2016年12月25日、ジョージ・マイケルの死は、世界を悲しみに包んだ。

53歳という若さで亡くなったジョージだが、その音楽人生は豊潤なものだった。1982年、ワム!の一員としてデビュー。「バッド・ボーイズ」「ラスト・クリスマス」「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」などが連続ヒットしている。ソロ・シングルとして発表された「ケアレス・ウィスパー」は最近でも映画『デッドプール』の“裏主題歌”として使用されるなど、時代を超えて愛されてきた。

(「ケアレス・ウィスパー」はアメリカや日本では“Wham! featuring George Michael”名義でリリースされた。日本盤シングル・ジャケットで“フューチャリング〜”となっていたのが残念だった)

1986年にワム!を解散させ、ソロ・アーティストとして本格始動してからも「アイ・ウォント・ユア・セックス」「フェイス」「キッシング・ア・フール」「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド」などがヒット、アルバム『フェイス』(1987)は全世界で700万枚のセールスを記録している。2014年にはライヴ・アルバム『SYMPHONICA』(ストリングスはスタジオで録音)を発表、全英チャート1位を達成するなど、常に高い人気を誇ってきた。

だが、アーティストとして成功を収めながら、ジョージの軌跡は順風満帆とは言い難いものだった。

ワム!時代には、所属事務所が資金供与を受けた企業の大株主が南アフリカのリゾート施設『サン・シティ』のオーナーだったという出来事があった。当時、南アフリカ共和国の人種差別政策(アパルトヘイト)の象徴だった『サン・シティ』と関わりを持つことはタブーであり、それがワム!解散の一因ともなった。

さらに1990年のアルバム『リッスン・ウィズアウト・プレジュディスVol.1』発表後には「本来なすべきプロモーションを怠った」とレコード会社を告訴、一時期活動がままならない状態になるなど、彼は常に波乱に満ちた道を歩んできた。

そんなジョージにとって最大のターニングポイントとなったのが、1998年4月7日の“公衆トイレ露出事件”だった。

“俺が見せるからお前も見せてくれ”

事件が起こったのは午後2時半、カリフォルニア州ビヴァリーヒルズのウィル・ロジャース公園だった。警官マルセロ・ロドリゲスは私服でパトロールしていたが、黒塗りのベンツから降り立つ男性に気付いた。男性はそのまま公衆トイレに向かい、ロドリゲスはその後を追っていった。

トイレ内での様子について、ロドリゲスはこう証言している。

「男は壁に寄りかかり、私に視線を向けました。そのとき、彼が勃起したペニスを私に向けていることに気付いたのです。彼は右手でマスターベーションを始めました」

男性はカリフォルニア州刑法で“卑猥な行為 lewd act”を禁じる647(A)PC条に抵触したとして現行犯逮捕。ロドリゲスと同僚の警察官は、ベースボールキャップを取った男性がジョージ・マイケルだったことに驚愕した。

ポップ界のスーパースターが公衆トイレでペニスを露出して逮捕!というニュースは、世界を揺るがした。保釈されたジョージは自宅に押し寄せるマスコミを避けて、音楽プロデューサーのデヴィッド・ゲフィン宅に身を隠した(ゲフィンもゲイで、キアヌ・リーヴスと同性婚したという噂が流れたこともある)。

ジョージが公の場に姿を現したのは11日、『CNN』テレビのインタビューだった。

このインタビューで、ジョージは自分がゲイであることを公にカミングアウトしている。

「別に恥じることでもないから言うけど今、男性と交際中なんだ。もう10年ぐらい、女性と性交渉を持ったことがないよ」

彼はまた『MTV』のインタビューで、自分が逮捕されたのがおとり捜査によるもので、ロドリゲスが先にペニスを露出させたと語った。

「奴は小便をするフリをしていたって?...ハァ?あんな姿勢で小便をしたら散らばってしまうだろ?目の前でペニスをいじっている奴が警官だとは、普通だったら思わないだろうよ。“俺が見せるからお前も見せてくれ”って素振りをして、いざ俺が見せたら逮捕だもんな」

「ハンサムで背も高く、グッド・ルッキンで美味しそうなアメリカン・コップに誘われたんで、俺も露出したのさ」

彼は傷つきながら性的マイノリティの扉を大きく開け放ち、去っていった

“ジョージ・マイケルが公然猥褻で逮捕!”というニュースは、ファンを驚き悲しませ、野次馬を嘲笑させた。中にはオジー・オズボーンのように、「あの公園は俺の家の近所なんだ。自分の子供を安心して遊ばせられないなんて恐ろしいね」と怯える者もいた。“ヘヴィ・メタルの帝王”であるオジーを恐怖させるのだから相当なものである。

80時間の公共奉仕と910ドルの罰金、2年間の保護観察とカウンセリングという判決は決して重罰ではなかったが、下ネタ・スキャンダルはジョージのキャリアを葬りかねないものだった。

だが、ジョージはスキャンダルに屈するのではなく、前進を続けることを選んだ。

事件の後、1998年10月に発表されたシングル「アウトサイド」のミュージック・ビデオで、彼はミラーボール付きの公衆トイレで踊りまくるという自虐的なフッキレぶりを披露。2人の男性警察官がディープキスをする描写もあり、ジョージを逮捕した警官ロドリゲスが“精神的苦痛をこうむった”と告訴したほどだった(あっけなく却下された)。

それと同時に、ジョージは2年来のパートナーであるケニー・ゴスとの交際をカミングアウト。二人は2009年に別れたが、ジョージは間もなくヘア・スタイリストのファディ・ファワズと交際を始めている。ファディはジョージがドラッグの問題を抱えていたときも寄り添い、2016年12月25日の朝、寝室のベッドに横たわるジョージの亡骸を発見したのもファディだった。

現時点(2017年1月)でジョージの死について明らかになっていない点はあるものの、彼が亡くなってしまったことは厳然たる事実だ。

1998年当時、ゲイであることは決して“恥”ではなかったものの、エルトン・ジョンの『メイド・イン・イングランド』(1995)のタイトル曲の歌詞に「ホモと言って/みんなが笑う」とあるように、同性愛に対する偏見が残っていた。ジョージの事件と同じ1998年の10月にはアメリカのワイオミング州でゲイ青年マシュー・シェパードが殺害されるなど、ゲイに対するヘイト・クライムも珍しくなかった。

ジョージがカミングアウトしたことは、世界のLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)層に勇気を与えた。

イングランドの守護聖人である聖ゲオルギオス(“ジョージ”のギリシャ語読み)は自らの信念のために囚われ、命を落として殉教者となった。それと同様に、ジョージ・マイケルも傷つきながら性的マイノリティの扉を大きく開け放ち、そして我々の前から去っていったのだった。

生前の慈善活動などが話題となっているジョージだが、彼は決して完全無欠の聖人ではなく、“やらかしてしまう”こともあった。そんなヒューマンな側面を持っていたからこそ、彼の音楽は我々の心を捉え続けるのである。

一部記述など、『ポップ・ワイドショー』(2002年、洋泉社刊)収録の拙稿『ジョージ・マイケル公衆便所事件の真相』から引用しました。