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【インタビュー前編】イーグルス・オブ・デス・メタルのジェシー・ヒューズがパリに戻った夜

山崎智之音楽ライター
photo by David Wolff-Patrick

2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件は、ロックが時代の流れと無関係でいられないことを強く再認識させる出来事だった。

イスラム過激派による複数の自爆テロと銃撃によって、少なくとも130人の死者と360人の負傷者が出たが、最大の犠牲者数を出したのがバタクラン劇場での発砲事件だった。89人の死者と200人以上の負傷者を出したこの事件において、ステージで演奏していたのがイーグルス・オブ・デス・メタルである。

バンドのメンバー達は会場から無事避難したものの、この惨劇が彼らの心に深い傷を残したことは想像に難くない。だが彼らはテロに屈することをせず、翌2016年2月16日、再びパリのステージに立つことを決意する。ビートルズやジミ・ヘンドリックスも出演したことのあるオランピア劇場でのライヴを収めた映像作品/アルバムが『ライヴ・アット・ザ・オランピア・パリ 2016〜アイ・ラヴ・ユー・オール・ザ・タイム』だ。このライヴには正式メンバーでありながら通常のツアーには不参加のジョシュ・ホーミ(クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ)がドラマーとして全面参加している。

ロック史上前代未聞の悲劇から生還したバンドのシンガー、ジェシー・ヒューズがインタビューに応じてくれた。下ネタジョークを交えながらユーモラスに語る彼だが、少なからずナーヴァスになっている筆者を気遣うこんな発言からも、その誠実な人柄が伝わってくる。そしてだからこそ、彼が背負うことになった責任の重大さを感じさせた。

「俺はロック・バンドを始める前、ジャーナリストだったこともある。だからこの作品についてインタビューするとしたら、自分だったらどんな質問をするだろう?と考えるんだ。この作品についてインタビューするにあたって、快いものではない事件についてどうしても触れなければならないのは理解できる。俺にとって事件について語ることは一種のセラピーでもあるんだ。必然性のある質問ならば、俺は答えることに躊躇はないよ」

パリ公演には傷を負って、それでも前に進んでいくことを選んだ同志が集まった

●『ライヴ・アット・ザ・オランピア・パリ 2016〜アイ・ラヴ・ユー・オール・ザ・タイム』はあなたにとってどんな意味のある作品でしょうか?

『Live At The Olympia In Paris』現在発売中
『Live At The Olympia In Paris』現在発売中

この作品は、単なる“新作”という意味を超えたものだ。普通のライヴ・アルバムだったら数公演をレコーディングして、その中からベスト・テイクを選ぶだろ?このアルバムは、ベストなパフォーマンスを得るために作ったものではなかった。ひとつの共通する想いを抱く人々がオランピア劇場に集まったドキュメントであり、世界に対するステートメントなんだ。ロックンロールをナメるな、何者だろうと俺たちを倒すことは出来ない。俺たちに惨めな思いをさせようったってそうはいかない。俺たちはエロい気分になって、最高のひとときを楽しむんだと主張しているんだ。

●オランピア劇場のライヴの出来映えについてはどうでしょうか?

実はあの日、左手の中指を突き指していたんだ。でもそのせいで力が抜けて、いつもより速弾きが出来たよ。それも何かの意志だったのかも知れない。このショーは俺たちにとって重要なものだったけど、さらにラッキーだったのは、最高にクールな出来になったことだ。演奏も良かったし、オーディエンスの反応も素晴らしかった。しかも俺が実際よりもデカチンに見える。文句なしだよ。オランピア劇場のショーには俺の親友のジョシュ・ホーミも参加している。彼は忙しくて、なかなかこのバンドではやれないけど、彼と一緒にやったショーを映像に収めることが出来たのも嬉しい。人生において、何度かビューティフルな経験をすることがある。このショーは本当にビューティフルだったよ。みんなが想いをひとつにして集まれば、すべてがうまく行くんだ。ステージで歌っているのは俺だけど、会場に集まった全員が主人公だった。全員がひとつの理由で会場を訪れたんだ。オランピアにやって来たみんなは、“お客さん”ではなかった。彼ら一人一人がいなかったら、このショーは成立しなかったんだ。

●事件から3ヶ月でパリに戻ってライヴをやるというのは、相当な勇気が要りますね。

本当に勇気があったのは、事件を経ながらオランピア劇場に来てくれたオーディエンス全員だよ。彼らは恐ろしい経験をしながら、自分の意志で 家やマンションを出て、地下鉄に乗って、オランピア劇場に足を運んだ。再びロックのライヴ会場に足を踏み入れることは、彼らにとって難しい選択だっただろう。実際、ライヴなんて気持ちになれない人もいたし、それも仕方ないと思う。それでも集まってくれたみんなを尊敬するし、本当に感謝するよ。

