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【インタビュー後編】アルカトラスの新作『ボーン・イノセント』をグラハム・ボネットがさらに語る

山崎智之音楽ライター
Graham Bonnet / photo by Yuki Kuroyanagi

2020年7月31日に世界同時発売となったアルカトラスのニュー・アルバム『ボーン・イノセント』をグラハム・ボネットとジミー・ウォルドーが語るインタビュー全3回の第2回。

グラハムが語る後編では、前編記事に引き続きアルバムをさらに掘り下げながら、彼の長く豊潤なキャリアについて語ってもらおう。

<アルカトラスは“アイ・ラヴ・ユー”だけでなく、幅広い題材を歌詞にしている>

●1984年、2度目の来日時に、日本の音楽雑誌の企画でスティーヴ・ヴァイと市ヶ谷の釣り堀に行ったことは覚えていますか?

ハハハ、覚えているよ。確か寒い日だったな。車に乗せられて連れていかれて、「ここで魚を釣って下さい」と言われた。 何のことか判らなかった。それまで日本には何度か行っていたけど、やはり謎めいた、神秘的な国だと思ったよ(笑)。

●スティーヴ・ヴァイが書いた「ダーティ・ライク・ザ・シティ」の途中に「ストリッパー」を思わせる女性のヴォイスが入っていますが、一種のセルフ・トリビュートなのでしょうか?

ALCATRAZZ『BORN INNOCENT』ジャケット/ワードレコーズ 現在発売中
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うん、オールド・ファンへのちょっとしたプレゼントだよ。あれはジミー・ウォルドーの奥さん、ジョーアンの声なんだ。当初は別の声優を起用する予定だったけど、どうもうまく行かなくてね。その場にいたジョーアンに試しに話してもらったら、ピッタリはまったんだ。ちなみに「ストリッパー」のヴォイスは『ディスタービング・ザ・ピース』をレコーディングした“チェロキー・スタジオ”の受付の娘だった。「私のブーツの拍車、どう?」とか、その場にいる全員が楽しんでいたよ。

●「ストリッパー」の原題は、1888年の切り裂きジャックを題材とした「ジャック・ザ・リッパー」でしたが、『ボーン・イノセント』でも「フィン・マックール」「ロンドン1666」の2曲で過去の歴史を描いていますね。

アルカトラスでは単に“アイ・ラヴ・ユー”だけでなく、幅広い題材を歌詞にしているんだ。「アイランド・イン・ザ・サン」がアルカトラス刑務所に収監されている人々の物語だったりね。フィン・マックールはケルト神話の巨人なんだ。「ロンドン1666」では1666年のロンドン大火を歌っている。プディング・レインはプリン作りで有名だったけど、その通りにあるパン屋から深夜に出火して、大火事になったんだ。現実にあったことについて歌うのは、その方がドラマチックで心を揺さぶるからだよ。剣と炎とドラゴンとかは、感情移入することが出来ない。いい大人の男が妖精のことなんて歌えないよね?もちろん、そういうのが得意なシンガーもいるけど、俺はそうではないんだ。まあ昔、雪男とか(「ビッグフット」)誰も会ったことのない謎の存在(「クリー・ナクリー」)について歌ったことはあるけどね。もちろん「フィン・マックール」も古の伝説だけど、少なくとも感情移入出来るだろ?

(【注】一部、発言を訂正しました。ご了承下さい)

●あなたの代表的な歴史ソングは、1945年の原爆投下をテーマにした「ヒロシマ・モナムール」だと思います。歌詞に“彼らはそれ(原爆投下)が戦争を終わらせると言って、みんなキリストに爆弾のことを感謝した”とありますが、あなた自身もそう信じていますか?

何が正しくて何が間違っているか、俺は決める立場にない。“原爆のおかげで戦争が終わった”と主張する人々を断罪することは出来ないよ。とてつもなく壊滅的なことをやらなければ、日本は降伏しなかったかも知れない。日本の人々は並外れた忍耐力を持っているからね。でも大量殺戮の兵器によって、普通の生活を営んでいた子供たちが光と共に消えていった。それを正当化することは絶対に出来ない。俺は原爆投下という行為に、人間としての恥と怒りを感じるよ。

●新作の「ポーラー・ベアー」はまさにアルカトラスの原点というか、初期の「トゥー・ヤング・トゥ・ダイ、トゥー・ドランク・トゥ・リヴ」を彷彿とさせるリズムにインパクトがありますね。

