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【インタビュー前編】ノース・ミシシッピ・オールスターズ、新作『プレイヤー・フォー・ピース』を語る

山崎智之音楽ライター
North Mississippi Allstars

ミシシッピのディープ・ブルースの遺伝子を受け継ぐノース・ミシシッピ・オールスターズが2017年5月、アルバム『プレイヤー・フォー・ピース』を発表した。

ルーサー(ギター、ヴォーカル)とコーディ(ドラムス、プログラミング)のディッキンソン兄弟によって1996年に結成されたこのバンドは、20年にわたってヒル・カントリー・ブルースの伝統を継承してきた。約4年ぶりの新作ではフレッド・マクダウェルやR.L.バーンサイド、ジュニア・キンブロウなどの楽曲を軸にしながら、現在進行形のアーティストならではの表現でプレイしている。

21世紀において、ブルースはどこに向かっていくのか?その鍵を握るアーティストのひとつがノース・ミシシッピ・オールスターズであることは間違いがないだろう。

全2回のインタビュー、まず前編はルーサーに新作とブルースの伝統について語ってもらおう。

<すべてスタジオ・ライヴ。“生”を重視した>

●『プレイヤー・フォー・ピース』とはどんなアルバムでしょうか?

『プレイヤー・フォー・ピース』(ソニーミュージック SICP5329/発売中)
『プレイヤー・フォー・ピース』(ソニーミュージック SICP5329/発売中)

自分たちが進むべき道をまっすぐ歩いている実感があるアルバムだ。結成20年になるけど、すごく新鮮に感じる。身体でリズムを取って、踊らずにいられないサウンドが詰まっているよ。

●アルバムの多くの曲はR.L.バーンサイドやジュニア・キンブロウ、フレッド・マクダウェルなどのブルース・カヴァーですが、新作、過去のアルバムも含め、収録曲はどのように選んでいるのですか?

あまりアルバム単位では考えていないんだ。幾つも曲をレコーディングして、その中から組み立ててアルバムにしていく。『プレイヤー・フォー・ピース』の曲はすべてツアー中にレコーディングしたんだ。ニューヨークやニューオリンズ、セントルイス、オースティンでレコーディングして、それぞれ3時間ぐらいでスタジオ・ライヴ形式で録った。とにかく作業が早かったんだ。ヴォーカルの大半も一発録りだった。そういう“生”を重視する姿勢は、すべてバディ・ミラーから学んだんだ。彼は偉大なレコード・プロデューサーで、長い付き合いだよ。

●ツアー中にレコーディングしていて、アルバムを作るのに十分なマテリアルがあることに気付くのはどの時点ですか?

各地でレコーディングしてきて、父親(ミュージシャン、プロデューサーとして知られるジム・ディッキンソン)が我々と経営するミシシッピ州ヘルナンドの『ゼブラ・ランチ』でセッションを行ったことで、アルバムを完成させる曲が揃ったと確信したんだ。でもその後、コーディが「俺も歌いたい!」と言い出した。それでセントルイスで「ディープ・エルム」をレコーディングして、完成させたんだ。

●以前からレコーディングしようと考えていたけれど、『プレイヤー・フォー・ピース』のために取っておいた曲はありますか?

フレッド・マクダウェルの「ユー・ガット・トゥ・ムーヴ」はローリング・ストーンズがやったり、あまりに有名な曲だし、あえて避けていたんだ。でもある日、ふと気がついた。避けるのではなく、受け入れるべきだってね。それで今回、レコーディングしてみることにした。同じくフレッドの「61ハイウェイ」もバンドの初期からライヴでプレイしてきたけど、正式なレコーディングはしてこなかった。元々、オールスターズを結成した理由のひとつが、「61ハイウェイ」をプレイしたかったからなんだ。何度かレコーディングしようと考えてきたけど、今回ようやく、満足のいく決定版を録音することが出来た。「ミス・メイベル」や「ロング・ヘアード・ドニー」も以前からレコーディングしたかったんだ。

●『プレイヤー・フォー・ピース』収録曲の候補に挙がりながら、結局レコーディングしなかった曲はありますか?

ロバート・ジョンソンの「プリーチン・ブルース」は過去22年間、何度もジャムしてきたけど、これだ!というヴァージョンがないんだ。今回もトライしてみたけど、満足できるヴァージョンにはならなかった。それだけ奥が深い曲だし、また次のアルバムで頑張ってみるよ(笑)。

●「ユー・ガット・トゥ・ムーヴ」はローリング・ストーンズのヴァージョン(『スティッキー・フィンガーズ』1971年収録)とかなり異なったアレンジですが、意識して変えたのですか?

ストーンズのヴァージョンは有名だし、意識しないわけではなかった。でも、あえて避けたのではなく、よりアップビートな、俺たちならではのヴァージョンにしたかったんだ。

<ブルースを生きた音楽としてプレイする>

●ブルース曲をカヴァーするにあたって、時にループやプログラミングを取り入れるなど、モダンな要素も取り入れていますが、“伝統”のと“革新”のバランスはどのように取っていますか?

