝しかない>

●アルカトラスとロング・シャドウズ・ドーン以外に新しいバンドやプロジェクトをやる予定はありますか?

2バンドでアルバムを作って、今はようやく一息ついているところだよ。アルカトラスでツアーをやる予定だから、現時点では新しいバンドは考えていない。もちろん明日メールが来て、魅力的なオファーがあれば、いつだって検討するけどね。セッションでは15年来の友人のギタリスト、マーク・ザイク(Mark Zyk)のソロ・アルバムでコラボレーションしたよ。彼はドイツでディーモンズ・アイというディープ・パープルのトリビュート・バンドをやっていて、オリジナルを2曲共作したんだ。ギャラは1曲1ユーロ、友達価格だよ。やはり友人のブラジル人ギタリスト、キコ・シュレッドのアルバムにも参加している。俺は自分のリーダー・バンドとしてホワイト・ノイズでやっているから、歴代のバンドの曲や『アズ・イェット・アンタイトルド』からのナンバーをステージでやりたいね。

●もう一度リッチー・ブラックモアと同じステージに立つことを夢に見たりしますか?

...夢には見ないなあ(笑)。レインボーで作った『孤独のストレンジャー』は良いアルバムだったし、ツアーも楽しかった。2枚目のアルバムを作る話もあったんだ。もしリッチーが明日電話してきて「おいドゥギー、一緒にロック・アルバムを作ろうぜ」と言ってきたら、すぐにでも飛んでいくよ。...でも、思い出は思い出にした方が良いかも知れない。数年前、彼がレインボーとしてやったショーを見たけど、かつての殺気は感じなかった。夏の野外フェスで「スモーク・オン・ザ・ウォーター」や「ロング・リヴ・ロックンロール」を楽しむのは懐かしく心地よい経験だろうけど、リッチーには刺激的であって欲しいんだ。

●レインボーでの最後のライヴ(1997年5月31日、デンマークのエスビャウ公演)についてどんなことを覚えていますか?

その前日、リッチーとコージー・パウエル、そして俺の3人でワインを飲んだのを覚えている。当時コージーはピーター・グリーンのバンドでやっていたんだ。彼らの思い出話を聞くのはスリルを感じたよ。2人は別の道を歩んでいたし、「再結成しよう!」とか「ライヴでジャムをやろう!」なんて話題は出なかったけど、旧交を温めていた。そして翌日の午前中、リッチーと俺でサッカーをやった。それで夜にショーをやったんだ。ショー自体は良い出来だった。でもその日、新しい契約書にサインするように言われたんだ。契約書は大事だし、とにかく目を通さないわけには行かないから、時間が欲しいと言った。すると「サインをしないなら一緒にはやれない」と言われて、それで俺とレインボーの関係は終わったんだ。大きなドラマはなかった。喧嘩したわけでもないし、俺が巨額のギャラを要求したわけでもなかった。はっきり話してはいないけどこの時期、リッチーの心は既にブラックモアズ・ナイトに向かっていたと思う。彼が真にハッピーになれる音楽をやれて、俺も嬉しいよ。レインボーで世界中の大きなステージで歌ったことは、その後の俺のキャリアに大いに役立ったし、学ぶことが多かった。リッチーには敬意と感謝以外の感情はない。あれから彼と話す機会はないけど、いつかどこかで出くわしたら、「やあ、元気?」と笑ってハグするよ。

【アルバム情報】

ドゥギー・ホワイト『アズ・イェット・アンタイトルド』

The Store For Music(海外盤)

https://www.thestoreformusic.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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