●映像を通じても、バンドと観衆の一体感が伝わってきます。

イーグルス・オブ・デス・メタルのファン層は多岐にわたるから、通常はどんなお客さんが来るか見当もつかないんだ。でもオランピア劇場のショーは、これまで俺たちのやってきた中で、どんなお客さんが来るか判っている初めてのショーだった。みんなバタクラン劇場の事件で身体や心に傷を負い、それでも前に進んでいくことを選んだ同志だったんだ。俺たちも事件の現場にいたし、大事な友人を失った(マーチャンダイズ担当のニック・アレクサンダーが亡くなった)。誰もがそうだったように、ものすごい精神的ダメージを受けたんだ。ファンのみんなはそんな俺たちのために手を差し伸べてくれた。彼らのことは愛しているし、いくら感謝しても足りないよ。

●この映像作品を通じて、どんなメッセージを伝えようとしていますか?

『ライヴ・アット・ザ・オランピア』はポジティヴなステートメントだ。誰かを糾弾しようとは考えていないし、偏向した政治的メッセージを伝えるつもりもない。俺たちはライヴ会場の入り口に政治を預けて、銃も預けて、グッド・タイムを楽しむべきなんだ。それが俺にとってのロックンロールなんだよ。俺はwhiny(グチを言う)な人間じゃない。Why not?(いいじゃない?)なタイプなんだ。母親にそう育てられたんだよ。だからバタクラン劇場の悲劇のときも、「ああ神様、どうしてこんな酷い目に遭わせるのですか」と嘆いたりしなかった。それでもとてつもなく重い責任を背負うことになったと感じたよ。オランピア劇場では、イジメっ子どもが踏み込んでくることは出来なかった。俺をいじめようとしたって、千8百人の仲間が一丸となっているんだからな。これ以上心強いものはないよ。さらにいえば、このブルーレイ/DVDでは全編デカチン・ロックンロールを楽しむことが出来る。その場にいる全員をファックしてしまうロックンロールで満ちあふれているよ。かつて俺の親父が言っていたよ。最高のロックンロールっていうのはステージ上でマスをかくのではなく、会場全員をファックしてしまうものだってね。親父はロックンローラーだった。彼の最初のバンドはザ・ファビュラス・ウェポンズ(素晴らしい武器)という名前だったよ。“武器”が何を指すかは、言うまでもないよな?最高のバンド名だと思っていた。

●『ライヴ・アット・ザ・オランピア』は全編ポジティヴなロックンロールが収録されていますが、それに対してコリン・ハンクス監督のドキュメンタリー『パリの友に捧ぐ (Nos Amis (Our Friends))』では事件の生々しいディテールが捉えられています。両作品の対比は意識したものでしょうか?

いや、2つの作品はそれぞれ別個に作られたもので、コントラストを意識したものではないよ。『ライヴ・アット・ザ・オランピア』は、悪い奴らが何をしようが、俺たちがダンスするのを止められないという宣言だった。それに対して、コリン・ハンクスの『パリの友に捧ぐ』は事件を経て俺たちが通過してきたこと、友情、人間の意志を描いた、美しい作品だった。コリンとは友人だけど、実は当初、彼にあのドキュメンタリーは作って欲しくなかったんだ。事件について描くことは、彼を窮地に追いやる可能性だってある。俺自身、事件の後の発言で批判に晒されることにもなった。ジョシュも同じ意見だった。「コリン、君がやってくれることには感謝するけど、これは危険な題材だよ。ダイナマイトや核を扱うようなものだ」と言っていた。でもコリンは危険を冒して、あのドキュメンタリーを作ってくれた。あの映画は彼以外には作り得なかった。コリンは真の友達だし、興味やゴシップ本位の映画を作ることがあり得ないのは判っていた。彼はジョシュと俺に、カメラの前でリラックスさせようとしていたよ。俺の家にも来たし、ナチュラルなムードだったよ。ジョシュにしてもコリンにしても、心の底から俺のことを考えてくれている。ショービジネスでは見かけることが稀な人間関係だよ。

おふくろは自分を健康で健全に育ててくれたヒーロー

●「アイ・ラヴ・ユー・オール・ザ・タイム」という曲はロックンロールの自由と連帯を象徴するアンセムとなりましたが、そのことについてはどう考えていますか?