決して「さあ、アルカトラスみたいな曲を書くぞ!」と言って「ポーラー・ベアー」を書いたわけではないよ。ただバンドにはジミー・ウォルドー、ゲイリー・シェア、それと俺がいるし、ジョー・スタンプもリッチー・ブラックモアやイングヴェイ直系のギタリストだから、別の何かでなく、こんなサウンドになるのが自然の成り行きなんだ。我々のようなスタイルの音楽だと、メロディやコード進行はある程度限定されてくる。斬新な曲が毎日生まれるわけではないんだ。でも、「ポーラー・ベアー」ではファンの求めるものを提供出来たと信じている。

●「フォー・トニー」はアルバムの最後に収録された、葬送曲のようなナンバーですが、どんな想いが込められていますか?

「フォー・トニー」は兄のトニーに捧げる曲だ。5年前、73歳でアルツハイマー病で亡くなったんだ。早すぎたよ。父親やおじ2人もアルツハイマー病だったから、家系的なものかも知れない。今のところ俺は自覚症状がないけど、どうだろうね。兄貴は子供の頃、外で他の子供たちと遊ぶことを教えてくれたし、両親が仕事に出ていたとき、いつも守ってくれた。音楽の面でも、兄貴はあらゆることを教えてくれた。彼は教会の合唱隊で、ソロで歌っていた。俺よりもはるかにスウィートな声質をしていたよ。プロのシンガーにはならなかったけど、リトル・リチャードやバディ・ホリーは彼から教えてもらったんだ。彼はジョニー・オーティス・ショーのファンだったよ。兄貴がいなかったら、俺も音楽に目覚めなかったかも知れない。そしたら日本にライヴのために来ることなんてなかっただろう。子供の頃、クリスマスの季節になると、救世軍の楽隊がウールワースってスーパーマーケットの前で演奏していた。兄貴とそれを見ていたんだ。そんな思い出を曲にしたんだよ。『ボーン・イノセント』の他の曲とはタイプが異なるんだ。

●『ボーン・イノセント』のオールスター路線は、これからも続けますか?

俺がロックンロール・ビジネスで学んだことは、“次のアルバムについて語るな”ということだ。レインボーでもマイケル・シェンカー・グループでも、インタビューで「次のアルバムはこんなサウンドになる」と話していたらバンドを脱退することになって、“次のアルバム”が存在しなかったからね!今のところは、次のアルバムはジョー・スタンプと一緒に作りたいと考えている。アルカトラスとしての初期衝動に立ち返ったバンド・アルバムにしたいんだ。それと同時に、ロックとはまったく別のプロジェクトをやりたい気持ちもある。初期の『スーパー・ニヒリズム』(1977)や『孤独の叫び』(1978)みたいな、俺の歌をじっくり聴いてもらいたいんだ。

●ところでボネット家にはお子さんはいらっしゃいますか?

俺には4人の子供がいるんだ。38歳の双子と20歳の娘を育ててきたけど、最近になって50歳の長男オーウェンと再会した。17歳のときの息子で、ずっと母親に育てられてきたんだ。今ではカナダでエンジニアをやっている。ギターも弾いているそうだよ。何歳になっても息子は可愛いものだ(笑)。

Graham Bonnet / courtesy of Ward Records
Graham Bonnet / courtesy of Ward Records

<ギターの速弾きというのは、早口言葉で歌うようなもの>

●1980年代前半、速弾きギター・ソロは目覚ましい進化を遂げましたが、それが頂点を極めて一種、滑稽なものになった瞬間が、インペリテリ『スタンド・イン・ライン』(1988)内ジャケットの“約束するよ。俺のギター・ソロはもっと速くなる”というメッセージだったように考えます。あなたはあのメッセージを見てどう感じましたか?

ハハハ、今日も朝ご飯のときにその話題が出たばかりだ(笑)。それがクリス・インペリテリの人生哲学だったんだ。“速い方がベターだ”ってね。クリスとは友達だし、『ボーン・イノセント』でも共演したけど、「そんなことはないよなあ」と言ったこともあるよ。ギターの速弾きというのは、俺が早口言葉で歌うようなものだ。だから俺はジェフ・ベックやゲイリー・ムーア、マイケル・シェンカーみたいなギタリストが好きなんだよ。彼らのギター・プレイにはフィーリングとソウルがある。イングヴェイだってそうだ。彼は速く弾くだけではなく、スローでメロディに溢れるギターを弾ける。あまり言及されることはないけど、彼は素晴らしいリズム・プレイヤーでもあるし、曲を最大限に盛り上げることに長けているよ。あとは人間として付き合っていければ、何の問題もなかったけどね。

●1960年代後半、マーブルズ時代のあなたはビー・ジーズと交流していましたが、後にあなたがハード・ロック、彼らがディスコと、別々の道を進むことになりました。どうして“敵対”し合う関係になったのですか?