それは俺たちにとって常に大きなテーマなんだ。伝統芸能を守るのと、コンテンポラリーな音楽性を追求すること...ヨーロッパと較べるとアメリカの音楽はまだ歴史が浅いけど、それでも多彩で豊かなものだ。アメリカのルツ・ミュージックの伝統は保護しなければならないと信じている。その一方で、俺たちは研究家であるよりもまず第一にミュージシャンなんだ。だから自分の生きている時代に合わせて、生きた音楽としてプレイすることに意義があると考えている。どちらかといえば俺の方がオールド・ファッションなんだ。自分の愛する音楽を生かし続けることを考えている。コーディはどちらかといえばモダンでプログレッシヴな方かな。彼はロックやポップ、ヒップホップやエレクトロニカにも詳しいんだ。

●コーディが曲をあまりにモダンにアレンジしてしまって、衝突が起こることはありますか?

たまにあるよ(笑)。ただ、音楽性の意見が分かれることはどのバンドでもあることだ。修復不能な亀裂が生じたことはないし、必要なことだと考えているよ。それにコーディはやたら意味もなくモダンな要素を取り入れることはない。いつも味わい深さを重視しているし、行き過ぎにならないように気を付けている。

●あなた自身も「ロング・ヘアード・ドニー」でレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロばりのDJのスクラッチ風のギター・ソロを弾くなど、モダンなプレイをしていますね?

うん、俺だってモダンな音楽が好きだし、コーディもトラディショナルなブルースが好きだからね。俺も少しばかり新しいことを試してみたんだ(笑)。この曲のプレイはトム・モレロよりもクランプスの「TVセット」を意識したものなんだ。クランプスは少年時代から好きだったんだよ。

●1998年に発表されたR.L.バーンサイドのテクノ・リミックス・アルバム『Come On In』は聴きましたか?どう思いましたか?

ブルースのテクノ・リミックスをやるというのは良いアイディアだと思った。意欲的なチャレンジだし、どんなものが生まれるか興味があったんだ。ただ当時は正直、あまり良いとは思わなかった。もっとラディカルに掘り下げることが出来ると思ったよ。でも今では、すごく好きになった。当時は気付かなかった、アレンジへのこだわりが聞こえるようになったんだ。

●1990年代後半のヒル・カントリー・ブルースの“再発見”についてはどう思いましたか?R.L.バーンサイドとジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンとの共演作『A Ass Pocket Of Whiskey』(1996)がヒットしたり、バディ・ガイも『スウィート・ティー』(2001)でヒル・カントリー・スタイルに接近するなど、一時的なブームが起こりましたが、あなた達はブームと関係なく、そんなブルースの中で育ったのですよね?

それ以前から父親の影響を受けてブルースを聴いていたし、ケニー・ブラウンやセドリック・バーンサイドとは友達だった。オサー・ターナーとも交流があった。ただ、ミシシッピの地元でも決してヒル・カントリー・ブルースはメジャーではなく、アンダーグラウンドだったんだ。だから『ファット・ポッサム・レコーズ』の登場はすごく刺激的だったよ。ジュニア・キンボローのジューク・ジョイントに通うようになったのは『ファット・ポッサム』から出た『All Night Long』(1992)がきっかけだった。それでノース・ミシシッピ・オールスターズを結成したんだ。その翌年、1997年にはR.L.バーンサイドのツアーに同行したり、すべてが一変してしまった。俺たちにとってはスリルで一杯の時期だったよ。

●ブームがいずれ去るとは考えませんでしたか?

そんなことを考える余裕はなかった。がむしゃらに突っ走っただけだよ(笑)。俺の父親や、その友達のボヘミアン達はファーリー・ルイス、ブッカ・ホワイト、フレッド・マクダウェル、ロバート・ウィルキンス、スリーピー・ジョン・エステスと交流していた。それで俺たちもさまざまなブルースメンについて学んだんだ。彼らの再評価が起こるなんて誰も思わなかったのに1990年代後半にそれが起こったから、嬉しかったよ。世界中のリスナーから再び注目されることになって、最高にクールだと思った。「しょせん一過性のファッションさ」とか皮肉な見方をする人間はほとんどいなくて、みんな素直に喜んでいたよ。『ファット・ポッサム』の功績は大きかったね。

<人々を踊らせるためなら何だってやる>

●かつてアラン・ロマックスなどがフォーク・ブルースのフィールド・レコーディングを行ったとき、黒人が集まるジューク・ジョイントに白人が入っていくことは危険が伴ったといわれていますが、あなた達がジュニア・キンボローのジューク・ジョイントに行くのは大丈夫でしたか?

