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【インタビュー後編】ティンズリー・エリスから見たブルースの伝統とその未来

山崎智之音楽ライター
Tinsley Ellis / pic by Suzanna Khorotian

ジョージア州アトランタ出身のブルース・ギタリスト、ティンズリー・エリスへのインタビュー後編。

前編記事では最新アルバム『Ice Cream In Hell』について語ってもらったが、今回はその半世紀におよぶブルース遍歴、そしてブルースの未来への展望について訊いてみよう。

<世界で最後の1人になるまでブルースを演奏し続ける>

●あなたはジョージア州アトランタ出身ですが、あなたの音楽に“ジョージアらしさ”はあるでしょうか?

私は少年時代からオールマン・ブラザーズ・バンドを聴いていたし、ジョージア州出身のレイ・チャールズやリトル・リチャードから多大な影響を受けてきた。おそらく“ジョージアらしさ”は身体に染みついているだろうね。オールマンズやスティーヴィ・レイ・ヴォーンのアトランタ公演でオープニング・アクトを務めることが出来たし、オールマンズとは4、5回ステージ共演することが出来た。私の身体を切ったら、ジョージアの血が流れ出るよ。

●あなたは1988年の『Georgia Blue』からブルースの名門レーベル“アリゲイター・レコーズ”と契約して、一度離脱しながら、2005年に戻ってきています。ハウンド・ドッグ・テイラー、アルバート・コリンズ、ジョニー・ウィンターなどが在籍してきた“アリゲイター”との作業はどのようなものですか?

Tinsley Ellis『Ice Cream In Hell』(Alligator Records/現在発売中)
Tinsley Ellis『Ice Cream In Hell』(Alligator Records/現在発売中)

“アリゲイター”には6、7人の専任スタッフがいる。創始者のブルース・イグロアを筆頭に長年ブルースを愛し、ブルースを世界に広めることに情熱を持った人々だよ。彼らはハード・ワーキングだし、しばらく離れていたけれど、2005年に戻ってきたんだ。“アリゲイター”のレコードは創立された1970年代前半から聴いてきた。ハウンド・ドッグ・テイラーを筆頭にサン・シールズ、アルバート・コリンズ、ロニー・ブルックス、ココ・テイラーなど、まさに黄金時代だったよ。それからジョニー・ウィンターやロイ・ブキャナンが加わって、まさに名門レーベルになった。自分が彼らと同じカタログに載っているというのは光栄に思う。最近の“アリゲイター”でお気に入りなのはリル・エドだ。彼は独自のスタイルを持っているし、大好きだよ。

●これまでブルースは何度も“死んだ”と言われてきましたが、そのたびに蘇ってきました。あなたはブルースの“死”についてどのように考えていますか?

マディ・ウォーターズが亡くなったとき(1983年)やB.B.キングが亡くなったとき(2015年)など、ブルースは何度も死亡宣告を受けてきた。今後ブルースがヒット・チャートの1位になるとは想像出来ないし、サン・ハウスのような革新的なオリジネイターはもう二度と現れないだろう。でも私はブルースが生きようが死にようが関係なく、自分の信じる音楽をプレイするだけだ。世界で最後の1人になるまでブルースを演奏し続けるよ。

●現代において、若い世代の音楽リスナーにブルースを聴かせるにはどうすれば良いでしょうか?

彼らを酒場やフェスに連れていって、ブルースのライヴを聴かせるのが一番だろうね。ブルースはやはり“生”が一番だよ。私がブルースを愛するようになったのも、B.B.やマディのライヴを見たからだった。ブルースのライヴは見ないと後悔することになる。私はR.L.バーンサイドを2、3回しか見ていなくて、もっと見たかった!と今になって後悔しているよ。

Tinsley Ellis / pic by Marilyn Stringer
Tinsley Ellis / pic by Marilyn Stringer

<ブルース新時代を切り開くのは、まったく異なったミュージシャンになる>

●近年、クリストーン“キングフィッシュ”イングラムやマーカス・キング、ラーキン・ポー、ホンテヴィアス・ウィリスなど、ブルース色のある新しいアーティスト達が出てきましたが、彼らのことは聴いたことがありますか?新世代のブルース・プレイヤー達をどのように捉えていますか?