いや、敵対していないけどな(笑)!ちょっとした運命の曲がり道だよ。俺だってディスコに行く可能性があったんだ。ロビンとモーリスのギブ兄弟が「ウォーム・ライド」というディスコ調の曲を書いてくれた。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』用に書かれた曲で、結局使われなかったけど、俺のヴァージョンはオーストラリアではシングル・ヒットしたし、もし映画のサウンドトラック・アルバムに入っていたら、ディスコ路線のキャリアを進んだかも知れない。そしたら俺がレインボーに加入することはなかったんだ。俺は初期ビー・ジーズのフォークっぽいスタイルが好きだった。ディスコ路線は絶対に間違いだと思っていた。だから俺もそんな路線は行きたくなかったけど、マネージャーから「これがポップ・ミュージックの未来だ!」と押しつけられたんだ。

●レインボーがヒットさせた「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」も、オリジナルはディスコ調でしたよね。

元々ラス・バラードがシングルとして発表した曲をクラウトというガールズ・バンドがカヴァーしたんだ(邦題「恋はあなただけ」)。レインボーに加入して、その曲をレコーディングするとマネージャーのブルース・ペインに言われて、「レインボーはみんなユーモアがあるなあ」と思った。それが実は本気だと知って、怖じ気を震ったよ(苦笑)。レインボーの全員があの曲をカヴァーするというアイディアに反対だった。加入したばかりの俺の前で、バンドが解散する寸前だったんだ。仕方なくレコーディングして発表したら、いきなり全英チャートのトップ5入りしてしまった。それでレインボーの方向性が変わっていったんだ。ジョー・リン・ターナーを入れて、フォリナーもどきになってしまった。そうなることをリッチーが望んだんだ。

●ビー・ジーズもそうですが、イギリス生まれでオーストラリアに移住してブレイクするアーティストは大勢いますね。AC/DCやオリヴィア・ニュートン・ジョンもそうだし、あなたもその1人といえるでしょうか?

いや、俺の場合、いとこのトレヴァー・ゴードンが1960年代にイギリスからオーストラリアに引っ越したんだ。彼はビー・ジーズのギブ兄弟のバックアップを得てデビューして、イギリスでバンドをやっていた俺と合流してマーブルズを結成した。だからオーストラリアでヒットを飛ばしたけど、活動拠点を置いてはいなかったんだ。オーストラリアに住んでいたのは1980年代後半、アルカトラスが解散したときだよ。その時期、パーティー・ボーイズというセッション・グループに招かれてショーをやったことがある。元ステイタス・クオーのアラン・ランカスター、エンジェルズとかローズ・タトゥーのメンバー、それからジミー・バーンズの義理の兄弟がいて、ロックのクラシックスを歌ったよ。アージェントの「ホールド・ユア・ヘッド・アップ」やチャビー・チェッカーの「レッツ・ツイスト・アゲイン」とかね。カヴァー・バンドで、クリエイティヴな作業ではなかったけど、ギャラが良かったんだ。まあ、すぐ飽きて、ロサンゼルスに引っ越したよ。

●元レインボーのボブ・デイズリーもオーストラリア在住ですね。

ボブとは友達だよ。数年前、電話がかかってきて、「オジー・オズボーンの曲をやるアルバムを作るんだけど、歌ってくれる?」と言われた。「ゴメン、興味ない」と答えて、その話は終わったよ。その後どうなったか知らない。

●今後のことを予測するのは難しいと思いますが、どんな活動を考えていますか?

アルカトラスで活動することを楽しんでいるし、『ボーン・イノセント』の曲をライヴでやりたくて仕方ないんだ。まずはそれがトップ・プライオリティだよ。レインボーやマイケル・シェンカー・グループの曲とバランスをどう取るか、既に頭を悩ませているぐらいだ。まずは世界が普通の状態に戻って欲しいね。

次回、インタビュー全3回の最終回では、アルカトラスを支えてきたキーボード奏者のジミー・ウォルドーがその軌跡を振り返る。

アルカトラス 『ボーン・イノセント』

2020年7月31日 世界同時発売

【新作日本公式ウェブサイト】

https://wardrecords.com/page/special/alcatrazz_innocent/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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