North Mississippi Allstars
North Mississippi Allstars

危険な目に遭ったことは一度もなかった。チュラホマという小さな町にあって、20代前半に頻繁に行っていたよ。当時のミシシッピ北部のヒル・カントリーは天国のようだった。ブルースメンや地元の農夫たち、ミシシッピ大学の学生もいて、南部で最も美しい女性たちがダンスしていた。俺たちは“ムーンシャイン”印のコーン・リカー(トウモロコシを原料とするウイスキー)を飲みながら、彼女たちを眺めていたよ。ちっとも怖いことはなかった。いや、唯一怖かったのは、ステージに上がってプレイしたときだった(苦笑)。日常的に“本物”のブルースに触れてきたお客さんの前でプレイするんだから緊張したよ。ダンスフロアに誰もいなくなったときは絶望したね。そのときの経験は、今でも生かされている。ジューク・ジョイントでも野外のロック・フェスティバルでもミュージシャンの役割はただひとつ、観客を踊らせることなんだ。だから俺たちは人々を踊らせるためなら何だってやるんだよ。ループでもプログラミングでも、何だって使うさ。

●「ラン・レッド・ルースター」にゲスト参加しているケニー・ブラウンは1990年代にR.L.バーンサイドのバンドの一員として日本にも来ていますが、彼は元気ですか?

うん、ケニーは最高だ。彼は音楽をプレイして、素晴らしい奥さんがいて、毎年6月に『ノース・ミシシッピ・ヒル・カントリー・ピクニック』を開催している。生のヒル・カントリー・ブルースを体験したかったら、これ以上のフェスティバルはないよ。ライヴがあってバーベキュー、クジ引きもある。もちろん日本のファンもウェルカムだよ!

●「ディープ・エラム」や「ビッド・ユー・グッドナイト」など、グレイトフル・デッドもライヴ演奏していた楽曲が収録されていますが、彼らのヴァージョンは知っていますか?

実はあまり知らないんだ。「ビッド・ユー・グッドナイト」は父親に聴かせてもらったのが最初だった。俺たちが聴いたのはバハマ出身のジョゼフ・スペンスのヴァージョンだったんだ。凄いギタリストだったね。おそらくグレイトフル・デッドも同じレコードを聴いていたということじゃないかな。ただ、俺たちはフィル・レッシュと何度も共演してきたし、いろんなことを学んできた。だから「ビッグ・ユー・グッドナイト」は彼に対するリスペクトが込められているよ。俺たちのヴァージョンではフィルの息子グレアム・レッシュが歌っているんだ。

●アルバムのうち5曲がメンフィスの『ロイヤル・スタジオ』でレコーディングされましたが、ソウル/R&Bの“聖地”のひとつであるスタジオでの作業はどんなものでしたか?

ズバリ一言、最高だった!アル・グリーンやO.V.ライト、ティナ・ターナーなど、偉大なソウル・シンガー達がレコーディングしてきたスタジオだからね。しかも当時からスタジオの機材が変わっていないんだ。昔のドラム・キットやマイクなどをそのまま使っていて、まるでタイムマシンに乗ったようだった。ただ、威圧感ではなく、ソウルの精神に包み込まれる感じだったね。 おそらく、スタジオにインスピレーションを求めても、それは得られないと思う。自らのインスピレーションを携えてスタジオに入ることで、偉大な精神と共にあることが出来るんだ。ブー・ミッチェルの父親ウィリー・ミッチェルは『ロイヤル・スタジオ』の伝説的プロデューサーだけど、ブーも素晴らしいプロデューサーだ。ブーがいなかったら『プレイヤー・フォー・ピース』は作り得なかっただろう。

●ミシシッピ・ブルースの伝統を21世紀に受け継がねばならないという義務感は感じますか?

オサー・ターナー、ジュニア・キンボロー、R.L.バーンサイドは偉大なソングライター というだけでなく、俺たちのことを常に手助けしてくれた友人だ。だから俺たちはその返礼をしなければならない。俺たちに出来ることは、彼らの楽曲を次の世代に受け継ぐことだと考えているよ。父やその友人たちはソング・コレクターだった。ミシシッピ・デルタを遡っていって、まったく知られていなかったレアなブルース曲を掘り起こしてきたんだ。そんな隠れた名曲の数々を保護することも、俺たちの義務だよ。古い言葉で書かれた歌詞とメロディには魅力があるし、歴史がある。とはいっても、昔の音楽をそのまま再現しようとは考えていない。ロバート・ジョンソンだってマディ・ウォーターズ、ジミー・リード、ハウリン・ウルフだって、オールド・ファッションでいようとは考えていなかった。現在進行形の、リアルな音楽として表現するのが、ノース・ミシシッピ・オールスターズというバンドなんだ。

●映画『約束の地、メンフィス〜テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー』(映画公式サイト)が2017年6月に日本公開されますが、ノース・ミシシッピ・オールスターズも重要な位置を占めていますね。

うん、映画制作の初期段階から関わっていたんだ。コーディがプロデューサー、俺がアソシエイト・プロデューサーとして、シナリオの進行を考えたり、監督にアドバイスしている。それと並行してメイヴィス・ステイプルズやブッカーTとセッションをやった。コーディは音楽プロデューサーとしてボビー“ブルー”ブランドやウィリアム・ベルをプロデュースしているし、音楽だけでなく、公民権運動の描写とメッセージもパワフルなものだ。俺にとってのハイライトはメイヴィス・ステイプルズのシーンだね。彼女はこの映画のクイーン、女王だ。全編素晴らしい内容だから、ぜひ見て欲しいね。

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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