photo by David Wolff-Patrick
photo by David Wolff-Patrick

「アイ・ラヴ・ユー・オール・ザ・タイム」は俺のものではなく、みんなのものになったんだ。多くの人々に共有されることで、より大きな存在になったんだよ。イーグルス・オブ・デス・メタルの最新アルバム『Zipper Down』でたまたまフランス語の歌詞をフィーチュアした曲を書いたというのは、もはや偶然ではないと思う。俺は長年フランスに憧れてきたんだ。ハイスクールでもフランス語の授業を選択していた。まあ、フランス語の教師がすごくホットな女性だったからというのが最大の理由だったけどな。いつかフランスの人々にアピールする曲を書きたかったんだ。「アイ・ラヴ・ユー・オール・ザ・タイム」をレコーディングしているとき、たまたまサヴェージズというバンドが同じスタジオにいた。そのシンガー(ジェニー・ベス)がフランス人だったんで、歌詞を書くのを手伝ってもらった。事件の後、ジョシュの提案で、いろんなアーティストに「アイ・ラヴ・ユー・オール・ザ・タイム」をカヴァーしてもらって、その印税を事件の遺族に寄付することにした。エルトン・ジョンやフロレンス・アンド・ザ・マシーン、イマジン・ドラゴンズ、キングス・オブ・レオンなど、数多くのアーティストがカヴァーしてくれた。主旨に賛同してくれたアーティスト達が、今でもカヴァーしてくれているよ(http://playitforwardeodm.com/)。その数は日々増えているし、いつかギネスブックに載ったら良いね。俺自身も“ロックンロール最大のデカチン男”として載せて欲しい。

●あなた自身も望まずしてロックンロールの自由と連帯を象徴するスポークスマンとなりましたが、そんな責任をどう感じていますか?

自分がロックンロールを代表する存在になるなんて信じられない栄誉だし、誇りにしている。その原因となったのは、絶対に遭遇したくなかった悲劇だったけどね。正直、俺には重すぎる責任のように思うこともある。たまたま事件の現場にいただけなのにね。そんなとき、俺はこう考えるんだ。“母親を失望させる息子になってはならない”ってね。俺のおふくろは規律と知性を持ち備えた女性だ。俺は常に彼女に教えられてきた。世の中には死ぬより恐ろしいこともあるし、死ぬ価値があることもあるってね。バタクランで俺は、自分の命を犠牲にしても、隣にいる愛する者を守ろうとする人々の姿を目の当たりにした。おふくろが正しいことを身をもって知ったんだ。

●イーグルス・オブ・デス・メタル結成にあたっても母上が関わっていたそうですね。

俺がプライベートなことで落ち込んだとき、自殺するんじゃないかと思ったらしいんだ。彼女はジョシュに、息子を見てやってくれないかと相談した。その頃、俺はミュージシャンでない普通の仕事をしていたけど、ジョシュは「一緒にバンドをやろうぜ!」と言ってくれた。そうして結成したのがイーグルス・オブ・デス・メタルだったんだ。俺は最高の母親がいることと同時に、ジョシュ・ホーミという親友がいることも誇りにしている。彼が導いてくれたおかげで俺は萎縮せずに自分らしく生きてこれたし、イーグルス・オブ・デス・メタルという最高にケツを蹴り上げるバンドを彼と一緒にやることが出来た。ショービジネスの世界で迷うことなく、まっすぐ前を見て生きていくことが出来たんだ。俺がロックンロールで生きていけることを可能にしてくれた、あらゆる人々に感謝している。ロックンロールがなかったら、俺は単なる役立たずだからね。

●母上はお元気ですか?

ああ、今も元気だよ。イーグルス・オブ・デス・メタルのツアーには毎回4、5公演ぐらい見に来てくれる。おふくろは俺にとって最大のヒーローだ。親父と離婚して、女手一つで俺と弟を常に愛情を注いで、健康で健全に育ててくれた。俺がミュージシャンになると言ったときも応援してくれたし、カウンセラーみたいな存在でもある。下品な言葉は嫌いで、 “レズビアン”という言葉を“レーザービーム”と言い換えるほどなんだ。だから俺がうっかり“ファック”とか悪い言葉を使うと、今でも叱られるよ。でも、おふくろは俺に良い子になってもらおうと叱るんだし、感謝しているよ。

後編記事では2007年の日本公演の思い出、現在のロック界における自らの位置づけ、ジョシュ・ホーミとの知られざる交流とエピソードなどについて語ってもらおう。

photo by David Wolff-Patrick
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イーグルス・オブ・デス・メタル
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音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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