彼らは素晴らしいね。ホンテヴィアス・ウィリスもジョージア州出身なんだ。キングフィッシュはミシシッピ出身で、どちらもブルースの新しいムーヴメントを作り得る存在だ。私の人生でブルースが盛り上がったのは、これまで2回あった。まず1回目は1960年代末、ピーター・グリーンのフリートウッド・マックやオールマン・ブラザーズ・バンドが出てきたときだった。そして2回目は1980年代、スティーヴィ・レイ・ヴォーンが登場したときだよ。スティーヴィにはユニークなサウンドとイメージがあった。彼は『テキサス・フラッド』(1983)でブルースの扉を大きく開け放った。そして数々の若手がその扉を通って、羽ばたいていった。私もその1人だったんだ。彼が亡くなったのは、ブルースにとって大打撃だったね。新しいブルース・ギタリストが出てくるたびに“スティーヴィの再来”と呼ばれるけど、スティーヴィはたった1人だよ。新しい時代を切り開くのは、まったく異なったミュージシャンになるだろう。

●1980年代末から1990年代初頭にもブルースが盛り上がった時期がありましたね。ジョン・リー・フッカーやバディ・ガイが再評価されて、ジェフ・ヒーリー・バンドが全米ヒットを飛ばして、ゲイリー・ムーアが『スティル・ゴット・ザ・ブルース』(1990)を発表して、スティーヴィ・レイ・ヴォーンが1990年に亡くなって...当時のブルース・シーンをあなたはどのように見ていましたか?

ジョン・リーやバディはもちろん偉大なブルースメンだけど、彼らが再評価を得たのは、やはりスティーヴィの成功によってブルースが注目されたことが大きかった。スティーヴィが開け放った扉をくぐり抜けたのは新人だけではなく、ベテランもそうだったんだ。そのスティーヴィが亡くなったとき、目の前が真っ暗になったよ。彼を失ったことによる心の傷は、未だに癒えていないんだ。

●あなたと同世代のブルース・ギタリストというと誰がいるでしょうか?

うーん、1970年代からやっている人ではジミー・ヴォーンやジョージ・サラグッドかな。あとはワシントンDCのザ・ナイトホークスとは同じブルース・サーキットで何度も一緒にショーをやってきたし、友達だよ。

●あなたの『Storm Warning』(1994)で当時14歳のデレク・トラックスがゲスト参加していますが、それはどのように実現したのですか?当時、彼が現在のようにポピュラーになると予測していましたか?

デレクの父親と友達だったから、彼が12歳の頃から、フロリダ州ジャクソンヴィルで何度も一緒にプレイしたよ。 彼が素晴らしい才能を持っていることは当時から明白だった。成功というのは実力だけでなく運も必要とするけど、デレクは自分で道を切り開いていったんだ。

●あなたの別バンド、“ティンズリー・エリス・ブルース・イズ・デッド”ではどんな音楽をプレイしているのですか?

ブルース・イズ・デッドでは“グレイトフル・デッドがカヴァーしたブルース曲”をプレイしたんだ。インプロヴィゼーションやジャムを含むサイケデリック・ブルース・バンドで、2017年に25回のショーをやった。サニー・ボーイ・ウィリアムソンの「グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール」、ハウリン・ウルフの「スプーンフル」、ロバート・ジョンソンの「ウォーキング・ブルース」、ブラインド・レモン・ジェファーソンの「ワン・カインド・フェイヴァー/シー・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」、ボビー“ブルー”ブランドの「ターン・オン・ユア・ラヴ・ライト」...普段のライヴではオリジナル曲をプレイしているから、カヴァーのみのライヴをやるのは新鮮で楽しい気分だったよ。

●日本であなたのライヴが実現するのを楽しみにしています!

うん、一度も日本に行ったことがないんだ。私の弟が20年以上横浜に住んでいて、教師をやっているんだけど、日本が美しく人々が寛大だということをいつも話してくれるよ。日本にはブルース・ギターのファンが大勢いると聞いているし、ぜひライヴを見てもらいたい。

【最新アルバム】

Tinsley Ellis: Ice Cream In Hell

米Alligator Records 4979

【アーティスト公式サイト】

http://www.tinsleyellis.com/

【レーベル公式サイト】

https://www.alligator.com/artists/Tinsley-Ellis/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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